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夫婦について〜何も恩返しができなかった経験の積み重ねから考える〜

久しぶりに、夫婦のことについて書いてみたいと思います。
週末だからか、ふと考えました。

最近、私はこの人がいないと生きていけないなあ、と夫を見ていて思います。人生も終盤に入り、総決算のように色々と考えていまして、やるべきことを絞って注力しなければと思っています。
いつまでも種まきばかりではダメですものね。タネがゴミになってしまう。

人生において、素晴らしい方々との出会いは数々あり、出来損ないの凸凹の私に出会ってくださり、可愛がってくださったり、助けてくださったりする方々には、本当に感謝しています。

素晴らしい方々、というのは、肩書きや学歴ではありません。世間的に有名な、というわけでもないのです。

考えや実践、行動に触れ、心から尊敬する人が
本当にたくさん周りにいることに感謝しています。

尊敬する人に、恩返ししたいな、と思いながら、このコロナで身動きできない数年の間に、尊敬する人を数人、お空に見送りました。
もちろん、その方々は、私に何かを望んでいなかったかもしれません。
たくさんんことを与えてくださり、生き様で見せてくださった方のお一人に
公立病院の看護部長であり、私を地域医療連携室にほぼ無理矢理と言ってもいいくらいの熱量で引っ張り込んでくださった方がいます。
私はその道を極めたい、看護の役割を信じたい、とさまざまな活動や、目の前の仕事を一生懸命やってきました。時々相談をし、肯定していただき、勇気をいただいていました。

彼女と違い、単に、「賢い」「言葉紡ぎの上手い人」は、「わかったようなこと」を言います。
ですが、彼女は、実践の人でした。
私はそれをずっと目指していきたいと思っていますし、そうして現場に立ってきました。
彼女は現場を離れても、看護の視点を忘れず、考え、自分のできることを本当に意味のあるその一つ一つを丁寧に実践されていました。

数日前にラインでやり取りし、「もう数日で私はダメかもしれません」というラインを最後に会えなくなりました。(長く闘病中でした)
会えずに終わりました。
彼女と一緒に目指していた看護の道筋は途絶えさせたくないと思っています。

このことから、私は、本当に大切な人に報いているだろうかと思いました。
否、そういう人たちは、私に何も恩返しを望んでいませんし、私を商品として扱わず、私の人生をきちんと一緒に考えてくださる人たちです。

その人たちの中の1人に、夫がいます。
夫とは、きちんと夫婦の形になってきたな、と思ったのは、息子が独立してからかもしれません。

夫がいい人だから、とか、私がどうだから、という問題ではありません。
世の夫婦と同じようなさまざまな紆余曲折はあったように思います。
でも、その話をできるのは、彼だけなのです。

今、彼がいなくなったら、きっと私の体、人生の半分がなくなるような気がすると思います。

だから、なんとか、彼のためにできることはないか、といつも考え、聞くのですが、「そばで笑ってくれたらいい」というのみです。

ですが、これがなかなか難しいのだろうと思います、若い時は。

今は、本当に心から笑っている自分がいます。
人に話すにはちょっと恥ずかしい小さないたずらをしたり、甘えてみたり、
お願いをしてみたりして、負担にならないお互いの距離を保って、心地いい時間を過ごしています。

そのためには、自分の人生を丸ごと受け入れ、肯定し、相手に何も望まないことから始めないといけないことを、歳をとって初めてわかってきました。

いろんな「欲」や「世間体」の中で、人は生きています。

でも、
本当に大事にしたい人を後回しにしているのもまた、「人」ですね。

夫に対しては、先輩方との別れのようなことにならないように、
大切に、過ごしていきたいと思います。


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