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【短編小説】 風来坊より愛を込めて

ーーじゃあみなさん、ちょっと胸に手を当ててください。
そうです。
ちょっとご自分の経験を振り返ってみましょう。

「当たり前のことをやるのは難しいものだ」と言う人は多いですね。そんなことを言う一方、「私は当たり前のことしかやってないのに、どうしてみんな私のようにしないんだ!」と怒り出す上司が多いと思いませんか?

立場が上の者がそのような矛盾したことを言いながら、部下に慕われようなんて、どう思いますか?
イヤな上司ですよねえ。

定期的にマウンティングすることが仕事と考えている人、いるんじゃないですか?

自分の役職と人としての器にギャップがあるからそうなるんですね。それは皆見抜いてますよ。それでもまかり通ってるのは、周りに腫れ物扱いされてるからですよ?

みなさんこれからもどうぞ、マウンティングに精を出してください。他人の価値を下げてね、そのぶん自分の価値を上げてるつもりで、自分の評判と社員の定着率を下げてください。大いに結構。それで潰れる会社が、本当に世の中に必要かどうかーー

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

客席は、異様にざわついている。一部からは拍手と歓声が起こり、また一部からはそれを制する怒号が聞こえる。
「はい、すみませんがここでお時間となってしまいました。質疑応答の予定でしたが、先生の講演は以上となります、ありがとうございました!」
司会進行役がたどたどしくも早口でまくしたてる。話にはまだ続きがあったのだが、私が壇上から捌けると、拍手、歓声、怒号のボリュームが上がる。

『これからの黒字企業のつくりかた』
『講師:経済学博士・月島勇飛 先生』

会場の外のポスターに並ぶ文字の中、自分の名前が目に飛び込んでくる。

「もうこんなことはやめだ」

声帯を震わせずに小さく呟くと、大きな咳払いが出た。長時間のスピーチで喉がカラカラだ。
壇上にペットボトルのミネラルウォーターを置いたまま出てきた。ひとり自販機を探して歩くとしよう。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

風来坊。
それが学生時代の渾名だった。
勇飛(ゆうひ)という一風変わった名前は占い師につけてもらったらしい。飛ぶの字をフライと英訳して、自由気ままな性格を揶揄するように、風来坊である。確かクラスメイトの優等生が言い出したんだったか。そいつの名はもう忘れてしまった。
不良の掃き溜めみたいな地元の高校を出て、金も学もない俺は、ひたすら何年もいろんなバイトをやった。50カ所目くらいが製図屋で、何を血迷ったか社長が俺を気に入り、ムリヤリ正社員にされた。それからは仕事をたくさん任された。深夜残業の多いブラックな職場だったが、給料はまあまあ増えた。ナンパでひっかけた今の嫁さんと出逢い、一人娘を授かって結婚した。

仕事に慣れ、後輩も増えてきた頃だった。所謂リーマンショックのあおりで、希望退職の名の下に職場をリストラされ、ヒマになった。高校時代からなんとなく興味のあった経済の勉強がしたくなって、受験勉強に精を出し、なけなしの貯金をはたいて近所の公立大学に入った。当時32歳で妻子持ちの大学生だ。嫁さんは俺のような男のワガママを許してくれる唯一の女性だ。頭が上がらない。

大学生になってからは、とにかく勉強が面白かった。経済学の教授とウマが合ったおかげだろう。同級生の若い連中には目もくれず、教授と熱く語り合う日々を送り、そのまま大学院の博士課程まで出てしまった。
嫁さんにはパートに出てもらった。幼かった娘にも寂しい思いをさせた。俺も講義や論文の合間を縫ってできる限りのバイトをしていたが、ほとんどは学費に消えていった。

教授からの紹介で、シンクタンク系の企業に雇ってもらい、研究職にありつけることになった。40歳になっていた。忙しいが充実しており、稼ぎも上々だ。これでやっと嫁さんに恩返しができる。そう思った矢先のことだった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

中学生だった娘がグレた。正確には、授業をサボりがちになり、先日昼間から街をウロついているところを補導されたのだという。
ピンときた。俺のせいだ。俺が我慢させてたせいだ。
嫁さんは俺を気遣って何も言わなかったが、ずっと経済的に切り詰めていたはずだ。ずっと子ども心に辛かったはずだ。

職場に事情を話し、頼み込んで1週間の有給を取った。父親として娘の話を聞こうと思い、食事に連れ出したりしながら、対話を試みたのである。
娘は長く伸びた髪で顔を隠して黙りこむばかりで、何かを聞き出すことは叶わなかった。
嫁さんにも頼み込んでパートを休んでもらった。親子3人で中学校に赴き、担任とスクールカウンセラーを交えての面談に臨んだ。
このカウンセラーが娘と相性がよかったらしく、娘は少しずつ少しずつ本音を語ってくれた。

