「可愛い」と言ってほしい(たとえ嘘でも)

「親戚の集まりで女の子の容姿に物申さないで」という主旨のツイートが回ってきた。大人が、姉妹のうち容姿が優れているほうばかりを褒めそうでないほうを貶したせいで、容姿が優れていない(とされた)子はそれ以来、親戚の集まりに出なくなってしまった、という話だ。

一読しただけでいろんな感情が溢れ出て泣いてしまった。自分も似た経験を何度もしてきたからだ。


私は一人っ子なので、姉や妹と容姿を比べられた経験はない。歳の近い同性の親戚もいない。私が容姿を比べられる対象は専ら、幼い頃の母だった。

自分とは全然似てないのではっきり書くんだけど、母は美人だ。若い頃の写真を見て、あまりに整っているので驚いた記憶がある(武井咲に似ていた)。10代の頃はモデルのバイトをしていて、他校にファンクラブがあったみたいな話も聞いた。

そんな母のまだ小さい頃を知っている親戚たちから、私は「あんまりお母さんに似てないねえ」と言われ続けて育った(母親は「橋の下から拾ってきたんですよ」と全母親が一回は言ったことあるであろうあのギャグで返す)。

親戚はその話題とセットで「お母さん、小さい頃から本当に美人だったよねえ」と言うので、直接的には「ブス」とか「地味」とか言われなくても、なんとなくああそうなんだな、と自覚を持って幼少期を過ごした。


で、そういう子どもが大人になってどうなるかと言うと、ものの見事に卑屈になった。
中学時代は、自分を見てくる大人全員に「うわ、不細工だな」と思われている気がして人の多い電車に乗れなかったし(心療内科に行くべきだった)、自分の一挙一動が気持ち悪いという強烈な思い込みがあって、手が震えてしまうので人前で食事ができなかった。

こう書くと、「親戚、別にあなたにブスって言ってないじゃん」「思い込み強すぎるよ」「そこまで誰も考えてないよ」と言う人がいると思う。よくわかるし、その通りだ。「美人を美人って言ってなにが悪いの」と思う人もいると思う。

本当に、本当にその通りなのだけど、あえて言わせてほしい。大人なら、容姿が優れている(と感じる)他人のことを、子どもの前で話題に出さないであげてほしい。

姉妹やきょうだいを比べて片方にだけ「可愛い」と言うのも、その子と同じ年頃の子どもを指して「あの子可愛い」と言うのも、どうか我慢してほしい。
もし言うなら、「あなたも同じくらい可愛いよ」とか、「あなたは○○がチャームポイントで可愛いよ」とか必ず一緒に言ってあげてほしい。


なんで言う側がそこまで気を遣わなきゃいけないのか、と言われるかもしれない。

でも、たとえば大人たちがある姉妹の妹を見て「可愛い」と頻繁に言うとして、その「可愛い」が、姉の自分にはあまり向けられなかったらどうだろう。

大人たちが皆ニコニコと妹の一挙手一投足を見ては「可愛い」とはしゃぎ、なんならカメラを向けたりする一方で、自分には同じだけの歓声や注目が集まらない。その大人が親や親戚だったりしたらなおさら、「あれ?」と思うんじゃないだろうか。


私の周りで、親や親戚に幼少時、容姿を褒められなかった(あるいは貶された)と語る人の多くは、「愛されていない気がした」と言う。

大人は自分の努力で容姿や才能を磨いて、他人から「可愛い」と言われたり、それ以外のさまざまな形の愛情も享受することができるけれど、多くの小さな子どもはまだその術を持っていないのだ。

だから、容姿が優れた妹は恋ダンスの真似をしてちょっとポーズをとるだけで「可愛い~」と大人に持てはやされるのに、姉は同じことをしても「頑張れ~」とか言われてしまったりする。

努力点が限りなくゼロに近い、「素」に近い状態を「可愛い」と言ってもらえないのは、子どもにとって「自分はなにかしないと(自分の力でなにかを得ないと)愛してもらえないんだ」という根深い思い込みを産む、と思う。

もちろん、その思い込みが勉強への意欲とか、創作活動とかスポーツへの意欲につながるかもしれない。でも、「素の自分は可愛くない、素では愛されない」という思い込みは、その子が大人になっても、強烈に残ると思う(少なくとも私は残りました)。


だから、もしもあなたの周りに子どもがいるなら、もしもその子の容姿があまり優れていないと感じたとしても、「可愛い」と言ってあげてほしい。あえて言うけど、嘘でも言ってあげてほしい。

大人は「メイク頑張ってる」とか「立ち居振る舞いが綺麗」を加味して「可愛い」って言ってもらえるけど、子どもの容姿はもう野ざらしで「可愛い」か「可愛くない」にされてしまうのだ。

それなら、その子のちょっとした仕草とか顔立ちの中に「可愛い」部分を探す努力をして、きちんと「可愛い」って言ってあげてほしい。「あなたはこういうところが可愛くて、愛されるべき存在なんですよ」ということを、きちんとその子に伝えてあげてほしい。

だって本当は、醜い子どもなんて存在するはずないのだ。すべての子どもになんらかの美は宿っているはずなのに、それを見つけて「可愛い」と言葉にしないのは、単なる大人側の怠惰だ。


***


思ったままワーッと書いたし、私自身が容姿のコンプレックスをまだ解消できていないので、「可愛い」という評価や自意識に関してねじれた認識をしている部分も多いと思う(私はいまだに「可愛い」と言われている子どもを見ると憎くてたまらなくなってしまう。こんな文章を書いておいて滅茶苦茶です)。

だからきっとこの文章にも偏った部分があると思うのですが、「可愛い」と言われなかった幼少期を乗り越えて暮らしているいち人間の意見だと思ってもらえたら嬉しい。私も昔の写真見て「可愛い」って言われてみたかったです。

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生湯葉 シホ

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コメント2件

無償でない、条件付きの愛ばかりだったせいで自分の存在を肯定できない人の悲哀が少しでも減るといいなと思います。
醜形恐怖を経た身、そして幼い娘をもつ母として涙ぐみながら読みました。有難うございます。
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