◇愛おしい、の感覚

「愛」という言葉自体は苦手です。正確に言うと、「愛情」「恋愛」なんかは平気で、「親子愛」とかも気にならない。ただ、「真実の愛」とか「愛は永遠」みたいなのはぞわぞわする。だから、言葉が苦手と言うより、苦手な表現が多く、「愛」を見るだけで想起してしまうんでしょう。
「愛する」にもそういう感覚があるんだけど、ぴったりくる場面では躊躇なく使ったりする。言葉を愛する、とか。

一方で、「愛しい」「愛でる」「愛らしい」「愛しむ」のような表現は相当使います。圧倒的に多いのが「愛しい」で、気持ちがいっそう強いと「愛おしい」になる。
……ここまでの話は、以前の日記で触れたことのおさらいと補足。

今日は、「愛しい」と「愛おしい」の話。
このふたつを分ける境目ってなんだろう。「愛おしい」を用いたくなる基準ってどこにあるんだろう。明確なものが存在するとは限らないけれど、たしかに使い分けている感覚はある。
ひとつ思い当たったのは、“抱き締めたいという感覚を抱くかどうか”というもの。これは小説等のキャラクターに対する感情に、ひとまず限っておきますが。
「愛しい」を使うケースは、見守るのに近しい感覚。そのキャラクターを眺めていて、胸にじんわり温かさが宿るような、ふっと微笑んでしまうような優しい感じ。「愛でる」とも通じるかもしれません。
これが「愛おしい」となると、ぎゅううっと抱き締めずにはいられないような、深くつよい感情をおぼえるんです。彼らの生き様や、経験してきたことや、立ち向かった困難、潜り抜けてきた試練、いろんなものに想いを入れ込んでしまう。受け止めて、労わって、幸福を願う。「愛しむ」と近しいのでしょうか。

とはいえ実際のわたしは、実のところ触れられるのがすごく、ものすごーく苦手なんですね。だから触れることも非常に躊躇いを感じる。もし彼らが現実にいたとして、抱き締めるという行動には出ないと思います。でも気持ちの上では、抱き締めたいという感覚が強い。この差はどうして生じるのだろう。不思議です。