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智慧で生きる時代《3》

ブディズム実践〈じっせん〉の智慧

実践で得られる智慧のいろいろ

ブディズムは1から10まで身体を使う実践です。従って、ブディズムの修行で得られた思索、洞察、悟り、智慧などは科学的に言えば最低一回は実証されています。サンガで議論されたものは文殊の智慧になるのです。

  1. 称名念仏の智慧
    家庭で行われる行はまず南無阿弥陀仏の称名念仏です。ここで大切なのは声を出して『なむあみだぶつ』と阿弥陀仏に話しかけることです。これを恥ずかしいからと言って口の中でぶつぶ言ったのでは効果がないのです。『なまんだぶ、なまんだぶ』とぶつぶつ言うのでは修行になりません。大きな声ではっきりと称名することが大切です。

    自分の声を出すには、肺に空気を吸い込み吐き出して声帯を振動させたら声が出ます。この声を口腔内で調節して始めて自分の声になります。この声の調節脳が自動制御して自分の声色になるよう調節するのです。

    大きな声を出すには、正座して姿勢を正し、肚の底から息を吐き出し、肚の底から口蓋までの気柱振動を利用します。当然、口蓋が振動して脳を刺激します。脳細胞はゆりかごでゆすられるようなものですから、気分が良くなるでしょう。

    一人暮らしで声を使わない人、脳の健康を案ずる人にはおすすめです。

  2. 教典を読誦〈どくじゅ〉する智慧
    私は朝晩の勤行で仏説阿弥陀経、讃仏偈などを読誦します。習慣的に教典を読誦することには、経典に触れる意義読誦する意義の二重の意義と言うか智慧が得られます。

    経典に触れる意義とは何でしょうか。数多くの比丘、菩薩たちちが波羅蜜多の修行を重ねて得た生命誌〈せいめいし〉を読み解き、生きる智慧を得ると言うことです。また経典は歌えるように圧縮されていますから、謎解きのような面白さがあります。

    読誦する意義とはなんでしうか。それは称名と同じ作用ですが、経典は10分から30分の時間が時間がかかります。その間、気柱振動により口蓋から肛門まで強く刺激しますから、気道、食堂、胃腸は鍛えられます。

    私の経験ですと、顕著な効果としてまず滑舌〈かつぜつ〉が良くなります。次に唾液が増えますから口腔内が清潔になるように感じます。味覚が鋭くなり、誤嚥も少なくなるようです。これらの効果はぜひ医学的に研究して貰いたいものです。それができれば認知症予防にも役立つとのではないかと期待しています。

  3. 勤行(ごんぎょう)の智慧
    規則正しい生活は「生きる智慧」です。不規則で自堕落な生活ではエネルギーを浪費するので持久力を損ないます。勤行は毎日、朝夕行いますから頼れるルーティーンです。勤行では阿弥陀仏は勿論ですが、父母、家族の1人1人を脳裏〈のうり)に描き安否を偲びますから、毎日家族会をしているようなものです。孤独、孤立にも遭うことはありません。

    毎日、威儀を正し、正座して、読誦を20〜30分することは相当な心と体の鍛錬になり、自然に持久力を鍛えることができます。

  4. 弔い(とむらい)の智慧
    弔いは人の死を悲しみいたむことで、今日の憐れみ、慈しみに通じます。4万年前のネアンデルタール人は死者に花を手向けて弔いをしています。ブディズムの阿弥陀仏のハタラキは常在、慈悲、智慧に重点が置かれています。常在は当然として、なぜ慈悲がここにあるのか、大変興味深く感じます。慈悲は、人類が共有している分け入ることのできないアプリオリな智慧と言うべきなのでしょう。

    今日では、この弔いが形骸化しつつあります。繋がりたい、仲間が欲しいと言う気持ちが有りながら、世間的な儀礼や葬儀こだわり、弔いの核心にこころが動かないのは残念なことです。