仕事をしていない俺のことを同級生にからかわれて辛かったこと。
欲しいものも行きたいところもたくさんあったけど、俺にも嫁さんにも言えずに我慢していたこと。

娘は幼子のように泣きじゃくっていた。俺も嫁さんも泣いていた。誰からともなく、親子3人で抱き合った。人目などどうでもよかった。娘はあまり泣かない子だったが、本当はずっとこうして泣きたかったんだろう。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

収入はそれなりに安定し、妻子には少しだけ贅沢もさせてあげられるようになった。
娘は好きなミュージシャンと同じエレキギターがずっと欲しかったらしく、中2のクリスマスに買ってあげた。集中力は俺に似たのか、凄い速さで上達していった、と嫁さんが話していた。嫁さんもギターを弾くので、その通りなんだと思う。俺は音楽に詳しいわけではないが、娘はインターネットを駆使してバンドメンバーを集め、ライブには観客がそれなりに入るらしく、我が子ながら凄いものだと思う。
やりたいことをやり、言いたいことも言えるようになった娘の姿は眩しい。たまにバンドの中でケンカもするようだが、不良だった俺は結構なことだと思う。嫁さんは怪我だけはダメよ、と珍しく怒っていたが…

今の職場では中小企業に関する研究が主な仕事だ。大学院時代からの研究テーマでもある。ある時、ちょっと名の知れた出版社に唆され、基礎研究をまとめた本がちょっとした売上を記録した。といっても編集者の意図によって随分と面白おかしい内容になってしまい、あまり自分の本という気がしない、思い入れの薄い作品である。にも関わらず、世の社長さんたちの間で俺の名は勝手に広まってしまったらしく、どうにも気色が悪い。

夜、自室でひとり悩んでいた。とある中小企業の経営者の会から、講演会のオファーが舞い込んできたのだ。メールや電話の類なら無視すればいいが、この手のオファーは別だ。本の宣伝だとか名を売るチャンスだとか、周りは色々と言ってくる。稼ぎになるのは確かだ。俺にとって、金を稼ぐことは妻子への罪滅ぼしなのだ。だが、稼ぎと引き換えに魂まで売りたいとは思わない。だがしかし…

「お父さん」

娘の声に、思わず振り向いた。

「受験のことなんだけど」

「ん、ああ、高校か。好きなところを受けなさい」

「うん、そうする。ここなんだけど」

娘がパンフレットを差し出す。私立恵比寿第一高校。元・恵比寿女子高か。自由な校風で人気だと聞く。娘にぴったりじゃないかと思った。

「芸術コースもあるのか。いいんじゃないか。お母さんには?」

「うん。ちょっとケンカになったちゃったんだけど…。最終的にはオッケーもらってる。入試、来月だから」

「おお、了解」

来月入試か。もうそんな季節なんだな。
確か講演会とやらも来月だったかーー。

「瑠奈」

「なに?」

振り向いた娘の眼差しはあまりにもまっすぐで、少し言い淀む。

「…ありがとな」

「っなにがよ?」

「いや、おやすみ」

「うん。おやすみ」

瑠奈。お父さんもちょっとケンカすることにしたよ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「先生!先生ここに、いたんっすか、はぁ、」

自販機の前で缶コーヒーを飲んでいると、講演会の主催者サイドの若い男に呼び止められた。走って探し回ったのか、随分息を切らしている。

「打ち合わせにない、お話を…されては、その…」

俺は男の言葉を片手で制し、頭を下げた。

「予定を変更させてしまい申し訳ありません。しかし、オーディエンスの態度があまりにも酷かったもので」

「はぁ、、?」

「私の本分は基礎研究です。あの本のようなユーモアあふれる人間ではなくてね。面白い話を期待したのか、はたまたうまい儲け話でも聞けると思ったのか、講演中の居眠りが10名、私語は20名。数名の経営者が数合わせに幹部や社員を大勢連れてきたようだが、誰も彼もとても何かを学ぼうという姿勢が見えなくてね。そんなに面白い話がご希望ならと、後半に少し目の覚めるような話をさせてもらいましたよ」

相手から目を逸らさず、矢継ぎ早に言い放つ。男は話が飲み込めていない様子で、鯉のように口を動かしている。

「では、責任者の方にみっつ伝言をお願いします。イチ、出演料は不要です。ニイ、余った講演時間は私のあとの先生方にお譲りします。サン、今後おたくからのオファーはお断りします。」

