《harezora note》1. 体育祭

「知的障がい」のある息子のことを書きます。私の仕事のこと、これからの教育や社会、暮らしのために考えていること、などもお伝えできたらいいです。

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●体育祭に「特別出場」!?

この春、中学の特別支援学級に通っている長男が、体育祭で、支援級からひとり長距離走に「特別出場」することになりました。

「1500m走」を彼だけ1000mにしていただくとのこと。

支援級には運動が得意な子も多いのですが、息子はけしてそういうタイプではなく、つまり、そういうことが不得手なのが、彼の“障がい”のひとつです。

そして、特別支援級ができてまだ日の浅いこの中学では、支援級からこの種目にこの形で生徒が出るのは、初めてだと思います。

ハンデをもらってもかなりのチャレンジです。

通常学級の生徒の走りとは色々な面で大幅に差があるし、それが行事としてどういうことになるのか予想しきれていないところもあるのではないでしょうか。

学校も家庭も様々な関係者も、この小さなひとつの行事にも、周囲と背後で手を尽くしながら当日をむかえ、本番を見守ることになるのだと思います。


●“新しい展開”として。

学級がたちあがって数年。大小のこのような取組みの積み重ねだったと想像します。生徒の人数も揃い始めたところで、色々な面でだんだん道が拓けてきたことも、まだ整うまでに課題が多いのも、保護者として感じてきました。

こんな風に先生方の手探り手作りの部分が特別支援学級の運営には大きいのだということは驚きでしたが、その件はまた置いておいて、そのような現状のなかで、力を尽くされる先生方、関係の方々の姿に頭が下がります。

そして、つまり、息子の今回の「特別出場」は、毎年の流れで決まったような恒例のイベントごとでなく、状況、環境・・・先生方など周囲の動きのさまざまな要素が絡み合っての実現だと感じています。

ハラハラします・・

この展開に、感謝もしているし。

facebookで報告したら、温かい言葉をいただきました。「勇姿をしっかり目に焼きつけて」とも。本当に・・・本当に・・・、息子の姿と、さまざまな人達と生きるこの人生のいっときを、心に刻もうと思います。


●発達してほしい。発達にこだわりたくない。

息子は3月に14歳になりましたが、ここまでの大半では、

「小さい。できない。」
「・・だけど、彼のペースで、ゆっくり少しずつ成長している」

というのが、私にとっては希望で喜びで、そして、彼の事実そのものでした。

どうか発達が進んでほしい、“大人”になるまでの発達はしてほしいと思い続けてきました。

その一方で、極端な表現ですが、社会に適応するための発達など、どうでもいいと思う気持ちも。家庭にさえいれば、学校や将来の職業のことなど考えなければ、彼の個性が、私には、とても愛しく、素晴らしく見えるので。

また、命を失いそうな病気もした子なので、命があってくれることだけで嬉しくて。

ただ、これらの混沌とした思いの根本にあるものは、それぞれレベルの違う問題なので、整理をして考えないといけないとも思っています。

いま、どんどん前進していく“障がい児(者)”のための環境を整える流れに、息子とともに乗ろう、次世代のために加担できることがあるならしようと、いうのが、基本的な私のスタンスです。


●母なので。平静でなくても。

ただ、私自身は、母親として、女性として、人間として、この息子の件になると、どうも平静でいられません。

なんだか、これまでずっと、泣きつづけて、考え続けて、疑問に持ち続け、目に見えない何かと闘い、そして、目に見えて現れる奇跡や人との縁に感謝し続けてきたような印象です。

そして、この部分では、私は、あえて、この感情・・・哀しみも、感動も、・・全部、そのまま、自分の心で味わおうと決めてきました。

味わいながら崩れる弱い私なので、周囲に支えられ、叱咤激励もされ、見守られ、助けてもらって、今日まできたのも事実です。でも、私は、弱い一市民の、自分の、この感情や感覚をみつめること、味わいつくすこともしたいと思うのです。

見苦しい部分、不快を与えてしまうかもしれない部分もふくめて、個人としての私は、この想いを、ひとりの素の人間として味わって、ある程度は赤裸々に表出することを選びました。逸脱していたり人に迷惑をかけすぎていたりしたら止めてね、と周囲の人に伝えながら。

ブログやSNSを使ってきました。同じ立場の人たちと想いをつなぎあい、ときには想いを起こしあい、そして、専門家や活動される方々には、実態というか事例のひとつようなものとして何かが届いたらいいと思っています。


