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【選挙ウォッチャー】 丸2ヶ月が経った能登半島地震の被災地の今。

 僕には後悔していることがある。
 2022年3月、僕は石川県知事選と合わせ、輪島市長選を取材した。金沢から輪島までは2時間近くかかるため、いちいち金沢に帰っているのでは効率が悪いと、この日は輪島市内のホテルに宿泊し、翌朝、名物の「輪島朝市」を散策することにした。
 とても風光明媚な所で、自分ひとりで楽しむのでは、なんだかもったいない気がして、「どうせだったら、今度、誰かと来よう」と思って、この日はサッと歩いただけで、じっくりと朝市を楽しむことにはしなかった。
 だが、それから2年ほど経っても再び輪島を訪れる機会はなく、2024年の元日に震災があった。ニュースで輪島の朝市通り周辺が大規模に燃えていると聞き、せめて半分くらいは残ってほしいと願ったが、周辺はただの1軒も残ることなく焼け落ちてしまった。

 2年前に、ほんの30分ほど立ち寄っただけだが、輪島朝市の景色はよく覚えている。それは想像以上に「清潔」だったからだ。一般的に「朝市」と言うと、鮮魚が並んでいる行商がたくさんあるイメージだが、「輪島塗」が名産ということもあって、魚を扱っている屋台もあることにはあるが、鮮魚独特の生臭さが漂うものではなかった。
 朝からそれなりに観光客が歩いていて、高級な輪島塗の器だけでなく、庶民的に手が届く輪島塗の箸なども売られていて、お土産で買うにはちょうどよかった。問題は、僕にお土産を買っていこうと思うような友達がいないことくらいだ。

 散策した時の様子は、取材記録用のツイキャスに残されていた。観光客のプライバシーに配慮して、やや地面が映っている時間が長いが、それでも朝市通りが素敵な所であることが少しくらいは伝わるだろう。
 僕が取材した日は2月25日だ。震災から丸2ヶ月が経ち、少しくらいは瓦礫の整理が進んでも良いのではないかと思うが、実は、輪島市の潰れた家屋や焼け落ちた朝市通りは、まるで手がつけられていない。

斜めになった電柱も、車道に飛び出した瓦礫も、すべて手つかずの状態で残っている

 はっきり言って、丸2ヶ月が経つのに、今も震災直後のような景色が残されているというのは異常だ。斜めになった電信柱、道路に散乱した瓦礫、切れてぶら下がったままになっている電線・・・。大津波により、500km以上が被災地となった東日本大震災の時でさえ、この状態で放置されることはなかった。瓦礫を運搬するためのトラックが通る道ぐらいは確保されていてほしいが、それすらされずに残っているのだから、どれだけ手が足りていないのかという話になる。

道路を塞ぐように倒壊した輪島市役所からすぐ近くの家

 輪島市に限らず、能登半島の被災地全体に言えることだが、道路を塞ぐように倒壊している家が、今もそのままになっている。倒壊した瓦礫を撤去する作業は、まったく進んでいない。
 ということは、この道の先にある家々についても、まったく手つかずになっているということだ。仮に耐震性のある家に住んでいて、家屋が奇跡的に無事だったとしても、手前の道路が寸断しているので、その先の家に戻ることはできない。
 今は主要な幹線道路の仮補修が進められている段階で、金沢市内から輪島に来るのに一度も渋滞にハマらなかったが、その代わりに、被災した人々が生活する道路は後回しだ。残念ながら、かつてのような「スピード感のある復旧」はできていない。
 どうしてこのようなことになっているかと言えば、単純に「リソースが足らないから」ということになる。お金も足りないし、作業をする人も足りない。東日本大震災の時でさえ、日本はけっして好景気と言える状態ではなかったが、あれからわずか13年で、日本は「復興」はおろか「復旧」する力も失ってしまったのではないだろうか。

輪島の朝市通り周辺はボランティアの手が入っていて、少しだけ片付いている

 手つかずの状態が広がる輪島の被災地の中で、唯一、人の手が入っている形跡のある場所が存在する。それが朝市の出ていたメインストリートだ。驚くことに、ここには道に瓦礫が一つも落ちていない。
 これはけっしてブルドーザーで押しのけたわけではない。道に散乱していた瓦礫を丁寧に拾い、細かい瓦礫を箒で掃いた跡だ。国や自治体が何もできていない現状を考えれば、これをやったのは「被災者たち」だ。そして、ここには僅かであるが、「野良ボランティア」が入った形跡もある。

