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歩きたい時。

私は怒っている時、兎に角歩いていたい。
いつもより大きく足を広げて、スピードを上げて、どこまでもどこまでも前に進みたいのだ。
今、まさにそんな気分である。

何故そんな気分でいるかと言うと、職場の同僚に仕事の相談をしていた時の事、その同僚が、〝先輩が私の事を悪く言っていた〟と、わざわざ告げ口してきたのである。
私は傷ついた。その先輩の事を信頼していたので、とても悲しかった。
家に帰ってから、同僚への怒りの気持ちがフツフツ湧いてきた。どうして、わざわざ私が嫌な気持ちになると分かっている事を言ってくるのかが、理解出来なかった。
そう思っていた次の日、同僚が謝ってきたのである。『私なりに考えて言ったつもりだったけど、言うべきではなかった』と。
私は『あなたに悪気がないのは分かっているから、大丈夫だよ』と気にしていないふりをしてしまった。
本当のところは、すぐに謝られてしまい、私は困ってしまった。一度聞いてしまった事は、聞かなかった事には出来ない。でも、『ごめん』と言われてしまうと、受け取らずにはいられなくなってしまう。
相手の気持ちを受け取った後、私の怒りはどこにも行き場をなくして、さらに気持ちがおさまらなくなってしまった。

近頃では、〝すぐに謝る事が良い〟というのが世の中の風潮である。不祥事を起こした芸能人がすぐに謝罪会見をしないと、〝どうして会見をしないのか〟とテレビのコメンテーターが怒っていた。
本当にそうだろうか?涙を流して謝る姿を見せられてしまった被害者はどんな気持ちでいるだろう。と考えてしまう。どんなに周りが加害者とされるその人のことを責めたとしても、許せない自分自身に苦しんではいないだろうか。

自分の気の済むまで、まだまだ怒っていたいのに、まだまだ悔しくて泣いていたいのに。気の済むまでの時間は一人ひとり違うはず。なのに謝られてしまうと、自分の怒りや悲しみは、もう終わりにしないといけないんだ、と思ってしまう。

そんな時、私はひたすら歩く。
どこまでも前に進む。私の怒りのガソリンがなくなるまで。

#日記 #エッセイ #怒り

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