真夜中に浴衣を洗う

亡くなった祖母の部屋に入るのは久しぶりだった。物置と化した和室には仏壇とふたつの大きな箪笥、古い姿見などが並んでいて真夏でもやけにうすら寒く、昔からそこは夜ひとりで入るにはすこし怖い部屋だった。

箪笥の引き出しを1段ずつ開けながら「もしかしたら上の部屋かもしれない」と母が言う。「なんでこの時間なのよ、もっと早く言いなさいよあたし昨日聞いたでしょう」

部屋の隅で三角座りしてビールを飲んでいた私は、すいません、と言う。その声がかすれていたのでもう一度言い直す。姿見に映る自分はあまりに情けなく、子どもじみて見えた。



昔から家族には自分の話ができなかった。
小3のとき、母に「同じクラスのまみこちゃんが通学バスの席を絶対に譲ってくれない」という相談をしたことがある。

母はそれを「まみこちゃんに直接言えばいいじゃない。なんで自分ばっか座るのって怒ればいいでしょう」と一笑し、隣で聞いていた父は「言えないんだよな、しほはそういうことが言えないんだ。そういう子なんだ」と気の毒がった。

9歳の私は、自分が求めているのがアドバイスではなく共感だと気づけるほど賢くなかった。賢くなかったので「ちくしょう。かわいそうにって言ってくれよ身内なら」と怒りの矛先を両親に向けた。

私はいつしか家で自分の話をしなくなり、自分の殻に閉じこもり、そこから出ないままで大人になってしまった。
こんな人間でも20歳になれば自動的に大人とみなされるなんてシステムは狂っている。成人してから5年経つけれど、たぶん私はいまでもまみこちゃんを怒れない。



母があ、と声をあげた。「これだ」
白地に紺の模様が入った浴衣を広げながら、「どう? 好きそう?」と聞く。

「うん。たぶんなんでも着ると思うけど、まあでもあんまりそれは似合わないかもしれない。柄が派手だし」
「じゃあなんでもじゃないじゃない」

母はその奥からもう1枚別の浴衣を出す。さっきの白よりも控えめな、グレーと白のあいだくらいの色だった。
そっちがいい、と受けとる。



洗面台に水をためていると、祖母の部屋のほうから箪笥を閉める音がした。
なにを話そう、と焦る。身内相手にこんなに焦るのか。こんなことってあるのか。
洗剤を溶かして浴衣をつける。ぐいっと押すとすこしだけ水が汚れる。

母が洗面所に歩いてきて、「ついでにこれも洗って」ともう1枚の浴衣をよこす。「うん」


「こないだ西武行ったら、呉服コーナーで若い子たちが熱心に浴衣選んでたわよ。男の子も」
「男子はなかなか持ってないよ浴衣」
「だから貸すんでしょ?」
「うん」
「あんたは前にユニクロで買ったやつ着てくの?」
「いやそっちじゃないほうにする。あとユニクロで浴衣買ったって絶対にか、かれ、あした来る子に言わないで」

押し洗いをしながらビールを飲む。酔っていないと話せなかった。

「なんで昨日言わないのよ」
「ほんとすいません」
「あんた自分で着付けできないくせに」
「いや、youtubeとか見ればまあできるけど、あなたプロみたいなもんだし」

母はむかし着物のモデルをしていたので、和服を着るのも着せるのもうまい。私が着るついでに彼にも、という話になるのは自然だった。

「いいけど、その子初対面で『はい脱いで』ってなるわよ」
「ウケる」

1枚を洗い終えて、干す。もう1枚を水につけると、途端にぶわっと色が落ちた。
藍色の水の中で浴衣を揉む。

「花火終わったらうち戻ってきて着替える?」
「そうする。うちに服置いてかないと荷物増えちゃうし」
「じゃあついでに帰りお酒飲んでく? お酒飲む子?」

飲む子だよ、と答える。

「お酒強いしわりとなんでも好きだよ。金沢のときも日本酒買って飲んだし、……ていうか金沢あれだった、写真撮ってくださいってすごい頼まれて、いやその子優しそうだから分かるんだけど、美術館でも兼六園でも頼まれてて」

いざ話し始めたら結構楽しくなる。好きな人について話すのだから楽しくて当然なのだ。
ふうん、と母が相槌を打つ。私は浴衣を洗っているので母の顔は見えない。

「金沢その子と行ったの? 春に手紙送ってきた子?」
「前者イエス、後者ノー」
「なるほど」


考えてみると、あまりにいろんなことを話さずにきた。話さないままこの歳になってしまった。
私が昔いじめられていたことも、どんなバイトをしてたかも、なんでいまライターになったかも、母は知らない。
私が死ぬほど好きなものや嫌いなもののこと、そのいくつかを手に入れ、いくつかは手に入れられなかったことも、たぶん知らない。
けど別にいい。あした家に呼ぶのがとても好きな子だということだけ知っていてくれればいい。


「いい子だよ」
「うんまあ、あんたがやっと連れてくるんだからそうでしょう」

水をすすいで振り向くと、母はもういなかった。
私は2枚の浴衣を並べて干して、洗面所の灯りを消した。


#エッセイ

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生湯葉 シホ

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コメント4件

すごく好きです…山田洋次監督の映画を見てるみたいでした(//∇//)
文章がとても綺麗で、すごく好きです。日常を小説のように書けるのがとても嬉しいです!
>望美さん すみません、なんていまさらなお返事……!!!ありがとうございます( ; ; )山田監督作品好きなので大変うれしかったです……!
>かなえさん 読んでくださってありがとうございます。母に彼氏の話をするのがあまりにも小っ恥ずかしく、逆に(?)文章にしようと初めから決めていたのでこんな形になりました……小説のようと言っていただけて嬉しいです。
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