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1000人の母親に寄り添って生まれた「出張託児サービス」が生まれて11年、経営と保育をどのようにやってきたか

このnoteでは、「私が自分の資格や得意を生かしてどうやって出張サービスを始めることになったか」について書きました。幼稚園の先生をやめて主婦になった私が声をかけてもらったことを面白がって受けていたら、起業することになった話です。書いてみて人に喜んでもらえることが私の喜びなんだなということを感じました。自分で何かをはじめてみたいなと思う人には面白く読んでもらえると思います。長くなりましたがコーヒーでも飲みながら御覧ください。


育児に専念するために幼稚園の先生を辞めました

育児に専念するために幼稚園の先生をやめました。1999年のことです。そこから、ずっと子育てを普通にしていました。

3人の男の子を育てるのは、なかなか忙しかったです。

朝は、10:00までに家事を終わらせるのが目標。10:30には、公園に連れていき、お腹が空いてグズグズする前に帰ってお昼を食べさせ、昼寝に突入。昼寝中に夕飯の下準備ができれば最高だけど、一緒に昼寝しちゃうことの方が多かったですね。

夕方、16:00からNHKの「おかあさんといっしょ」を3人が集中してみている間に夕飯作って、出来上がったらお風呂に入れて、夕飯を食べさせて、歯磨きしてあげて、20:00に絵本読み始めて寝かせる。

でも、誰かが漏らした!遊んでほしい!これできないからやって!などなど
 
小さいから目は離せないし、できないことも多くて基本のスケジュール通りにいかない事の方がほとんどだったし、自分の時間なんてまったくなくて、凹むこともたくさんあったな。

本当によく頑張っていた昔の自分を褒めてあげたい。

そして、いちばん下の子どもが幼稚園に入り、少し時間ができた頃、通わせていた幼稚園から通園バスの添乗のお手伝いしてくれないかと声をかけてもらいました。

その後、働いていた幼稚園で2歳児クラスを立ち上げることになり、私の保育経験を聞いた園長先生からやってみないかと話をもらい、やってみることに。

2歳児クラスの担任スタート。子育てを頑張っているお母さんたちと関わるときに大切にしていたこと。

2歳児クラスがスタートしました。

大切な我が子をはじめての集団生活に通わせるパパやママたちは、

「寂しがって泣いていないかな」

「友だちと仲良くできるかな」

「お弁当一人で食べられるかな…」

と不安がいっぱい。

なので、お帰りの時には、どんなことをして遊んでいたかを伝えたり、「泣いていたけどこの時は、笑顔を見せてくれたんですよ」とエピソードを話したり、「寂しいのは当たり前。ゆっくり慣れていきましょう」と寄り添ったり。次回も安心して送り出せるように親御さんとのコミュニケーションの時間も保育と同じくらい大切にしました。

自分もついこの間まで小さな子どもを育てていた母親だったので、お母さんたちのうれしいこと、大変に思うこと、どんな事で悩むかがなんとなくわかったし、育児が少し辛くなった時、聞いてくれる誰かがいると救われることも実感していたので話しやすい雰囲気を作るようにしていました。

我が子が何かできるようになると、うれしくて誰かに話したくなりますよね。でも、親バカな話を思い切り話せるのは、家族やじじばばくらい。ママ友に我が子を自慢するのは、ちょっと気がひける。

なので、お子さんの最近できるようになったことやうれしかったエピソードを聞き出すようにしていきました。そうするとだんだんと自分の苦しい面も話してくれるようになってきました。

子どもに共感する事は、保育の世界でとても大切な事なんですが、大人だって共感してほしいですよね。

かわいい我が子が楽しく通ってくれて、園でのエピソードを先生から聞けて、子どもの成長を一緒に喜んでくれる存在がいる。そうすると、ママの笑顔が増えて子育ての良い循環ができる。家でママがいつも笑ってくれていたら家族みんな幸せですよね。この2歳児クラスの運営を通してそう感じるようになりました。

2歳児クラスは人気になり、2年後には、クラスが2クラスに増えました。最初は、やりがいを感じて頑張っていた2クラスの担任でしたが仕事量が次第に増えていきました。保育計画や準備・保護者対応、家に帰れば3人の育児・家事ととにかく目の回るような毎日。いつのまにか自分の事、我が子の事が後回しになることが多くなってきました。

