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知らなかった〝恩〟のもう一つの意味。

「恩人」「恩恵」「恩に着る」など「恩」のつく言葉はたくさんありますが、先日〝恩〟という言葉についてはじめて考えることがありました。

祖父の三回忌で、ご住職がご講話くださったのがきっかけでした。

それまでは「〝恩〟とは自分にとってためになったり、助けてもらったり、有り難い行為」のことを指すのだとなんとなく認識していました。

でも、知らなかった他の意味(捉え方)を知って、日常に「見えないけど大きな変化」をもたらして頂いた感じがするので、備忘録としてもここに書き留めておこうと思います。


恩という漢字は、原因の「因」と「心」で成り立つ。
つまり恩とは、今ある物ごとや状態の、原因や背景は何なのかを考える心のこと。

ご講話で仰っていました

これは仏教としての意味合いですが、この部分を聞いた時は、今まで知らなかった意味(捉え方)なのにスーッと馴染むように理解できたような、でもなんか違和感が残るような、なんとも不思議な感覚でした。

後々〝恩〟という言葉について考えていた中で、その時スーッと馴染むように理解できたのは、『今ある物ごとや状態の原因や背景は何なのかを考える』というのが、普段の自分の思考と重なったからだと気づきました。

毎日こうして仕事をさせて頂けるのは、お客様や仲間、家族など恵まれた環境があるから。
今生きていられるのは、当たり前じゃない。
私はなんでこの仕事をしたいのか。

など大小、自他関係なく、いろんな物事について常に考えています。そんな自分の思考状態が『今ある物ごとや状態の原因や背景は何なのかを考える』と重なったのです。

そして、「いろんな物事について考える思考状態=〝恩〟ということ」と捉え始めると、「これも恩になるのか!?」と新しい発見をした感覚と予想外の重なりに驚くような、受け入れられないような感覚が違和感だったのかなと思います。


話を戻して、〝恩〟とは、現在起こっている出来事の原因や物の成り立ちに気づき、ありがたさを感じる(心の)ことでもあると知りました。

そして、その瞬間から恩に報いるということは始まっているのだと思います。

ご講話をきっかけに、日常の思考を「これも〝恩〟の一つなんだ」と感じながら行うように変化したので、何事に対しても感謝の気持ちがより大きなものになったなと感じています。

ご講話頂いたことも、日常の当たり前のようなことも、本当に有り難いなと感じます。

文書としてうまくまとまらず、私の日記のようになりましたが、読んでくださりありがとうございました。


“A days of our life with delightful days.“
私たちの、歓喜あふれる毎日について。





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