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出産日記②

9月30日(土)。

この日も朝から病院内を必死に歩き回り、出産を促すよう過ごしていました。

面会時間になると夫が会いに来てくれて(母親は仕事の都合で来られず)、一緒に歩いたり話をしたりして過ごしました。

しかし月曜日には会社に出勤しなければならず、日曜日はその準備をするため、立会い出産は諦め午後には東京に戻っていきました。

お互い立会い出産を希望していたけれどそれも叶わず、予定日を過ぎてしまい、今日も生まれそうにない…。

仕方がないこととはいえ、すごく哀しかったです。

しかし夜中、事件が起こりました。

消灯時間になり、赤ちゃんの重みでお腹が苦しい中なんとか寝ついた23時過ぎ、下腹部がツキーンと痛み出しました。

「これはおかしい…」と思いお手洗いに行くと、下着には薄いピンク色の液体と微かに血が。

なんと、破水してしまったのです。

突然のことに気が動転しつつもなんとかナースステーションに行き、夜勤の助産師さんに事情を話し内診してもらうと、破水+おしるしがあるとのこと。

そして子宮口は4㎝くらい開いている、もしかしたら明日中には生まれるかもしれないと言われました。

その言葉に嬉しくなりましたが、夫は帰ってしまった後。

もう少し、もう少し早くおしるしやら破水やらがあれば…!

嬉しいやら悔しいやら、複雑な気持ちになりました。

その後助産師さんに「陣痛セットを持って、陣痛室に行きましょうね」と言われ、ゆっくり歩きながら病室に戻り、陣痛セットを持って陣痛室に向かいました。

明日には生まれるかもしれないんだ…この子の誕生日は10月1日になるのか…ああ、やっと、もうすぐ会えるんだね…!

なんて思っていました。この時は。

そこから2日間も痛みに耐えなければならないことになるなんて知らずに…。

10月1日(日)。

陣痛室に移動し、お腹の張りと赤ちゃんの心拍をキャッチする、NSTのときにも付けた器具をお腹に巻きつけてもらい、ベッドに横になりました。

陣痛の間隔からしてまだまだ生まれそうにはなかったし、夜中だったため少し気が引けましたが、念のため母と夫に「破水した、陣痛室に移動した」と連絡しました。

すると母は「すぐに病院に向かうね」と言ってくれ、夫も「始発の新幹線で病院に行く」と言ってくれました。

その言葉にすごく安心し、来るべき出産のときに備え、陣痛の合間に睡眠を取ったりしていました。

しばらくすると(夜中2時くらいだったかな)助産師さんと一緒に、出産間近な方とその旦那さんらしき方が陣痛室に入って来ました(カーテンで仕切られているのでもちろん姿は見えません)。

会話の様子からして、陣痛間隔が狭く、もうすぐ生まれそうなことが解ります。

ただ、その様子が本当に辛そうでつらそうで…。

自分も陣痛に耐えながら、がんばれ…がんばりましょう…!と心の中で思っていました(その方は1時間足らずで陣痛室からすぐ隣にある分娩室に移動していき、明け方には無事お子さんを出産したようでした)。

辛そうないきみ声を聞きながら、痛くて寝られない…と思っていると、母が到着しました。

夜中3時頃だったと思います。仕事で疲れていただろうに、来てくれて本当に嬉しかったです。

「夫は立会いに間に合うかな、間に合うと良いね、あともう少しだからがんばろうね」

などと話しているうちに夜が明けて、10時頃、始発の新幹線で来てくれた夫も病院に到着しました。

そうです。夜中からずっと陣痛の間隔は全く狭くならず、さっぱり生まれる気配がないのです。

結果夫は立ち会えることになったので良かったのですが、いつまで痛いのが続くんだろう…。

陣痛室でお隣になった方はすぐに分娩室に行けたのに…わたしはいつになったら分娩室に行けるんだ…。

そんなことを考えては弱気になり、そのまま生まれることなく1日は過ぎていきました。

長くなったので、出産日記③に続きます。

多分⑤くらいにまでなりそうな予感です…。それくらい長くて大変な出産でした!


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