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自分を認めることについて

     (約900字)

昨日、書いた自分の記事に
初めて自分でスキをつけた。

はっきり言って、スキをもらえない記事を書いたと思う。


noteでいくつ記事を書いても、書くことが仕事に出来ない気持ちをどうにも処理する術がない。
涙しか出ない友情も、
出来損ないの愛情も、
数えきれない人たちの人情も、
山のようにもらって生きているのに、長いこと孤独感に苛まれてきました。

自分の弱さを認められず、誰かのせいにして、
思うように生きられない悔しさを文章にしては後悔して、理解されない気持ちを別の言葉に
変換されて、大切な感情を踏み躙られた気持ちになっていました。

きゃらをさんがおすすめ記事としてくださって、とても嬉しく思いました。

でも反対に、
フォローを増やしたいきゃらをさん、
「私の記事をおすすめしても、アンチが多い
(いろんな人からブロックされている)私を
応援してくださっても何の得もないのに‥‥」
と不思議に感じました。

私のことを気に入らなくて記事を山ほど書く人と比べたら、不利益が生じます。

おすすめするなら、先日書いた「真価について」の方が、よっぽどススメられて共感する人が多いはずなのに。

本音を書いたら、スキをもらえない

これは禁じ手です。
やらない方が共感してもらえる。
それで離れていくフォロワーさんがいると
思っていました。
恋や愛について書いていれば、スキは稼ぐことができます。
noteはそういうところ。
たいした恋愛論じゃなくてもウケるし、
スキを量産できる。
人を大切に思う気持ちを何かに定義したり、
対象が2次元や人間以外であることを肯定されなかったり、人間が対象でも許されないことだったり、書く方向はいくらでもあるけれど、ひとを信じたり、敬って書いた内容を
薄っぺらな言葉しか使えない人に拾われるのに嫌悪を覚えてしまう。

一字一句、ヒトが誰かの言葉をそのままに
理解するのなら、
そんなに簡単ではないが、
理解しようという気持ちを持っていないで読むひとにとっては、書くネタを提供するだけ。

誰も傷つかない文章だって書けます。

でも、時々は心を見せてしまっても、
自分、よくやったよ、って
勇気を出して書いたな、って
自分に合格点をつけてやればいいと思う。

それが、他の人の落第点だったとしても。

心よりありがとうございます。


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