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【選挙ウォッチャー】 吉村洋文市長の「聖域なき教育改革」は成功するのか。

先日、小中学生の全国学力テストで、大阪市が政令指定都市の中で2年連続となる最下位だったことを受け、大阪維新の会の政調会長にして大阪市長の吉村洋文さんが吠えました。「万年最下位でいいと思うなよ!」。この言葉は明らかに大阪の教職員に向けられたものです。大阪維新の会は橋下徹市長の時代から「聖域なき教育改革」なるものを続け、民間から校長先生を公募しまくり、連れてきた校長がだいたいポンコツという地獄に陥り、教職員は疲弊してきました。自らの失策を棚に上げ、子供の学力が上がらない責任を教職員に押しつけている。残念ながら、吉村洋文さんは世の中に蔓延る典型的な失敗する上司なのです。

これは今年4月、大阪市の中学生の英語力が全国5位だったという喜ばしいニュースを受け、吉村洋文さんがツイートしたものです。どうして中学生の英語力が上がったのか。もちろん、教えている先生方の創意工夫が素晴らしく、子どもたちの能力を伸ばしたからだと思いますが、吉村洋文さんは「橋下徹さんが市長だった時から英語イノベーション事業を開始し、英語教材にもこだわり、自分が小学校低学年から英語に触れる授業をしたから」だと主張しました。要するに、良かった時には自分たちのお手柄だと言い、悪かった時には教師の能力が低いからだと言うのです。そう、これは皆さんのまわりにいる「クソみたいな上司」とまったく一緒です。そして、いつの時代もクソみたいな上司は責任を取らずにのさばり続け、結果を出すことはありません。なぜなら、部下のモチベーションを著しく下げるからです。考えてもみてください、お手柄は自分たちのものになり、失敗の責任だけはきっちりと部下のものになるのですから、大阪市内で教師をすると、給料が下がることはあっても上がることはないのです。これで子供のためにモチベーションを保てない奴はプロ失格だとか言われてみてください。グーで殴りたくなるんじゃないでしょうか。


■ 子供の学力を上げた先に何があるのか

「勉強ができるのと勉強ができないの、どっちがいいんだ?」と聞かれたら、そりゃ誰だって勉強ができる方がいいと答えるに違いありません。プロ野球選手やYouTuberになるならともかく、医者や弁護士を目指そうという子供がいるなら、資格を取れるぐらい勉強しないとなれない仕事なのですから、夢に向かって勉強するしかありません。それはプロ野球選手になりたい子供が毎日家の外で100回素振りをするようなものです。しかし、まだ将来の夢が決まっていない子供が、あとからどんな職業にもなれるように勉強しておくことはあっても、画家や音楽家になりたい子供には勉強もそこそこに豊かな芸術性を励んだ方がよほど大物になれると思います。よく子供たちから「何のために勉強するのか?」と質問されることがあると思いますが、勉強は目標を達成するためのプロセスの一つでしかなく、プロ野球選手を目指す子供たちは、万が一、プロ野球選手を諦めざるを得なかった時のための保険として勉強することはあっても、目標を達成するために最も必要なのは「野球の練習」です。そんな前提があった上で、吉村洋文市長はどうして子供の学力を上げたいのでしょうか。それは「万年最下位でいいと思うなよ!」という言葉が象徴するように、吉村洋文さんが「最下位がイヤだから」です。子供たちのためではなく、教育に力を入れている自分が市長をやっているのに最下位だなんて恥ずかしいからです。

実は、この吉村洋文市長とまったく真逆の思想で「子供を守る」を公約に掲げ、先日の東松山市長選に立候補したのが、東大教授の安冨歩さんです。安冨歩さんは、学校でイジメられている子供が目の前にいても、それを横に置いて授業を進めてしまう現代の学校教育を批判しています。子供の個性や多様性を殺してしまう「勉強することが正義」という学校教育が、エリート官僚や政治家を育て上げ、現代の歪んだ世界を作り出している。この話は中間分析レポートがアーカイブとして残されているので、ぜひ読んでみてください。見事なほどに対照的なのですが、吉村洋文市長がやろうとしていることは「子供のため」と見せかけて、本当は自分のためです。もし本当に子供のためを考えているなら「万年最下位でいいと思うなよ!」という言葉は出てこないはずです。


