見出し画像

不朽のヒーロー

西アジアに位置する世界初のキリスト教国家、アルメニアは領地・民族的な対立をめぐって、隣国アゼルバイジャンと戦争状態にあり、先月末から激しい軍事衝突状態になっている。インドで通った高校にアルメニア出身の生徒も何人かいる関係上、この戦争・紛争について知ったが、日本だとほとんど報道されていないことから、ご存じない方も多いだろう。そんな中、今起きていることを、もっと国際的に認知、そして他人事ではないことを知ってもらおうと、高校のアルメニア人の後輩が自身の初恋の人について綴った文章を公開している。若干重たい内容ではあるが是非もっと多くの人に読んでもらいたいと思ったので、本人の許可を得たうえで、自分なりに翻訳してみたので、ここに公開したいと思う。ただ、私の未熟さゆえにせっかくの美しい文が、とてもぎこちないものになったしまったので、もし可能であれば、是非下記リンクの英語の原文を読んでいただきたい。また、やはり彼女にとっては自国の戦争ということもあり、やや極端な表現もみられるが、あえてそこは本文の表現を尊重した。私も、まだこの紛争についてはほとんど無知に等しいが、この記事をきっかけに多くの人がこのアルメニアとアゼルバイジャンの間で起きていることについて調べるきっかけになれば幸いだ。


私の初恋は11歳の時だった。馬鹿馬鹿しく聞こえるかもしれない。人によっては30まで初恋が訪れない人だっている。そんな中、恋に落ちた11歳の私。小さい頃、姉と一緒によく、ロマンスコメディを観た。特に二人の人間が同じように思いを寄せているその描写にはドキドキさせられながら、いつも「両想い」とはどのような感覚なのだろうかと思いを馳せていた。

あれは従兄弟の10歳の誕生日のことだった。従兄弟はクラスの男子全員と彼のお姉さん、そして私を誕生日会に招待した。招待された子供たちは皆、典型的な10-11歳児で、彼らはその夜、車のおもちゃとゲーム遊びに明け暮れた。けれど、そんな中、私と従姉と会話をして過ごした子供が三人いた。私の従姉は私たちよりも少しばかり年上だった。そんな年上の彼女と話すことが、カッコイイことのように思えたのだ。会話の内容はすっかり忘れてしまったが、踊ったり、パーティーゲームをしながら過ごしたこと、そして、その夜は幼少期の中でも指折りの良い日だったと記憶している。

その夜、私は今までに感じたことのないくらいの幸せを感じながら帰宅した。一方でその夜は眠ることができなかった。一晩中一人の男の子について考えていた。彼はとてもかわいらしくて、賢くて、そして11歳にしては、とても興味深い子だった。正直自分でも、自分の今の感情が何なのかよくわからなかったけれど、翌日学校に行き、彼を見つけ、もっと話をするのが楽しみでしょうがないということだけは理解できた。

翌日学校で、彼のクラスメイトが廊下で私とすれ違ったとき、彼らはみな奇妙な笑みを浮かべていた。彼のクラスの女子は、私のことを見つめ、何やらひそひそと話している。私は、まだ何が起きているのか理解できなかった。休み時間、私とクラスメイトと、学校の隣のお店に買い物へ行った。その時、私は彼女に恋に落ちたことはあるかどうかと聞いた。彼女はないと答え、私のほうははどうかと聞いてきた。もしかしたらー 私はそう答えた。そのとき、やっと今私が感じているのは、何度もドラマで観・聞きした、「恋」という奴なのかもしれないと気づき始めた。彼のことを考えられずにはいられなかった。

その日のうちに、彼が学校で、私のこと、そしてどれだけ私のことを気に入ったかについてクラスメイト全員に話していたことがわかった。やっと彼をカフェテリアで見かけたとき、彼が近づいてくるにつれて、心臓がバクバクするのが感じられた。その時彼がなんといったかは覚えていない。多分、「君のことが好きだと思う」とか「僕の彼女になってくれないか?」とかそんな感じだったと思う。今振り返ってみると、その日のうぶなやり取りには恥ずかしさでぞっとさせられる。彼も昨日は眠れなかったのだろうか?彼も私と同じくらい、私のことを考えてくれているのだろうか?彼の手を握って、「これからずっと一緒にお昼ご飯を食べよう」とでも言いたかった。でも、自分がとった行動は違った。私が代わりに放った言葉は、「18歳よりも前に恋をするのは許されていないから、もう二度と話しかけないで」だった。

彼のことを一年間無視し続けた。彼は私を一目見るためためだけに、私の教室の近くをよくうろついていた。そんな彼の行動はとても嬉しかった一方、嬉しさをこらえ、私は挨拶もすることもなく彼の横を通り過ぎていく。私もよく彼の教室の近くをうろついた。私たち二人が必死で、お互いを見よう・会おうとしているのは学校中が知っていた。一緒にご飯を食べようと、たった20分の休み時間の間に何度もカフェテリアにいってお互いを探した。といっても、お互いずっと離れた席に座って食べていたのだけれども。

