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ドール

4月15日のNHKドキュメント72hours「いとしのドールに見つめられて」を見て感じたことを話そうと思います。

数年前あたりからドールがひそかなブームになっていることは知っていた。

私の知人もドール教室に興味を持ち、こないだ一緒に見学に行ったっけ。
私も昔、ほんの一時期だったけど、人形に魅せられたことがあった。

そんなことを思い出しながらTVを見ていた。

番組は、ドールに夢中になる人々にマイクを向けその声を拾っていくのだが、その中でとても印象的な言葉があった。

インタビューを受けたその方は、かつてアイドルも好きで、アニメも好きで、ひと通りその道は通ってきたと言う。
それで今はドールに行き着いたとのこと。

なぜ、ドールなのですか?と質問に「アイドルはいつかは結婚してしまうかも知れないけど、ドールは結婚もしないし、年もとらない」「年をとっていくのは自分だけ」と。

興味深い言葉だった。
かつてアイドルと呼ばれた存在は、今はもうアイドルではないのかも知れない。

いやアイドルなのかも知れないが、昔のようにヴェールに包まれた存在でないことは確かだ。

アイドルも今は身近に感じるような存在。
SNSで繋がることもできるし、会いにも行ける。

それは一見、理想的なことのように思えたが、結果的にまた違う現象を生み出してしまった…という訳だ。

いつの時代も人々は手の届かないものを求める。
アイドル=偶像は、今の時代、アニメやドールなのかも知れない。

【理想の相手というのは自分の想像の中にしかいない】と、私の身近な人が言っていたセリフだけれど、本当にその通りなのだと思う。

理想の相手と思った存在ですら、時間と共に変化していく。それは自分が変化していることでもあるのだが、多くはそのことに気がつかない。

自分は否応なく変化していくかも知れないが、相手の時間だけは止めたい。
そのままでいて欲しい。

そんな願望を叶えてくれ、永遠に時間を止めてくれる存在、それがドールなのかも知れない。

ドールを見つめる時、映っているのは自分の目。
その目に見つめられる時、やはりそこに見えるのは自分自身なのだとおもう。

今の私のNo.1アイドル puipuiモルカーの『ポテト』
ポテトの目には何が映っているのだろう


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