男はハッと思い出したようにスーツの懐から手帳とペンを取り出し、高速でメモを取る。素直な奴だ、こちらとしては都合が良い。

「ああー、そういえば、もうひとつ。ヨン、私はこのまま帰ります。では」

言い終わらぬうちに、俺はタクシー乗り場へ走り出した。振り返ると、男が呆然と立ち尽くしていた。にわかに泣きそうになりながら、追いかける素振りを見せたものの、力なく減速し、携帯を取り出していた。
上の人間に報告だろうか、好きにしたらいい。

なんだ、ケンカにもなりゃしないじゃないか。
まあいい。俺は風来坊の勇飛だ。
博士でも先生でもない。ただ、好きなことをとことんやりたいだけの男だ。

胸中で独りごちながら外まで走り、タクシーに飛び乗る。
息を切らしながら運転手に自宅の住所を告げ、後部座席にもたれかかる。

40を過ぎた運動不足の体には少しばかり酷な作戦だったが、やりたいことはできたので悔いはない。

本当は恙無く講演を終えても良かったのだが、聴衆の不真面目さが目に付いたところで、やはりこんな講演はめちゃくちゃにしてやろうと思い、あらかじめ考えておいた通り、あることないこと言ってやった。
場合によってはもみくちゃにされることも覚悟の上だったが、さすがにそんなことにはならず、皆大人だった。青臭いのは俺とパシリの男くらいのものだった。

俺の話で何人寝てただの、くっちゃべってただの、本当は数えてなんかいない。
ただ、どんな形であれ、俺は俺を取り戻したかっただけだ。

やりたいことを見つけて、それに突き進んでいく瑠奈が少し羨ましかったのかもしれない。娘に背中を押されてこんな真似をするなんて、父親としてどうなんだろうなと思うと苦笑が漏れる。

タクシーは信号に捕まり、料金メーターはどんどん上がっていった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「あ、受かったよ」

休日の朝、いつの間にか髪を短く切っていた瑠奈が、志望校合格を素っ気なく告げた。

「おお、そうか、おめでとう!」

「ありがと。でもお祝いとかいいからさ、次のライブの準備で忙しいし」

「いやいや、何が欲しい?なんでも買ってやるぞ」

「いいって、こないだ仕事蹴ってお金ないんでしょ?」

あの後、事情を知る娘は、やるじゃん、と笑っていた。
嫁さんも同僚も笑って受け入れてくれた。
これほど人に恵まれた風来坊も珍しいな。
そう思うと、なんだか俺自身も笑えてくる。

「あ、お父さん。今度日曜にライブあるから、それ見に来てくれない?お祝いそれでいいよ」

「え?おう、行く行く、何回でも見てやる。最前列で見てやる」

「そこまではいいってばw」

いつものパターンだ。
嫁さんは朝からパートに行ってくれている。
瑠奈と二人で話すのも一カ月ぶりだ。

「瑠奈」

「なに」

「ありがとう」

「なにそれ、ライブのことなら別に、家族なんだし誘うくらい当たり前だし」

「瑠奈、当たり前のことなんか、この世にひとつもないんだよ」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

あとがき

文章は、これまでの人生で色々たくさん書いてきました。
しかし、小説という形で書き上げたのは、実はこれが初のことです。
今回のお話は、私が描いたイラストから始まった企画 #13girls の主要キャラの一人、「月島瑠奈」の父親、経済学博士という設定の「月島勇飛」の目線で描いた、誰得なスピンオフとなっております。

瑠奈というキャラは、熱血バンド少女です。王道少年漫画の主人公にできそうな、とてもシンプルなキャラクターです。コンビになるブレンダというキャラには非常に複雑な設定を盛り込んだのに対し、瑠奈は設定の掘り下げが表面的になってしまっていました。そこで本人ではなく家族の立場からストーリーを考えることで、瑠奈というキャラの別の側面を浮かび上がらせようとしたのが今回の小説です。
勝気なキャラとして描いた瑠奈の「普通の女の子」としての顔を表現できたのではないかと思っています。

キャラへの愛着ゆえか、意外なほど筆が進み、一気に書き上げました。父親である勇飛というキャラには多少私自身の経験を投影している部分があります。私の年齢的にも高校生よりはその親世代に近いですし。

主要キャラの親、家族、先生といったサブキャラクターの掘り下げは企画的にも重要だと思っていますので、今後私から設定画などを公開していけたらと考えています。

また、皆様からのご提案があれば設定にどんどん付け足していきたいと考えています。作品に登場させる形でも、設定画形式でも、どのような形であっても構いませんので、複数名の視点によって作品世界を豊かにしていければと思っております。

#13girls #小説 #短編小説

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