●ギフトとかミッションとか

ひとりの記者であり、教育関係者として、客観的に問題をとらえて、ロジカルに、伝え解決策を見出していくことも自分の職業です。

息子のこともあり、子育てにも専念したくて、仕事にあまり従事できずに年月を経ましたが、逆に、息子のことがあるので、この仕事に関わり続けてきた一面もあります。

ソーシャルな動きや人の生き方を取材して発信する私。

教室で子どもたちの才能や驚くような可能性に触れる私。

教育の本質、コンテンツの開発を考える私。

社会がよくなっていくこと、理想の教育がかなっていくことを夢見ることが、息子のこととも、仕事のこととも、ほかの色々なこととも、私の奥の奥で、つながっています。

社会のどこかで良い流れ、良いつながりが生まれたら、それが、個人の希望になることも私は実感してきました。こうして、母として仕事人として、実際のその様子にたちあえることは、ギフトだし、これを活かすことがミッションだとも思っています。


●たとえば、「障がいを認める」ということ。

「障がいを認める」というのは、障がいをもつ子の保護者が通る大きなステップの1つです。

しかし、私が求められて抵抗を感じた「障がいを認める」 という要素のなかには、すでにとっくに私が事実として捉えている要素も含まれていたし、認める必要のない要素もあったと、思っています。

「息子が社会のなかで障がい児であること」を受け入れるよう求められて感じた抵抗。

「彼の障がい」について、理解がほしい、大人になるまえの成長期のうちに適切な治療・教育のケアやフォローがほしいという痛切な想い。

この、彼をとりまく社会側からの現実と、彼のために欲する個人側からの希望のギャップが、専門家との話でさえクリアでないことが多く、その混乱から、私は、苦しみ続けました。


●しくみや意識を変えること。

自分で環境を整えること、情報を集めることが大事ことなどはわかりましたが、手がかかり気持ちの負担も大きい育児のなかで、かなりイレギュラーな動きを強いられるように思います。

この十数年でずいぶん変わりましたが。

そして、私は、結局は、周囲の方々、先生方に、助けられて支えられて、辛いことがあっても最後は感謝するような状態に行き着き、ここまできました。これが、この世の素晴らしさなんだとさえ感じるほど、奇跡のような出会いや救いを、何度か体験しています。

ただ、この多くは、その方々の“人間力”や、天の采配のような偶然に助けられる体験でした。

世の中の一般の、意識や仕組みが変わっていくことが必要だと思います。

事実、めまぐるしいほど変わっている過渡期のようで、勉強会やさまざまな活動、イベントなどに参加させていただくと、本当に、新しさに出会うことの連続です。

このありがたい流れを大事に、また、この流れのひずみで苦しむ人がないようにと、いま思います。


●そして、体育祭。

体育祭の話に戻ります。

息子は、もともと、ずっと、支援級のなかでも、体育はもちろん、いわゆる“ふつう”の動きが、まず大変で、この子の障がいのメイン要素のひとつに、身体機能の発達遅れがありました。

「○○くんは走るのが得意なので」と、特別支援学級の保護者会で、息子がひとり出場する理由の説明がありました。

けして、“健常”の人たちレベルでの「得意」ではないので、その言葉はこそばゆくもせつなくもあるのですが、運動はことごとく「苦手」であった彼がクラスのなかで、運動が得意である瞬間があったり、好きになったり、学級からひとりこのような行事に出ることがあるなんて・・・

色々な意味でのチャレンジで試練ですが、母としては、本望にも思いました。嬉しいです。でも、麻痺しているのか、やっぱり不安も強いのか、なんだかぼんやりして、ピンときません。

涙腺のゆるい私ですが、この件では、facebookで「いいね」ボタンを押してくれた人の顔ぶれや、もらったコメントを見て、はじめて涙がでてきました。「男の登竜門」とも書いていただき、見守ろう、見送ろう、と思いました。

いま、そんな状態です。

この時代、この日、この環境に暮らせて、私は幸せだと、こうして書くと、人とのつながりに対して、何よりも思います。

noteには、このまま、息子のことを中心に、私自身のスタンスからの教育や支援やその他のことを、こうして、書いてみようと思います。ちょうど節目を感じているので、ほかで書いてきたことなども、まとめながら、改めて書いてみます。


(今回の文章はこれで全てです。次回につづきます・・)

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《harezora note》1. 体育祭

Chieko Semba

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Chieko Semba

harezora note その幾重もの雲のむこうに。

「知的障がい」のある息子との暮らしで感じること。 仕事や社会のことなども。
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