【少し想像力を働かせばいいだけ】
(約900字)
noteには自分に起きた悲しい体験を殆ど書いていない。
ものを書くにしても、この場所がSNSであることを前提として書いている。
その人が何を大切にしているかを考えれば、
自分の行動は決まるはずです。
私には、記事主のバックボーンにある背景を読む癖がある。
文豪の人生を知ると、その人の作品がわかる。何を伝えたいのかを読む。
作品の中で使う言葉は、その人の人生が住んでいる。
だから内容を理解すると、リアルな世界で、どうしたらその言動になるのかが少し見える。
可視化されていないところが大切だったりする。「noteに私信は書きません」と公言したのも、公共の場とリアルな社会を一緒にしたくないからで、身近な人を巻き込んではいけないし、それを見せなきゃいけない義務はない。
名前も顔も知らない人は、上っ面だけの付き合いでいいと思っている。
個人的に親しくなければ、誰にも明かされたくないことは伝えない。
去年の春に個人的に話していた人には、noteに書いた記事以外に、墓場まで持っていかなくてはいけない話はしていない。
家族、親類、親友は知っていることだから、その人に限った特別な内容ではない。
もし、親友や昔の知人が出した個人情報なら私には隠しきれない。
SNSはスキャンダルを知りたい、憂さ晴らしをしたい人の巣窟だから、耳に入れた情報は発信したくなるでしょう。
noteは関係ないが、以前リアルで知り合った人の中に「いつか仕返ししたい」というメンヘラがいた。
過去に色々あったそうで、
「ヒトを呪わば穴二つだよ」と話したことがある。
私は自暴自棄になってしてしまう言動があっても仕方ないと思う。
私だって怖がりだから、そんな時期があったもの。私には家族とか、友達とか、仕事関係の人が大事で、SNSの繋がりなんてニの次です。
SNSは楽しいし、癒されたり、励まされたり、救われることもある。
でも、一過性の自己満足感は否めない。
陶酔もいい。
ただ、分からないことをアレコレ考えても、誰かを本当に救うことにはならない。
分析も、慮るには上等。
でも、知らない世界は山ほどあって、そこに辿り着く必要なんてない。
気に病むだけ、損。
徒労です。
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