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父の日。~中国残留邦人のおばあちゃんから得た気づき~


今朝も母教会の礼拝に行けて感謝でした。
日曜日の朝はバタバタしてしまい、この1年間
遅刻が続いている私。ですが、

「もしかしたら時間通りに動けないのも
   才能の1つかもしれない。」


と思う今日この頃です。
と、どこまでもおめでたい人間なのですが、
そう感じた理由の1つが、

〝遅刻した日に限って、ご年輩の方に
   声をかけられて仲良くなる〟


というものです。

それも、ただ仲良くなるのではありません。
この偶然に出会う、バス停のおばあちゃんや
タクシー運転手のおじいちゃんとの会話を通して、
福音を知るからなのです。

今日の礼拝のメッセージの中で「信仰も思考の転換」
という興味深い言葉が出てきました。

まさに福音とは思考の転換なのです。
偶然出会うのは必然的に出会っているのだと
クリスチャンは考えます。

今日バス停で仲良くなったおばあちゃんは
中国残留邦人の方でした。

「私はサル年だから幼少は落ちつきがなく、
叱られてばかりでね…」

という干支の話から始まり、

「私、障がいがあったから父は心配して…」

という家族の話に入り、最後は

「16年前に夫がなくなって」

という話になりました。

私は、ただうなづいて聞いていたのですが、
しばらくしてハッとしました。

「そうか。今日は父の日だなぁ。」

おばあちゃんの口から出た父親の話は
私にとっての福音だったのです。

「そうだ!明日、父さんに靴下を送らなきゃ。」

なぜかそんな気になって靴下を買いました。
百貨店で展開される父の日コーナーは実に華々しくて、美しくパッキングされたタンブラーやおつまみ、甚平やネクタイが並びます。

母子家庭で育った私には父の日のプレゼントを買うなんて、初めての経験に等しく迷いました。

30年振りに再開した父に選んだのが、
なぜ靴下なのか分からないまま、
お店のカウンターで梱包してもらいました。

このプレゼントを選んだ理由を定義づけるとしたら、

「新しい人生を歩きなおすためのツール」

と言ってもよいのかもしれません。

さぁ、早く送らなきゃ。

                                  令和4年6月19日 記 米光智恵

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