育児よりも仕事中心の生活。「これでいいのかな?」と悩む一方で、どこかの時間を削って余裕を作っていくしかないこともわかっていました。

でも、未就園児の保育というのは、子どもを育てる役目も大きいけれど、母親に寄り添う立場も大きい。だから、ママたちとの時間も削りたくない。

とはいえ、幼稚園という場で、保護者との距離を縮めすぎることは管理上むずかしいこと。そして、組織に所属している限り、組織の方針に合わせていくのが、お給料をもらって働くということ。自分のやりたい事よりもトップのやりたいと思うことを実現していくのが役目。現実は、自分のやりたいこととは離れていきました。

自分のやりたいことは何だろうと考え始めて、資格を生かして親子教室を始めたら人気の教室に成長した話

自分のやりたいと思ったことを好きなようにやりたい自分。組織というものが窮屈だなと思うようになっていき、自分の資格を活かして何かできないか?たくさんでなくていい、自分の物を買えるくらいの稼ぎでいい。何かできないかと考えるようになりました。

子どもは、1歳半~2歳くらいになると歩き始めて、同じ年齢位の子どもとのかかわりも出てくる。その頃になるとママたちが、遊ばせる所を探し始めることは、2歳児クラスを運営してわかっていたので幼稚園時代の同期で子育て中の友人に声をかけ、未就園児向けの親子教室を公民館ではじめました。

どういう風に人を集めていくか?
どんな事をしていこうか?
金額はいくらにしようか?
自分たちで企画して行動することが本当に楽しかったです。

公園に行って、小さい子を連れているママを見つけると声をかけて、説明してチラシを渡す。怪しまれるかもしれないと不安もあったけど、ほとんどのママが良い反応をしてくれて、当日に来てくれた時はうれしかったな。

地道にチラシをまいたり、口コミでそのうちにたくさん人が集まってくれるようになりました。多い時は30組くらいの親子が集まってくれる時もあり「ああ、自分でも仕事がつくれるんだ」とやりがいを感じるようになりました。

一緒に立ち上げをした同期のMちゃんは、面白い事を面白がってやってくれる人で二人の方向性も似ている。家族構成も男3人のママで同い年。あまりこだわりすぎない性格で相性が良かったのも立ち上げが成功した理由だったと思います。

もうかれこれ25年くらい一緒に子育て支援をやっています。一番の信頼できる友人であり、ビジネスパートナーです。

そして、自分で仕事を作っていくことの面白さを感じ始めて、いろいろと調べ始めるうちに女性起業家の会というのがあることを知りました。

ライターさんが声をかけてくれた

2012年、勇気を出して、女性起業家ランチ会というものに参加してみると、そこで、一人のライターさんが私の経歴を面白がってくれて記事にしたいと声をかけてくれた。

記事に掲載するというので、プロフィール写真を撮ったり経歴を書いたり、とても新鮮な経験。その後、そのライターさんが運営に関わっているという子育て世代向けのイベントで保育士を持っているなら、出店者の託児をやってくれないかと言われました。

お手伝い程度の気持ちだったのですが、受けてみると、契約書や見積書・秘密保持契約など・・保育畑しか知らない私は、本を読んだり、無料の弁護士相談に行ったりしてどうにかこうにか、書類を作っていきました。(不備があって怒られることも多かったけど)

そんな事が数回続いてくるとさすがにお手伝いの感覚ではなくなってきました。

「出張託児」というサービスで開業届を出した

自分なりの覚悟を決める気持ちもあって、2013年、「出張託児」というサービスで開業届を出しました。

経営とは?その辺りもあやふやなところがあったので行政主催の5000円くらいのビジネススクールを見つけ、そこで経営の基本的な事を勉強しました。

スクールに参加していた人たちからもたくさんの影響を受け、一緒に経営を学んだ仲間とはいまでも、交流は続き経営面でもたくさん刺激をもらっています。


あれから10年。

出張託児を始めた頃は、忙しくお仕事の依頼をもらっていたがコロナの影響で0になりました。コロナが終わった今は、依頼は年に4~5回ほど。

子育て支援と一時預かりの店もはじめてから5年が経ちました。子育て世代の役に立てている実感と満足感。店の運営にも慣れてきました。

ありがたいことに利用したい方が増えて、経営と保育にフル稼働の毎日。休む間もなくお店を運営してきて、今、次の好奇心が湧いています。

「自分が入らなくても良い日を増やして、出張託児を整えたい。」

この計画をどうやって進めていこうか計画中。
その実現のために、ここで少しずつにはなるが、発信していけたらと思っています。

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