◇おぼろな世界とわたしの間

近視であり乱視です。眼鏡との付き合いはもう20年以上。お風呂と寝るとき以外は手放せません。もはや身体の一部ですね。

はじめて眼鏡をかけた時のことを、なんとなく覚えています。通っていた眼科で視力検査をし、レンズをはめてもらった検査用眼鏡をかけて、しばらく待合室で外を眺めるように言われました。その度数で、見え方や体調に不具合が生じないかのチェック。

レンズ越しの世界は、あまりにも鮮明でした。鮮烈でした。視力低下に伴いぼやけていく世界を眺めてきたわたしは、久々にはっきりとした輪郭を感じ取っていた。それまで緑の塊に過ぎなかった山が、細やかな陰影と色合いを帯びている。

けれど、見える!という感動は一瞬だけでした。徐々に、作り物みたいだなと思えてきてしまったから。
まるで、過剰にリアルであろうと細部を追求しすぎたバーチャルのようだった。
おぼろな世界に、すっかり慣れきっていた所為でもあるのでしょう。

眼鏡をかけ始めるようになると、作り物めいて見えた世界が日常になる。感動もないけれど、気味悪さもない。そして今度は、眼鏡を外したときに広がるおぼろな世界が、ひどく物珍しいものに思えたりもした。
たった一枚の――両目それぞれと考えれば二枚のレンズが、あるかないか。それだけで、映る世界は別物になってしまう。

だから、つい考えてしまう。レンズ越しの世界は、ホンモノとは実は何かが違うんじゃないかと。あるはずのものが消え、ないはずのものが現れる。そういうことが、起こっているんじゃないか。
でもレンズなしではおぼろな世界しか認識できないわたしには、それが確認できない。鼻先をくっつけるほど近づけば見えるものは確かにある。けれど、それがレンズ越しの世界と一緒だからといって、ほかもすべて等しいとは限らないじゃないか?

わたしはもう、レンズ越しの世界を日常として生きていくほかありません。それがホンモノの世界と違わぬことを、願うばかり。
……ちょっぴり、何かあるんじゃないかなって期待しちゃうのだけど。