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【選挙ウォッチャー】 沖縄県民投票2019・分析レポート。

実に23年ぶりに行われた沖縄の県民投票は、歴史に刻まれる「伝説的な結果」となりました。当初は県民投票そのものに反対する人たちもいたのですが、蓋を開けてみれば、投票率は50%を超え、「反対」に投じられた票数は玉城デニー知事が獲得した約39万票を超え、また、すべての自治体で反対票が賛成票を超え、安倍政権が押し進める工事の強行に対し、これ以上ない形で明確に拒否する姿勢を示したのです。明らかに正義のない基地賛成派の人たちは、さまざまなデマを並べたあげく、投票をボイコットする作戦を呼びかけていましたが、足並みが揃わなかったばっかりに、サッカーで言うところのオフサイドトラップに失敗したような形になり、姑息な作戦の数々はすべて裏目に出ました。

改めて、今回の住民投票のテーマを確認したいと思いますが、今回の住民投票はあくまで「辺野古基地建設における埋め立ての是非」を問うものです。すべての米軍基地を無くすべきかを問うものでもなければ、普天間基地を返還してもらうべきかを問うものでもなく、あくまで「辺野古基地の建設における埋め立て」を問うものになります。おそらく「普天間基地はなくすべきか」という住民投票が行われれば、今回の住民投票の結果以上に、ほとんどの沖縄県民が「なくすべき」と答えたと思います。しかし、今回は辺野古基地の埋め立てをめぐる是非が問われており、普天間基地の返還を前提にした場合でも、海を埋め立てる辺野古基地の建設には約72%の沖縄県民が「反対」であることを明確に示し、早急な普天間基地の返還を求める一方、海を埋め立てる形の辺野古基地を建設するべきではないということを示したことになります。そもそも「普天間基地を返してほしくば辺野古基地を建設しなければならない」というワンセットこそ、辺野古基地を建設したいステークホルダーたちの強引な括り付けであり、普天間基地の返還と辺野古基地の建設がワンセットであること自体がおかしいのです。常識的に考えて、4万本以上の杭を技術的に不可能な90mの深さまで打たなければならない辺野古基地の建設計画は、お金ばっかりかかって、いつまで経っても建設されないに決まっています。辺野古基地が完成しなければ普天間基地が返還されないのだとすると、10年や20年かかっても建設できやしないであろう辺野古基地の完成を待つことになり、それこそ普天間基地の固定化は避けられません。また、完成したとしても滑走路が短すぎるため、那覇空港の軍事供用が求められています。民間機がなかなか離発着できないようになると、いまや沖縄経済を順調に伸ばしている観光産業にも大きな打撃となることは間違いなく、2兆5500億円と言われる建設費がもっと高騰したあげく、経済的にもマイナスになる話をしているのですから、圧倒的にデメリットだらけです。こんなものをガタガタ言いながら「建設した方がいい」などと言っているネトウヨどもの脳味噌の方がよっぽど軟弱地盤の土のようにマヨネーズ状なので、今回の県民投票の結果は極めて真っ当であると言えそうです。


■ 県民投票の結果に関係なく工事が強行された

今回の県民投票によって、辺野古基地の建設には「反対」であるという明確な民意が示されました。しかも、投票率は過半数となる50%を超え、そのうち7割以上の人が「反対」に投じ、沖縄県内すべての自治体で「反対」「賛成」を上回るという結果になりました。また、全世代において「反対」「賛成」を上回っていますので、世代間による格差もありません。沖縄県民は普天間基地の速やかな返還を求める一方で、辺野古基地の建設には反対だと言っているのです。ネトウヨは「辺野古基地を建設しなければ移設ができない」と言ってしまいますが、そもそも辺野古という軟弱地盤の土地に基地を建設することが物理的に不可能であり、無駄に税金を投じて環境破壊が進むばっかりで、基地完成の目処など立てられるはずがなく、完成の目処の立たない計画に普天間基地の返還を委ねるなど、普天間基地の危険を取り除くどころか、いつまで経っても普天間基地が返ってこないことを決めるようなものであると気付いているのです。普天間基地と辺野古基地の完成をワンセットにすればするほど、むしろ逆効果になるため、普天間基地が永久に返ってこない。普天間基地のある宜野湾市でも辺野古基地の埋め立てに反対票が多かったのは、地元の頭の悪い市議たちが辺野古基地とのワンセットを力説しても、多くの市民がデタラメであることに気付いているということになります。そして、その頭の悪い政治家の筆頭にいるのが安倍晋三総理です。安倍晋三総理は県民投票の結果を「真摯に受け止める」としました。アベ語で「真摯に受け止める」「無視する」という意味になりますが、日本語なのに日本語の翻訳が必要なペテン師総理大臣は「真摯に受け止める」とは言ったものの、工事の一時中止を指示するわけでもなく、工事の強行は継続したのです。

