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【あなたの想像力の害悪】

(約900字)

誰かのことを好きになったり、嫌いになったり、人間の心は忙しいです。

嫌いになるのは、凄い簡単で。

noteの世界なら、
ちょっと自分より表現力があったり、
知らないことを知っていたり、
優劣の差を感じれば、
たちまち自分の中の劣等感を感じて、優れている相手のアラを必死に探します。

これが面倒。

徒党を組んで団体の塊から、排除しようとする。そんな目には見えない渦を作り始めます。

これがイジメの始まりだと私は思います。

noteは、主に言葉を使って表現する世界です。そこには、沢山の表現方法が存在する。

詩、短歌などの和歌、エッセイ、物語‥‥
音楽、みな言葉を使えば、何らかのイメージを脳内に想像します。

言葉遊びの種類は限りなくあります。

その中に、誰かが大切に思う世界を象徴する事物があるとする。

私なら、花、犬、過去のトラウマに関することとか、私を想起させるキーワードがあります。

それは、自分が文章を配信した結果です。
自己責任ではある。

ひとの心は見えないから、探ろうとする気持ちは理解できなくはありません。

フィクションだと書き手が言うものは、想像作品だということ。
それ以上でも以下でもない。

探ろうとする作品を書くのは、縛れない。

それも想像から作られた文学作品だから。

でも、揶揄する気持ちが混じっているのは読む人が読めば分かる。 

「バカの方が楽なんだよ」

昔、言った人がいた。

私は最初、バカの方が生きづらいだろうと思って生きていたから、勉強して知識を得なければいけないと信じていた。

「そんなわけない」と心の中で反発しながら疑問符はあったが、今なら「それはそうですね」と大きく頷きます。


私が令和時代に当たり前に恐ろしいと感じることは、SNSの誰もが有名人になってしまう状況だ。

会いに行けるアイドルが、ファンとの交流で事件を起こす社会を生んだのが懸念の始まりだった。

ファンと憧れの対象のラインが無い。

私たちは一般人で、芸能人とは違う。

でも、noteには、プロもアマチュアも、同じ舞台にいます。

小説家や出版社の方から、フォローをもらったら、勘違いするでしょ。

でも、違うんです。

私には、全然、平等な舞台には思いません。




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