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またフリーレンに会うときには成長していたい

アニメ葬送のフリーレンの放送が終わった。
第28話は「また会ったときに恥ずかしいからね」
一級魔法使い選抜の最終試験を終えて、ともに挑んだ仲間たちと別れがやってくる。感傷的な別れではなく、またいつか会えるさのノリ。

フリーレンの場合

千年以上生きているエルフでも、別れた相手と再会できるかは分からないはずだ。魔王討伐後にヒンメルに会ったのは、フリーレンが自分から会いに行ったからであり、それほど思い入れがなければ人間は先に死んでしまう。悠久の時を生きるフリーレンなら、再会せずに終わった人も多いだろう。

それでもあっさり別れるのは、他者と関係なく自分の旅が続いているからだろう。人間を知るための旅に出たフリーレンはまだ道半ば。物語は続いていく。自分が成長した姿でまた会いたいから、今はかりそめの別れを交わす。

まだ成長していないという自覚があるからこそ、次に会う時を大切に別れる。泣きながら別れるのは、目の前の大切な人が死んだときだけ。それも後から大切と気付くほど、フリーレンは感情に鈍感だ。師匠のフランメやヒンメルの死が自分事となるのには時間が必要だった。

ヒンメルの場合

それに対して、ヒンメルはどうだろう。
「また会ったときに恥ずかしいからね」
はヒンメルが最初に言った言葉だ。彼は旅は楽しくかっこよく、人助けをしながら振り返るもの。涙は似合わないものと考えていただろう。最も大切なフリーレンと別れるときでさえ、未練たらしく振る舞わなかった。彼の美学である。感情を見せたのは、50年後にフリーレンと再会したとき、鏡に向かって心の整理をしたくらい。ヒンメルは、いつフリーレンに会っても恥ずかしくないようにと奮い立ちながら生きたことだろう。

読者(視聴者)の場合

葬送のフリーレンの読者(視聴者)はどうか。
私は、葬送のフリーレンの物語が続くことを知っている。続編もアニメ化されるだろう。漫画を読破しながらも、毎週映像に引き込まれた作品への思い入れは大きい。放送された半年間は、天地がひっくり返るような大きな事件も経験した。被災する経験はもうこりごりだ。

続編が放送されるときに、自分はどうなっているだろうか。想像すると、確かにわくわくしてきた。フリーレンはいつも頭のなかにいて、さまざまな状況に遭遇したとき、千年以上生きたエルフならどう振る舞うかを想像するはずだ。次に会うときは成長した自分でいたい。

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