焼け落ちた瓦礫の中から見つかった食器や時計、置物などが丁寧に置かれていた

 これは東日本大震災の時にも見られた光景だ。
 もしかしたら、大切な人が愛用していた茶碗や思い出の時計などが形を留めているかもしれない。こうしたものを瓦礫の中から掘り起こし、静かにまとめて置いておくというボランティアがある。
 このあたりがお土産屋さんだったこともあり、商品だったものが多く混ざっている可能性はあるが、多くの物が焼けて失われた中で、被災した方々が再び大事なものに出会えることを祈る。

赤ちゃんが遊んでいたとみられるプラスチック製のアンパンマンのブロックは残っていた

 こうしたボランティアは、行政が募集するボランティアの中にはいない。
 行政が募集するボランティアは、生活を再建する人たちの準備を手伝うものが多く、使えなくなった家具の運び出し、家の中に広がる瓦礫の撤去などがメインとなりがちだ。
 しかし、まずは瓦礫を撤去する前に、大切なものが落ちていないかどうかを探すボランティアがあって、どれだけ役に立つのかは分からないけど、もしかしたら、見つけた時に涙を流して抱きしめる人がいるかもしれないことを考えれば、行政に管理されたものではない「野良ボランティア」が、いかに大きいものかが分かるだろう。
 以前にも書いたように、ボランティアというのは、実に多種多様だ。こうして被災地の現実を知ってもらうために無料で記事を書くことも、広い意味ではボランティアであり、おばあちゃんの肩を揉むだけでも、美味しいコーヒーを淹れるだけでもボランティアである。

倒壊の恐れがあるため、野良ボランティアが近づきにくい場所もある

 この国の政治家は、どんどん「ポンコツ」になっている。
 昔の日本には、すごい政治家がたくさんいたのかもしれない。しかし、腕利きで知られた先代はお亡くなりになり、2代目のボンクラ息子が地盤を継いで、3代目になる頃には一般企業でも通用しないレベルのゲロを吐くようなポンコツが政治家になってしまう。はっきり言って、そこらへんの中学生の方がはるかに賢い。
 それだけではない。SNSの時代に生まれ、ネットでの発信力を武器とする40代の若手議員も、「俺を見ろ!」「私を見て!」で政治をしているため、「何を言えばネット民にウケるか」ばかりが重視され、現実をまるで知らずに適当なことを拡散してしまう。それがあの「渋滞デマ」である。

 あの時も、僕は現場から記事にしている。
 震災の直後、渋滞を起こしていたのは、他県からやってきた迷惑ボランティアの車ではない。のっぴきならない事情を抱えていた被災者や、その家族などの車だ。
 もし、そのことを冷静に伝えられていたら、あらゆるボランティアがこんなに自粛をすることはなかっただろう。いまや「ボランティア=悪」というイメージさえ出来上がってしまい、能登半島地震の被災者たちを支援するボランティアは、他の震災と比べものにならないほど少ない。少なくとも、七尾市や内灘町には渋滞を回避しながら支援できたし、前線を少しずつ北に進めることで、輪島や珠洲にたくさんの手を差し伸べられたはずだ。

避難所にコーヒーやハンドクリームなど気の利いたものを届けた

 被災地ではコーヒーさえ「贅沢品」と考えられ、行政から差し入れられることはない。なので、避難所で生活している人たちがコーヒーを飲むためには、気の利いた野良ボランティアが差し入れる以外に方法がない。
 というのも、避難所で生活している人の多くは、高齢だったりして、買い物に行くための足がなく、所持金も少ない。だから、今でも物資を届けに行けば「インスタントコーヒーをいただけたら、ありがたい」なんてリクエストをいただくのだ。
 若い頃にヤンチャだった人間は、異常に行動力がある。「欲しい」と言われれば、即調達だ。この小学校では「何か足りないものはあるか?」と聞くと「バスタオルと男女の下着」と答えが返ってきたので、そのまま市街地に買いに行き、数時間後には再び届けた。