■ 吉村洋文市長の危険な教育改革

多くの人が「そんなことをしたら大阪の教育は本当にダメになってしまうのではないか」と心配する中、吉村洋文市長は慎重派の意見には一切耳を傾けず、独自の「意識改革」とやらを断行しようとしています。失敗は他人の能力のせいにするけれど、成功したことは自分の能力のおかげにする。こんなことばっかりしているので、いつしか失敗は記憶から消され、成功した記憶だけが積み重なり、全戦全勝の「最強の俺」が出来上がり、自己評価と現実に大きな乖離が生じます。結果、自分の無能さには永久に気付かないハッピーなオジサンに仕上がり、とうとうこんなことを言い始めました。

①学力テストの明確な数値目標を定め、校長、教員の評価に反映させる。社員のモチベーションを高めようと思った時に「ノルマ」という制度ほど頭の悪いものはありません。理由は簡単で、減点されることはあってもボーナスをもらえることがないからです。「ノルマ」というのは「達成して当然の数値」なので、達成した人間は当たり前、達成しない人間は無能と分けることです。叱られることはあっても褒められることはない。こんなモチベーションの上がらないことを平気でやってしまうタイプの人間は、だいたい目標設定の空気も読めないので「現状を上回ること」みたいな優しいものではなく、いきなり「この点数より上」みたいなことを言い始めます。現場にいる人間が「この目標ならイケるだろう」と設定したものではなく、何もわかっちゃいない部外者が「これぐらいじゃないと困る」とか言い出すので、非現実的な目標設定になって達成率が下がった末に「やっぱり大阪の教職員はバカなんだ!」みたいなことを言い出すことになるのです。しかも、国語や英語の点数が上がったのに数学の点数が伸び悩み、結果として目標を達成できなかった場合、校長の給料は減らされることになります。校長としては「数学の先生のせいで自分の給料が減らされた」という気持ちになるので、数学の先生を嫌いになります。こうして職員室の中が分断されるようになり、教職員同士の関係性がギクシャクして、働きにくい環境が出てきます。子供に勉強を教えたくて学校の先生になったのに、教職員同士の人間関係に悩んで仕事を辞めることになる。教師の人生が変わる。吉村洋文さんはそんなことをやろうとしているのです。

②教育委員会を4ブロックに分割、地域担当制にし、現場重視主義に変える。これもまた教育委員会の分断になります。大阪市内に教育格差を生み出し、今度は地域を分断するようになります。「私は中央区だから」とか「私は西成区だから」みたいな話が出てくるようになり、ますます教育委員会に責任を押しつける仕組みが出来上がります。そういえば大阪維新の会は選挙の時に「One Osaka」というキャッチフレーズを使っていたと思うのですが、これなら「A quarter of Osaka」にした方がいいんじゃないでしょうか。

③勉強を頑張る子供のために、複数の特別進学中学校を作る。なんと、公立の中学校が「頭の良い子」「そうではない子」を分けて、頭の良い子は「特進」という特別扱いにするというのです。公立の中学校が小学6年生の子供たちを「キミは勉強を頑張ったから特進中学校に入学できる」「キミは基準に達していないので勉強を頑張って来なかったんだ。だから特進には入れないよ」と分断するのです。義務教育ではなく、行っても行かなくても良い高校に偏差値があって、頭の良い子とそうではない子が別の高校に進学するのは社会の洗礼だとしても、小学校を卒業したばかりの子供に公立中学校がヒエラルキーを作るのは「教育の平等」なのでしょうか。入学の基準を満たしていない子供が「それでも特進中学校に入りたい」と言った時には入学を認めてもらえるのでしょうか。

僕のサラリーマン時代が最高の上司だったかと聞かれたら、おそらく吉村洋文市長と同じぐらいクソだったかもしれませんが、過去の反省を踏まえて言うならば、これは「パワハラ」以外のナニモノでもありません。要は、「ダメだった時には来夏のボーナスを全額返上するので、オマエらの給料も減らす」というのです。しかし、こればっかりは大きな声で言わせてもらいましょう。「知らねぇよ!」と。オマエのボーナスがどうしようが、こちとら生活をかけて働いているわけで、コチラの事情を微塵も考慮せず、オマエの都合でオマエのクソみたいなボーナスをどうしようが「知らねぇよ!」と。「1円も返上しなくていいので、こういうくだらないことをしないでください」って話なのですが、お互いの合意があったわけでもなく、一方的に「ダメだったら減給だ」と押しつけているのです。ちょいと理由があってギリギリの生活をしている教師が、その削られた給料のせいで薬代が払えなくなったらどうするつもりでしょうか。そんなのはオマエの自己責任だってことで終わりでしょうか。すべてが自己責任だというなら税金を取る意味はなくなるので、行政なんて必要ないし、市長も必要ありません。

