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[コラム]なぜか居心地が悪い「和民族」という自称

本noteでは、アイヌ民族と対応する形で、日本のマジョリティである、日本民族、和人を和民族と統一しています。

「和民族」とは聞きなれない言葉だったかもしれない。
「和民族」に類する言葉はいくつもあって、先にあげた日本民族、和人。それからヤマト民族、大和民族、アイヌ民族から見ればシサム(隣人)、沖縄から見ればやまとぅんちゅ。どの言葉で統一すべきかは、それなりに悩み考え、本noteでは「和民族」とすることにしました。

まず、「日本」、「ニッポン」、「日本人」「日本民族」、という言葉はアイヌ民族の話題を扱う本noteには不適当でした。「日本」という言葉はどうしても、国、国籍に基づく括りの言葉で、国の中の民族の話をする時にはものすごく使いづらい。そもそも日本に住むほとんどのアイヌ民族も国籍は日本、だから日本人でもある。国籍と民族性は違うものということは認識としてしっかりと持っておきたい。

「大和民族」「ヤマト民族」は、日本のマジョリティを指す言葉としてはある程度一般化しているもので、言葉の意味として一般的には齟齬はない。けれど、こちらも「大和朝廷」、「ヤマト王権」という、日本の律令国家成立以前に奈良盆地を本拠とした有力な政治勢力紐づいている言葉で、その後の「日本列島内の色々な経緯」を考えると民族の総称とするのにもなぁ、と、なかなか納得に至らない。

一方で、アイヌ民族に対応する言葉で最もよく使われるのは「和人」である。本州ではこれでも違和感がある人が多いようだけど、北海道内では、学校教育などでも比較的古くから「和人」という言葉は使われている。だから「和人」でも良かった。ただし、アイヌ民族と対応させ、釣り合わせるとしたら同じように「民族」とするべきであると考えました。
※もちろん和民族という言葉は造語ではなく、もともとある言葉です。


なぜ「和民族」という名称に違和感を感じるのか

本noteの最初の記事をあげたときに「和民族」という言葉に引っかかる人が少なからずいました。実は僕自身、使い慣れないこの言葉に何やら居心地が悪いなと感じたことも事実です(今は慣れましたが)。
その理由を『アイヌもやもや』という本や、同著者の北原モコットゥナㇱさんの論文の一説を引用しながら説明していきます。

「「民族としての日本人」には、国籍を含まない「民族性だけを指す自称」がない。(中略)実は、マジョリティには自称がないことが多いのです。というのもマジョリティは自分について問われることがありませんから」(『アイヌもやもや』24p)
日本におけるマジョリティは和民族。自分たちを「日本人」と言うことはできても、その上で民族性を問われた場合には、決まった自称がありません。普段の生活で自分が何民族であるということを意識する瞬間がほとんどない。
だから「和民族」という言葉に違和感を感じる。「和人」でも「ヤマト民族」でも多少の差があっても同じように違和感となんとなくの座りの悪さを感じてしまう。
逆にマイノリティには名前がつけられます。それはマジョリティにとっての他者であるからで、マジョリティ側がマイノリティを区別するのに都合が良いからでしかありません。
「マイノリティが特別だから名前が付くのではなく、望まない名前を拒否できるマジョリティのパワーが特別なのです」(『アイヌもやもや』25p)

「和人と名指されることには、しばしば反発が起こる。(中略)他者から規定を受 け、名づけられることは愉快なことではない。和人と呼ばれることは、これまでの一方的な力の行使が可視化されることでもあり、そこに反発を感じることもあるだろう」(北原2022)


アイヌ民族の「アイヌ」という言葉は、実は必ずしも民族名というわけではない。もっと大きく自分たちを指す「人間」という意味です。しかし、和民族から他称として使われた「アイヌ」という言葉自体が明治以降、蔑称や差別的に使われることが多く、アイヌ民族は「アイヌ」という言葉を対外的に使わずに(使えずに)、長らく「ウタリ(同胞・仲間)」と自称していた時期がある。
1946年に北海道アイヌ協会が創立されるが、1961年に北海道ウタリ協会と改称されている。2009年に再び北海道アイヌ協会と改称されるが、「アイヌ」というアイヌ民族にとって特別な言葉を隠さざるをえなかった時代がこんなにも長く続いてしまった。
マジョリティである和民族に、自分たちの自称を隠さざるをえなかった、そんな歴史はあるのだろうか。もちろん無い。
「和民族」という言葉に座りが悪いって? 違和感があるって? そのくらいは我慢してくれよ、そんな風に思う。



参考:
(北原 モコットゥナㇱ(2022)「アイヌ・和人への手紙(2)アイヌ・和人の当事者性」『アイヌ・先住民研究 第2号 2022』)
(北原 モコットゥナㇱ(2023)「アイヌ・和人への手紙(2)アイヌ・和人の当事者性」『アイヌもやもや: 見えない化されている「わたしたち」と、そこにふれてはいけない気がしてしまう「わたしたち」』)
(マーク・ウィンチェスター、田村 将人(2022)「北海道アイヌ協会創立当時の請願書等について」国立アイヌ民族博物館研究紀要 2022 年 2022 巻 1 号)

北原モコットゥナㇱさんのこちらの本。本コラムではかなり参考にしています。おすすめです。


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