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YOASOBIの’’HEART BEAT’’に大火災の跡にたたずむ少女の姿がみえた

能登半島地震以来、耳を離れない音楽がある。YOASOBIのHEART BEATだ。この歌は10代の迷いから将来への決意を扱っていて、NHKの番組「18祭」を機につくられた。

10代の若者の純粋な気持ちを歌ったHEART BEATを震災と結びつけるのかどうなのか。自分の中でどう整理すればよいか結論が出ないのだが、なぜか耳について離れない。私には5日以上続いた大火災跡の焼け野原で、少女が立ち上がっていく映像が見えるのだ。

地震が起こる前、少女はいつも通りの学生生活を送っていた。思春期特有の悩みもあっただろう。家族や友だち、学校に関する悩み、将来への不安。自分が何者でこれから何ができるか悩んでいてもおかしくない。

生活を突然中断させる大地震が起きる。少女の生活は一変。先行きが分からずただただ不安が襲うのは、子どもも大人も年齢を問わず同じだ。多感な思春期であれば尚更だろう。

ある日、少女は焼け野原に立つ。
震災に遭った自分を取り残すように時間だけが過ぎていく。足がすくみ声が震え、以前の自分がどうだったかも思い出せない。

しかし、それでも心臓の音は聞こえるのだ。YOASOBIが考える心音は物理的な音だけでなく、心の叫びでもある。どんなときでも生きてさえいれば、心音は聞こえる。

今は未来に向かって、前を向くしかない。どんな荒れ地でも草木が芽生え、かならず未来につながる。震災を経験して気付いたが、過去や現在は、未来につながっている。遙か昔から、ずっとずっと。いまは小さな希望だけれども、それはいつも身近にあったのだ。

曲の最後では、大きく心を鳴らして自分だけの心音を感じているように聞こえる。そう思うと、絶望的な火災の跡でも、立ち上がれるような気がしてきた。再び立ち上がる中心となるのは、まぎれもない若者なのだ。

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