見出し画像

被災しても、同情するなら金をくれと言ってはいけない

令和6年能登半島地震で被災してから、多くの皆さんに声をかけていただいた。リアルでお会いしたことのない方から、SNSでご心配のメッセージが多数送られてきたのだ。

「私に出来るかとがあれば言ってください」

今は出来ることはないが心強いと思った。地震直後は通信状態が悪かったが、少しでも回復するとiPhoneの通知が鳴り止まなかった。心からありがたい。私は忘れられていない、被災地に関心を持ってくれている。避難所では外部からの情報がほとんど入ってこなかったが、気にかけてくれるだけでうれしかった。

被災当時の状況を書き残している。

発災直後に支援の申し出を受けて、私が思ったのは次の2つ。

  • とにかく状況が落ち着いて安心したい。

  • 現在進行形で犠牲になっている人がいるので、そちらの救出を優先してほしい。

  • 道路が寸断されて物資が届かないので、支援を受けようがない。例えお金をもらっても、現状では買えるものがない。

当時願っていたことは、現地にはアクセスできなくても能登に関心を持ち続けてほしいよろしければ義援金をお願いしたい、これだけである。

3日ほど経って避難所に水と支援物資が届き始める。市内のスーパーが営業を再開する。状況が落ち着き始めた。いよいよお金が必要となる段階だ。被災したときに備えて、ある程度のお金は引き出せるようにしておかなければいけない。ATMは稼働していなかったので手持ちの現金が頼り。キャッシュレス決済で支払ができたときは本当に便利だと思えた。

当初行政からは、物資はもらえても現金はもらえない。全国から寄せられた義援金が個人に振り込まれ始めたのは、つい最近のこと。地震から2カ月以上経過してからだ。被害の大きかった能登6市町の住民には、石川県の義援金から一人5万円が配分されることになった。住宅が全半壊したり犠牲となった方がいる場合は、事案に応じてさらに支給される。

義援金の説明はこちら。

被災者への配分と日々の生活についても書きました。

被災直後に避難所にいるだけでも数十万円はすぐに無くなる。日々の暮らしや自宅の片付け・修理など物入りだ。被災地を離れ金沢市などへ広域避難してもお金は必要だ。多くの被災者にとって、義援金はすぐに無くなってしまうものだろう。自宅が壊れ職を失ったものにとって、現金収入は貴重だ。避難所への炊き出しも充分行き届かない状況でも、支出を控えるため食べることすら控えている人もいる。

多くの言葉をかけてもらった。

神様は耐えられる試練しか与えない。
出来ることがあれば言ってください。
なんとか、がんばって生きてください。

かけられる言葉はどれも安易な同情としか感じられない時期が長かった。水も使えない状況で何を頑張れというのか。声をかけてくれた人は悪くないのに、ついついよくないことを思ってしまう。

しかし、気付いた。
かける言葉がないからといって、黙っていては何も伝えられないのである。
声をかけてくれた方も、ある意味無力感を感じながら心配してくれていたのではないか。なんとか気持ちを伝えようと言葉を発しただけかもしれない。実際に、適当な言葉が見つからず声すらかけられない人もいた。

日々の暮らしに忙しいのに、被災地に思いを寄せてくれる。
この思いだけで十分である。
私も周囲に、能登が忘れられないことが何より大切と言っていたのに、他者の好意を無下に感じてはいけない。

同情するなら金をくれ、とはなんと浅はかな言葉だろう。戸惑いながらもかけてくれる言葉に反発するなんて言語道断だ。被災地の誰もが、日々の暮らしを模索している。復興の歩みはゆっくりで、今でも至る所で惨状が残されています。現地の道路状況は万全ではないが、機会があれば現地の様子を知ってほしい。

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

サポートをしていただけると泣いて喜びます。