その年の、学年の終わりに、彼はまた話しかけてきて、「僕はまだ君と一緒になりたい」と伝えてきた。そのころには私たちは12歳になっていた。私は走って逃げた。でも2,3日後に戻ってきて、私も彼と同じ気持であると伝え、彼が世界で一番幸せな人になる瞬間を目の当たりにした。それからというものの、私たちは四六時中メールを送りあい、考えうる全てのことについて話した。もし今それらのメッセージを読むことが出来たら、恐らく私はイタさと恥ずかしさで死んでしまうだろう。二人で会うとき、彼はいつも野原から花を摘み、渡してくれた。考えうる中で、最も純真な関係だった。彼は私にとっての一番の親友だった。お互いに全てのことを共有し、アドバイスが必要な時はいつもお互いに頼りあった。どちらかに悪いことが起きたときは、必ず互いに慰めあった。最も親密なスキンシップは私が彼の肩に頭を載せる程度のものだった。

彼は学校で一番ユニークで賢い人だった。学校中の先生は皆彼のことが大好きだった。学校中の生徒が彼のようになるか、彼と付き合うことを夢見ていた。彼はクラスの人気者だった。次第に、彼は学校全体の人気者になっていた。彼のクラスメイトの女子は私のことを崇拝した。彼女たちはできる限り私と親しくなろうとしていた。数年たって、彼女らが単に彼の隣である私の場所にいたいだけだったと気づいた。中には彼を愛するあまり、自分の静脈に水を注射するような女子さえいたが、彼女の恋は片思いに終った。正直、私たちはなかなか複雑な12歳だったと思う。

私たちの関係は、中学を卒業し、私が都市部へ引っ越すまで、二年間続いた。引っ越してからもたまにメッセージを送りあうことはあったけど、そのうち全く話さなくなってしまった。私が都市から地元に戻った冬のある日、地元に降り立った時にはもうすでに9時を回っていた。暗闇のなか私は一人で歩いて家に戻らなければならず、たまらなく怖かった。その時、道の反対側に彼が立っているのが目に入った。もし私の隣を歩いて話しかけても、未だに説明できない事情を理由に、私がおそらく無視するであろうことを、彼は悟っていた。それでも、私が無事に家に帰れるようにと、道の反対側を同じ速度で歩き、私が自宅の玄関に入るまで見届けてくれた。その後、何度か二人で会う機会があったが、いつでも彼は私と会うのをとても喜んでくれた。私に話しかけるときの彼の声はいつも少し震えていた。学校のタレントショーで彼を見た時のことを思い出す。私たちは互いから遠く離れたところに立っていた。以前私たち二人が、嫌っていた一人の女子が、ステージにあがりおかしなダンスをはじめた。今まで見たダンスの中で一番ひどい出来といっても過言ではない。彼と目が合った瞬間、私たち二人は笑いだしてしまった。他の人たちは誰も笑っていない中、私たち二人だけが、少々意地悪で冷酷な笑いのつぼを通じて、また再び繋がりあった瞬間だった。彼はその後三年間、頻繁にメッセージを送ってくるようになった。私は他の女子とは全く違うといつも言っていた。他の女の子とはどうしても気が合わないと。そのようなメッセージをたくさん送ってくる彼に、一度だけ、そういわれると辛いからやめてくれと頼んだ。それ以来彼が私たちが一緒になることについて、口にすることは二度となかった。彼は2019年の新年まで毎年誕生日と新年を必ず祝ってくれた。それ以降は、彼は徴兵へ発って行った。

二日前*、母は部屋に入ってくるなり、彼が前線の戦闘で亡くなったと私に伝えた。自分の世界が、二度と元に戻すことのできない、小さな破片のように割れ散ったような気がした。今の心情を話すことはしたくない。これらの感情を卑下せずにはできないから。もう二度と元に戻ることはないそれだけはわかる。彼は私の一部を一緒に持って行ってしまった。それを取り返すことはもうできない。

私はただ彼がどんな人であったかだけを、多くの人に知ってもらいたい。彼の名前は Arman。私が今まで出会った人の中で、最も素晴らしい人。彼は美しい人生を送り、明るい未来が待っていた。彼はそこにいるだけで、周りの人を幸せにするような人だった。彼は祖国を守るために亡くなった。彼は私たちがお気に入りの場所に通い続けることができるよう、私たちの好きな山々にハイキングに行き続けられる、そんな日常を守るために亡くなった。彼はヒーローだから亡くなった。

画像1

あなたが誰であろうと、もしこれを読んでいるのなら、どうかアルメニアを支持してください。どうかアルメニアのために声をあげてください。彼のような青年たちが、テロリスト**の政治的な目標の死んでいくのはあってはなりません。

もし可能であれば、たった一ドルであっても、どうか the Armenian fund に寄付してください。たった一ドルでもこの状況を変えることができます。私たちにはまだ戦わねばならない戦争と復興せねばならない故郷があります。

どうか皆さんがこのような状況を経験しなくて済むことを心から願っています。

*このノートの公開日から数えて三日前
**やや偏った見方だとは思いますが、原文の表現を尊重して翻訳しました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?