消えない話

人と歩いていると、よく振り返られる。振り返ってキョロキョロしている相手に「どうしたの」と訊くと、決まって向こうは苦笑いして「いなくなったかと思った」と言う。「いるよ」とこちらが言うと、ホッとした顔になる。

誰と歩いていても、そういうことが多かった。むかし友人に、私そんなにいなくなりそう? と訊いたことがある。
友人は笑って、「そうだね」と言った。「神話とかであるじゃん、トンネル抜けるまで振り返っちゃいけない話。不意打ちで振り返ったらフッと消えてそうなんだよ、きみは」。

私を形容するときに、「消えそう」という言葉を選ぶ人はわりといる。よくよく聞いてみると、どうやらそれは「生活感がない」「素の状態でないように見える」みたいなことらしい。
傲慢を承知で言うと、私には、その意味がわかる。なぜなら、自分がそう見えるように振る舞ってきたからだ。

むかしから、誰かと親しくなって、相手に自分の生活を把握されてしまうのが耐えられなかった。公共料金の紙とかたたんでない布団とか買い置きしてるカップ麺とか、そういうものを誤って人の目に触れさせてしまうことがあると、消えたくなる。自分が地に足をつけて生きている痕跡みたいなものを人に見られるのが、恥ずかしくてたまらなかった。


どうしてだろう? と考えて、シンプルに、「ナルシストなのだ」という結論に至った。自分が許せる自分しか、人に見せたくない。ジャージを履いている自分、風邪で顔色の悪い自分、泥酔している自分。すべて人には見せたくない。見せるくらいなら死ぬ、と思ってしまう(何度も言うけど私は偏っている)。


そういう部分を見せないようにして、私は人と付き合ってきた。
恋人に対してもそうだった。もちろん全部が全部というわけではないけれど、基本的には「恋人用の自分」ばかりを相手に見せた。うまくそう振る舞えなさそうな日は会わなかった。
だから、人と別れるという段になると、(戸惑ったり悲しんだりされても、最後には)「そうだよね」と納得された。ある人は「ずっと不安だった」と言い、ある人は「いつかいなくなると思ってた」と言った。
そんな言葉を聞くたびに、自分でも「そりゃそうだよな」と思った。もちろん、別れる理由はその時どきによって違ったけれど、間違いなくなにかを「我慢していた人」として相手の目に映っていたはずだから。
ああこの人は私がいつかいなくなる予感を持ちながら私を好いていてくれたのか、と考えると、いつもどうしようもなく寂しくなった。


すこし前に、急に消えてしまう人についての文章を書いたけれど、「自分も(ある部分では)ああ見えている」と気づいたのは最近のことだ。

いまの私には、この人の前からはいなくならない、と確信している人がいる。でも相変わらず、どうしても見せたくない面がたくさんある。馬鹿みたいだけど。
居続ける、消えない、という意思は、言葉にしないと伝わらない。何度も消えてきた人間にとって、それをきちんと言語化することはたぶん、義務なのだと思う。
だから私は、ここにちゃんといる、ずっといる、と言い続ける。


#エッセイ

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生湯葉 シホ

コメント5件

>watakashimakoさん 初めまして、こんにちは。これは私自身の、ごく個人的な話です。一人称でこれを書いたのは、私自身の本当の話だからです。消える人間、なんていませんよ。どこかで消えてしまった経験のある人間がいるだけです。
>watakashimako はじめまして。ごめんなさい、気になったので。
貴方がそう思うなら、発信すべきですよ。あなたのnoteで。noteはそういう場だと思うのですが。
shihoさんが書く文章のリズムとか空気感が好きで、いつもこっそり読ませてもらってます。インターネットの世界は声の大きな(ともすればネガティブな方向の)意見が目立ちがちですが、自分のようなこっそり応援している人もいますので、これからもshihoさんらしい文章を紡いていってください。(今回の話、大好きです!)
>mailさん お返事大変遅くなってしまってごめんなさい!こっそり応援してくださってる方がいるということ、なんとなくは感じていても(おこがましいですが)気配でしかわからないので笑、コメントをいただけるのってとても嬉しいです。本当に、ありがとうございます。
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