◇コヤジの話

たしか季語織りこんだぞ、「かき氷」って

さきほど、かき氷を口にしていて思いついた文章です。実際に“かきごおり”という音を、「かき氷」以外に織り込んでいます。つまりは駄洒落、オヤジギャグの類。
それを『コヤジ』と称するのはわたしが音楽ゲームプレイヤー、特にBEMANIシリーズのユーザーだから(BEMANI関係者に駄洒落を好む方がおり、本人曰く『コヤジギャグ』)。けれど、知らない方にも駄洒落の類だというのは気付いていただけるらしく、いいねを頂戴したりします。ありがとうございます。

今日はもうひとつ、「ジャージじゃあ、じっとしてられない」というコヤジも呟いたんだった。

こうした駄洒落を思いついたとき、Twitterで「#コヤジ」のタグをつけてツイートしたりします。ふと思い立って検索かけてみたら、けっこうな数がヒットしました。そして本人はだいたい忘れている。呟いた時点でもう満足してしまうのかもしれない。
「かき氷」や「ジャージ」のように、語句そのものの音を組みこむものもあれば、英語など別のものに変換して織りこむタイプ、二種以上のコヤジを複合させたパターン、ひとつの語句を複数の方法で展開しているケース、などなど……コヤジにいろいろな手法を用いてきたのだなあ。

コヤジの難しさは、なんといってもさじ加減。見た瞬間にすぐ分かるシンプルなものや、ちょっと考えて、分かった途端にクスリとしてしまうもの。この辺りはオッケー。
でも、違和感がなさすぎたり、複雑にしすぎたり。解説がなければ分からないようなものは、まだまだ技量が足りないなあと感じてしまいます。ちょっとひっかかりを覚えて、そこから気付くくらいがいい塩梅なんだろうな。

いつからこうした言葉遊びに熱中するようになったのか、正直に言って覚えていません。子どものころは「カレーは辛ぇ」「布団がふっとんだ」といった、鉄板も鉄板のネタを口にしていた記憶がある。まだ自分で考える域に達してはおらず、誰もが知るネタで友達と笑いあっていた、あれは一種の合言葉だったのかもしれない。
わたしが『コヤジ』という表現を使うのは冒頭に述べた通りですが、それ以前から駄洒落はよく言っていました。BEMANIユーザーになったことで、そこに『コヤジ』という名称を当てるようになっただけ。そう考えると、ここ数年の話でもない。
小説を書くにあたり文章を練るようになったことと、少なからず関係がありそうですね。だとすると、小学六年生以降かな。

いつからの付き合いかは分からないけれど、駄洒落はすっかりわたしの一部として定着してしまいました。目に留まったモノや言葉から、なにか生み出せないかと考えていることは、しょっちゅう。思いつけば呟き、本人はもうスッキリ満足。
そして嬉しいことに、そんなコヤジを楽しんでくださる方がいらっしゃいます。癒された、幸せな気持ちになったというお言葉を頂いたこともある。単なる言葉遊びに過ぎなかったものが、誰かの気持ちにプラスの影響を与えている。なんとも嬉しいことです。

これからも思いつく限りコヤジを呟いていくでしょう。よろしければ、お付き合いくださいね。