大量に買い込んだバスタオルや男女の下着を数時間後に調達した仁尾淳史さん

 震災の直後、真っ先にやったことが「ボランティアの排除」だった失敗は非常に深刻で、道路の仮補修がある程度進み、渋滞の心配もなく輪島や珠洲に行けるようになった今も物資が不足しがちで、あらゆる面で人の手が足りていない。

「復興」はおろか「復旧」にさえ見通しが立っていない輪島の朝市通り

 1995年の阪神淡路大震災、2004年の新潟県中越地震、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震。災害大国ニッポンで暮らす我々はこの数十年の間にたくさんの大地震を経験しているが、これほど復旧に時間がかかり、まったくと言っていいほどボランティアが入っていない地震は初めてだ。
 工事の数も少ない。かつてのように「エイ、ヤー!」で復旧や復興に予算をかけられなくなったこともあるかもしれないが、働く人がいなくなり、今は建設業界も手一杯だ。数少ない作業員をどこに振り分けるのかと考えた時に、はっきり言って、能登半島は「後回し」だ。今、ニッポンが国をあげて建設しているものは、被災地の建物ではない。

世界最大となる木製リングが建設されている「大阪万博」の会場

 来年の春に開幕するという「大阪万博」の木製リング。
 この木製のリングだけで、建設費は約350億円。豪華なトイレは1ヶ所で2億円。大阪万博全体では、実に10兆円が投じられている。
 一方、住宅を再建するために被災者に300万円が配られるが、その予算の総額は76億3540万円となっている。被災した人たちの生活より、木でできた巨大リングの建設に人とお金を使うのが、美しい国・ニッポンの姿である。
 ちなみに、大阪万博の会場となる夢洲は、もともとゴミの処分場として埋め立てられた土地であるため、もし震度6以上の大きな地震が起きたら、内灘町のような「液状化現象」が起きる。

液状化現象によって、家の前の階段が大きく傾いた内灘町の住宅
グニャグニャに曲がって、郵便ポストも斜めになっている内灘町の液状化現象

 内灘町の被災地は、我々に「液状化現象」がどういうものかを教えてくれているが、果たして、大阪万博の会場が大地震に襲われた時、液状化現象が起こることは火を見るより明らかだが、あの巨大な木製リングがドミノのように崩れることはないのだろうか。石でできた階段がどれだけ斜めになっているのかを見れば、答えは出ている気がする。
 さて、震災から2ヶ月が経ち、辛うじて幹線道路が開通し、一部では水が出るようになったものの、工事のオッチャンも、ボランティアも足りていない状況の中で、石川1区選出の小森卓郎は、国会の質疑の場に立ち、何にも先駆けて、真っ先にこのような要望を出した。
 それは「ブルーインパルスを能登半島に飛ばしてほしい」だ。
 あらゆる復旧・復興が進み、被災地の人々が生活の再建に動き出し、景気づけに一発飛ばしてやろうという話であれば、多くの人は歓迎することだろう。しかし、大阪万博にリソースを奪われ、今のところ、被災した方々が何か前向きになれる材料を揃えられたわけでもない中で、「ほら、ブルーインパルスだよ、元気を出して!」である。大きな千羽鶴を送るのと何が違うのだろうか。
 もともと3月16日に北陸新幹線の延伸に合わせ、ブルーインパルスが飛行する予定だったというが、「祝・北陸新幹線延伸! おめでとう、敦賀の皆さん! せっかくだから、ちょっと能登の上空も飛んで、能登半島の被災者もがんばえー!」は、誠実に被災地のことを想っていると言えるのだろうか。

焼けた中から、今にも這い上がりそうな置物

 これは「ブルーインパルスを飛ばすな!」という批判ではない。
 被災した人たちが、再び日常生活を取り戻し、職場を取り戻し、町を取り戻すために、具体的にどのような支援が必要なのか。わざわざ地元の国会議員が立って、生活再建のプランではなく、真っ先にお願いしたのが「ブルーインパルスを飛ばして元気づける」という『精神論』であるところに、「この国の政治家の能力の限界を感じた」という話だ。
 あと半月もすれば、「ブルーインパルス、ありがとう!」と空を見上げる被災者たちの姿が報じられ、「これで能登半島の人たちは元気だ!」というハッピーエンドっぽい空気が流れ、被災地のことが忘れ去られるだろう。こうして能登半島には、ますます支援の手が届かなくなるのである。

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