だいたい吉村洋文さんは「家庭の問題と相関関係がある」とした上で、貧困の子供にも教育を施すのが教職員の役割なんだから、家庭の問題を言い訳にしてはいけない、だから「聖域なき教育改革」をやると言っているのですが、振り返ってもみてください。その「聖域なき教育改革」とやらは、「君が代を歌わないヤツはクビ」と言い出すところから始まり、学校の先生に対して「歌っているかどうか口元をチェックする」と言い出して教師の尊厳を奪い、あげく「教育畑で育った校長先生は世間知らずだ」とかナントカで、校長先生を民間から公募しまくり、会社であんまり活躍できなかったオジサンたちのハローワーク状態となり、教育現場に破壊と混乱をもたらしたのはどこの誰なのでしょうか。これは「教育ムラの内輪論理」ではなく、ビジネスにおけるモチベーションの観点から見ても、成功する気がしないという話です。第一、これまでにやってきた大阪維新の会の「教育改革」とやらに実績がないのです。給料を減らされることを避けるため、とにかく数字だけでも帳尻を合わせようとすると、今度は学力の低い子供を休ませて学力テストを受けさせないなどの裏技が繰り出されるようになり、見た目では解決したように見えても事態はもっと深刻だということになりかねません。だいたい日本は「女子」だというだけで一律減点される国なのですから、給料を減らされるかもしれないとあらば、背に腹は代えられません。テストにカラクリを仕掛けても不思議ではない。そういう環境を作り出そうとしているのが吉村洋文市長なのです。

今、吉村洋文市長のやり方を批判しているのは「教育ムラ」の人たちではなく、数々の辛酸を舐めてきた大人たちです。これまで経験してきた「クソ上司あるある」に当てはめた時にピッタリとハマる吉村洋文市長は、このままだと失敗すると親切に警鐘を鳴らしているのです。平均を30点から35点に引き上げる先生は確かに優秀かもしれませんが、イジメを解決する能力、子供の可能性を引き出す能力、子供の笑顔を増やす能力に溢れた先生は評価してもらえません。これが会社だと思って考えてみてください。会社全体の営業成績が良くないのです。どうして営業の成績が良くないのかと考えた時に、この上司は「営業マンがバカだから」だと言うのです。そして、営業マンに「こうやって営業しろ」というマニュアルを作り、ノルマを下回った時には減給をするというのです。営業マンが奮闘して全員がノルマを達成したとしましょう。この時、この上司は何を言うのかって「俺が作ったマニュアルが完璧だった」と言い、営業マンには「俺の作ったマニュアル通りによく頑張った」と言うのです。実際はテメエのマニュアルなんか無視して営業していたかもしれないのに、お手柄は自分のものになっちゃうわけです。しかし、どうやっても契約件数が下回った時は「俺が作ったマニュアルがダメだったのかもしれない」なんて考えることもなく、すべて営業マンが無能だったという話にされて、給料を減らされ、営業マンはさらにモチベーションを失うのです。どうせ頑張っても報われないのだから一生懸命やらない方がマシ。その生産性はさらに低下します。このままでは大阪の教育はとことんダメになってしまうかもしれない。そうならないように、みんなが「心配している」ということに、吉村洋文市長は気づくでしょうか。「最強の俺」には難しいかもしれませんけど。


■ 選挙ウォッチャーの分析&考察

吉村洋文市長の「聖域なき教育改革」は、きっとうまくいかないだろう。こんなふうに考えてしまうのは、僕が人生の中で辛酸を舐め倒してきたからなのかもしれません。しかし、こんなクソ上司が成功している例を僕は一つも知りません。なのに、大阪で暮らしている大多数の人は、そんな吉村洋文市長を温かく見守り、「頑張れ!」と言っています。こんなにパワハラじみたことがあっても平気で見過ごし、自分の子供や孫の人生が学校で変えられてしまうかもしれないのに、誰も文句を言わないのです。これ以上、政治や選挙に無関心を続けて良いものでしょうか。この上司は選挙によって変えることができますが、今のところ、変わる日が来ることを期待できません。それが「日本」という無関心国家の現実です。明日は吉村洋文市長とは真逆の主張を繰り広げる安冨歩さんが立候補した東松山市長選の分析レポートを公開する予定です。お楽しみに。[了]

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