藪谷さん連載イラスト

春は沈丁花の匂い

子どものつむじは甘い匂い − 太平洋側育ちの日本海側子育て記 −
抱っこをしたり、着替えをさせたり、歯を磨いたり。小さい子どもの頭はよくわたしの鼻の下にあって、それが発する匂いは、なんとなく甘い。
富山在住・1歳女児を育児中の湘南出身ライターが綴る、暮らしと子育ての話。

外に出ると暖かくて身体がゆるんでおもいきり息を吸い込めることと、その空気がなんとなく良い匂いがすることが同時に起きて、ああ春だなと嬉しくなって、この匂いはなんだったかと少し考えて、沈丁花だと思って、あたりを見渡すと白い花を見つける、というのがだいたいいつもの春のはじまりなのだが、今年は子どもが生まれてすぐ夫の仕事で移住した富山で同じことが起きたので、いつも以上に嬉しかった。

神奈川の藤沢にある実家には沈丁花が植えてあって、だからわたしにとっての春の匂いはその匂いになった。

茨城で働いた20代の暮らしに沈丁花があったかどうかは覚えていないのだけど、約10年の空白期間は春の匂いを改変させなかった。

そして結婚して一年だけ住んだ札幌にはなくて、そもそも亜寒帯に属する札幌には金木犀もくちなしも夾竹桃も千両も万両も、濃くて厚い葉をつける常緑広葉樹はほとんど生えていなくて、だから春の匂いは場所によって違うこと、当たり前のものとしてきた季節感も育ちのなかで身につけたものだと思った。

そして最近1歳になった子どものことを考える。

太平洋側育ちのわたしが日本海側で子どもを育てている。

富山は冬の天気が悪くて、年間日照時間は日本有数の少なさで、一年を通じて湿度が高い。藤沢の南向きの海と北西にある山、富山の北向きの海と東から南のほうをぐるっと囲むようにある山、海と山の位置関係はほとんど真逆で、晴れていても光の色が違う、気がする。藤沢に帰ってきて電車を降りると、駅のホームに注ぐ光がどうも明るい。

そうした気候風土は、そこに形成される社会の地域性をつくりだして、そこで暮らす人に少なからず影響する。雪国の人は勤勉であるとか、海辺の人はよそ者に対して柔軟であるとか。

もちろん人にもよるのだが、傾向はあるというか、人もまたその土地の空気をまとってあるもので、それはおそらく育ちのなかで得るものが大きい。

人は思春期に記憶の格納方法が変わる、それまでは匂いや音などの五感も込みで保存されるひとつの容量が大きいものが、経験に照らし合わせて差異だけを覚えていくコンパクトなものになるらしい。

ということは、幼少期に過ごした土地の気候風土が、その人の感性をつくる土台になると考えて、そんなに間違っていないだろう。

持って生まれたもの、親をはじめ接する人の影響、そのどれもが絡み合って、どれがどれだけ形に表れてどうなっていくかは人それぞれ、何をどうしたらどうなるかはわからない。ただ娘は富山で育つ。

わたしの小さい頃の思い出に雪はほぼないけど、娘にはあるようになる。わたしにとっての冬は晴れて乾燥したものだけど、娘のそれは雨雪が多くて湿度の高いそれになる。山といえば丹沢と富士山なのが、娘にとってのそれは立山で、サーファーのいるのんびりした海は、新鮮な魚が水揚げされる漁港のあるそれになる。

とても愛おしい存在である娘と、季節の記憶や海山といって差すものが違ってくるだろうことが、なんだか寂しいような気もする。実際は一緒に過ごしていく思い出ができるんだから寂しいなんてことはなくて、経産婦に分泌されるホルモンが感傷的な気分にさせるだけとも思うけれど。

違うということは豊かさでもあって、私が大人になっていくつかの土地に住んで気づいたことを、娘は早い段階で知ることになるだろう。

私はその気づきをとても面白いものだと思っていて、こうして書いたり、家でもよく話題にするだろうし、彼女にとっては祖父母の家にいくことが、日本海側から太平洋側まで横断する、気候風土の違いを感じる実体験になるから。それを豊かな体験として経験させてあげられたらいい。

もちろん違うことばかりでなく、同じことだってたくさんある。たとえば春は沈丁花の匂い。富山にも沈丁花が咲くことが、わたしはとても嬉しい。

参考文献
黒川伊保子『母脳:母と子のための脳科学』ポプラ社、2017

籔谷智恵
神奈川県藤沢市生まれ。大学卒業後、茨城県の重要無形文化財指定織物「結城紬」産地で企画やブランディングの仕事に約10年携わる。結婚後北海道へ移住、そして出産とともに富山へ移住。地場産業などの分野で文筆業に従事しつつ、人と自然の関係について思い巡らし描き出していくことが、大きな目的。
www.chieyabutani.com

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