この写真は、まさに県民投票が行われた翌日、2月25日に辺野古基地のゲート前で撮影したものです。皆さんも言うように沖縄県民投票には「法的拘束力」はありません。どのような結果になったとしても、法的に止めることはできないということです。しかし、逆に言えば「日本が民主主義国家かどうかが試されている」とも言うことができます。民主主義国家であれば、県民の意思を受け止め、すぐに工事が止まるはずです。しかし、県民の意思が無視されるようであれば、これは事実上の「独裁国家」であると言っても過言ではありません。国民や県民がどう思おうと権力者の意のままに進められてしまうのだとすると、それはもう「独裁国家」であり、民主主義国家ではありません。となると、日本は「先進国」ではなく、中国や北朝鮮、ロシアと同じような事実上の独裁国家であり、僕たちが中東の人たちを「なんとなくヤバそう」に見ているのと同じように、世界からは「極東アジアのクレイジーな国の仲間」としか見られません。むしろ、北朝鮮が急速に国際感覚を手に入れようとしている中で、日本は世界の潮流に逆行し始めています。

まるで外国で起こっている出来事を見ているようですが、県民投票で明確に「反対」の意思が示されても、ゲート前で反対を訴える人々が辺野古基地の中から現れた警察によって排除され、土砂を運ぶためのダンプカーが次々と辺野古基地の中に入っていきました。沖縄以外の場所で暮らしている人たちにとっては、あまり馴染みがなく、この写真を見ても何も感じないかもしれません。しかし、約72%の沖縄県民が「辺野古基地を作るために土砂を埋め立ててほしくない」と思っているということは、ここで反対している人たちは「マイノリティーの活動家」ではなく、「多くの沖縄県民を代表する存在」ということになります。皆さんそれぞれに仕事があるので、いくら辺野古基地建設に反対だと言っても、どうせ警察に排除されることは分かっていながら、ここで座り込む人は少ないかもしれません。だから、多くの人は県民投票で「反対」に投じるのがせいぜいです。ここに座り込めば、ボギーてどこん氏をはじめとするデマゴークたちの手によって顔を晒され、日常生活が過ごしにくくなってしまうリスクもあります。こうした嫌がらせにも屈せずに座り続けられる人は限られている。だけど、ここで体を張って止めている人たちは紛れもなく「沖縄県民を代表する人」なのです。ネトウヨのデマゴークたちによって、今日までまるで少数派の変わり者のように扱われてきたのですが、大多数の沖縄県民が反対していることが示された今、彼らは沖縄県民の代表です。雑に扱うことは許されないのです。

辺野古のゲート前でどうにか工事を止めようとする彼らの後ろには7割の沖縄県民がいます。それなのに、県民投票が行われ、県民の意思が示されてなお、何事もなかったように工事が続けられている様を見ていると、これまでさまざまな不祥事がありながらも、何事もなかったように大臣を辞めず、責任を取らず、やりたい放題にやってきた安倍政権の悪質さが象徴されているように思えます。国民の意思が尊重されないのだとすると、政治家たちは何のために政治をしているのでしょうか。これでは国民のためではなく、基地建設でウマウマする業者のために仕事をしている「政治屋」です。


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