  5. 鑽仰〈さんぎょう)の意義と智慧
    勤行の内容はまず礼拝、鑽仰、作願があります。礼拝は拝礼ですから当然として、鑽仰は注目されます。鑽仰は阿弥陀仏を仰ぎ見て阿弥陀仏の功徳〈くどく〉を讃えることですが、仏説阿弥陀経では六方の主な仏の名前を列挙して、全ての仏が阿弥陀仏を讃えていると強調しています。

    これを現代的に見ると、すべての人々がもろ手を挙げて、賛同し賞賛していると言うことです。全員一致ですからデモクラシーでは最も強力なパワーを発揮します。
    だから阿弥陀仏は仏の世界で最高の位置に就かれたのです。

    しかし、阿弥陀仏はパワーを行使されません。ただ、いつも浄土にいるよと言われ誰でも何時でも頼ることが出来ます。慈悲と智慧の光明を隈なく届けられます。慈悲は悲しみに涙しているとき、不運に心が挫けたときに届けられます。その他のハタラキは脇仏の観音菩薩や勢至菩薩が担当されるのです。

  6. 生れ変る智慧
    ブディズムでは人は「死ねば終わり」ではありません。ご来迎があり阿弥陀仏の浄土に迎えられて、浄土に生まれ変わるのです。そして、成仏を目指して修行を積み、成仏したらまた懐かしい故郷であるこの世に帰れるのです。とても嬉しいことです、安心なことです。鮭でも生まれて川を下り、成長してまた戻り、たまごを生みます。

    この生れ変る智慧が無いと死ねば虫に食われるか、鳥に食べられるか、いずれにしても終わりです。ぶる里に帰れる道はないのです。恐ろしいことです。

    六道輪廻も恐ろしいですよね、人間に生まれて次は何処に行くか分からないのですから。だから極楽浄土が創られ阿弥陀仏が現れたのではないでしょうか。
    いわば、我々が課題を解決する方法と同じで、これもより良く生きるための智慧でしょう。

  7. 何物も求めない智慧
    阿弥陀仏は慈悲と智慧の光明を放たれる以外には何もなさりません。こうせよ、ああせよとか、罪を背負っているとか、あれはだめ、これはだめとも言われません。ましてや、財物や功徳も求められません。

    ただそこに居て、慈悲と智慧の光明を放ち続けておられるのです。

    我々はその存在を確信して、いつでも頼寄れる大きな親のようです。有難いばかりですから、感謝してご恩報謝に勤めるるのです。

  8. 役割を分担する智慧
    仏の世界では無数の仏が居られますが、最高位の阿弥陀仏を筆頭にすべての仏がそれぞれ役割を分担されています。これは人間界での役割の分担と協力の有様を映し取ったように見えます。さらに言えば、細胞レベルでも役割は分担され、全体が協力するのです。

    分担と協力の原理は細胞レベル、人間個体レベル、仏レベルの3つの位相で共有されているのです。新人のホモサピエンスは旧人に比べて身体が小さく、大きな獲物を狩るには協力する以外にすべがなかったのです。その時に獲得した智慧が仏の世界にまで受け継がれ生きていると考えています。

  9. 極楽〈ごくらく〉を生み出す智慧
    インドの菩薩たちが極楽を生み出したことは全く前例のない人類の偉業であり、比類ない金字塔です。お釈迦さんが発見した涅槃をベースにして、目の前の厳しい因果応報の世界で苦しむ人々を救うために、創り出されたと考えられます。

    この世(リアル)の涅槃をあの世(バーチャル)の涅槃に止揚〈しよう〉したのではないかと想像します。成仏はこの世からあの世に延期され、成仏の条件も六波羅蜜〈ろくはらみつ〉から至心〈ししん〉、信楽〈しんぎょう〉、願心〈がんしん〉の三心に緩和されました。これにより、大勢の人が乗れて救われる大乗と呼ぶのです。

    諸行無常〈しょぎょうむじょう〉を前提とした考え方がとても柔軟で現代的です。

今回はこれまでとします。最後までご覧いただきありがとうございました。

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