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中原くん

わたしは最近よく、小林私を聴いている。

やはり歌手たるもの、歌唱力。
それに加えて彼には演奏力もある。

声も歌詞もメロディもとても好きです。はい。

で、その小林私が慕っている?慕っていた?
先輩的な存在だった「中原くん」というひと。

なんだか昨年の夏に急にSNSを全消しして音信不通となり、所属していた事務所から契約解除となったそうで。その頃から消息不明、だったのかな。

小林私のこの、彼の曲と思われるものを歌った動画を観て、わたしの好きなアーティストが尊敬するアーティストとはどんな歌を歌うのか、そんな風にしていなくなった彼は生きているのか、どんなひとなのか今何してるのか、と気になった。

この演奏も大変よくて好きで何度も聴いてるのだけれど、コメントを読んでいくと、中原くん復活しましたね、なんてのがあった。

何情報?だったか、どこ情報?だったか、そんな返信に対して「中原清文って名前でやってますよ」と返していたのをみて

おや、もしや、と調べてたどりついた。

スピッツの楓のカバーがとてもよくて、他のもまたよいのだけれど、最新の、4日前に上げられていたこれもわたし好きだなあ。

顔が好きで 声が好きで
美味しそうにご飯を食べるのも好きで
悔しいけどそのひとつひとつで
僕の色々が固くなってゆく あぁ

のCメロ好き。笑笑

キャッチーなメロディがよきよきな曲。


とりあえず彼の行方が分かったことはよかったな、と思った。

仮に騒動が事実だとしたら、どんな経緯で築いてきたものをぶち壊しで消えることになったとしても、こうしてまた泥水すすりながらも這い上がろうとする人は美しいな、生きるとはそういうことだなと思った。

で、その反面でふと思ったもうひとつの仮説、これが壮大な茶番であったらそれはそれでおもろいなということ。

この、4日前に上げられたPVは自撮りでなく、他者が撮影した動画である。先の仮説が事実であるのなら、中原清文が自身で書いた企画書によって、中原清文監督で、友人の誰かにカメラを頼んで撮った動画を編集したに過ぎないだろうが。

しかしもし、「中原くん」が堕ち、復活するまでのストーリーが初めから作られたものであったなら、なんと面白いことだろう。と思った。何ヶ月もかけて物語を完成させてゆくようなシナリオなのだとすれば、型の出来上がったつまらないSNS上での表現に、これまでのありきたりなやりかたのすべてに風穴を開けるようで、新しくて、とっても面白い。

一度堕ち切った人間がそのまま朽ちてしまうバッドエンド。
悲しい終わりを迎えた表現者が、さまざまな憶測の中で過去のひととなり、有名になる話はよくある。画家とか、小説家とかによくいるやつね。

でもそうではなく、見苦しくてダサくて仕方ないようだけれど、批判も起こる中で、血反吐吐いて苦しみながらも少しずつ栄光を掴んでゆくストーリー。

バッドエンドはどこか物悲しくて美しい。
過去の話や記憶というのは必ず美化されるものだからだ。

あるいは悲惨で目も当てられないが、その中のやはり美しさを探すのが人間というもののような気がする。酷く汚れた場所の対にある、美。これを芸術だといったりして崇高なものに仕立てる。

だから、これからまた生きてゆくストーリーが見られることは良くも悪くも、美しさだけにとどまらないうんこまでも、あるいはチンチンまでも表現していくことなんでしょうから

どちらにしても、まあ、中原くん、中原清文の歌よいな、ということでチャンネル登録しました。

また聴きにいきます。おやすみなさい。

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