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10年後も続けられる場所なんてむつかしいけど、ちょっくら考えてみた:0095

思わず古語のむつかしいを使ってしまった。でもこの平仮名の方が、あまり難しくうんうん唸らずに考えられる気がする。

 前の記事に「10年続けられる場所をファンの側から作りたい」なんて大言壮語を書いてしまった。書いて早々後悔している。
言うほど立派なことをできると思えないし、実はなにも考えていなかったことに気づいた。ごめんな。

 10年…、10年かぁ。
 そもそも僕自身、推しと呼ぶほど誰かをここまで…感想を書いたり応援したりするくらい…好きになったことがなかった。
 ファン歴云々の話でなく、30年生きて誰かのファンと自称するのはこれが初めてだ。
 2年も同じ人を推し続けてる自体が奇跡だと思う。


 正直僕は自分の人生がいちばん、自分の創作が一番だ。誰かを好きでいる自分はあくまでオプションで、そこで受け取ったもの…感動、安心、葛藤…を原動力に、表現することに全力を尽くしている。
 ガチ恋という気持ちさえ、突き詰めると「これで恋愛感情を絡めた文章が書けるようになった!やった!」と思っているところがある。
 描いて書いて研究することに狂っている。
 今の研究対象がたまたま推しさんであるだけで、正直推しさんの引退より僕が離れる方が早い気がする。


 ただ、そんな自分本位の僕でも、推しさんもバーチャルライバーの世界も、10年続いてほしいなぁと思う。
 色々と大変な世界だけど、なぜだか10年後、推しさんがライバーを続けていると想像できる。10年後も面白いことやってそうな気がするんだよね。
 この文化が形を何度変えるとしても、活動を続けたいライバー達は柔軟に変化し、やりたいことを続けていくだろう。
 だとしたら、ファンはどうだろう。ファンが10年推し続ける未来は、どんなだろう。

 noteにファンが10年続けられるような暖かい場所を作りたい。
 好きなものを好きだというのを、周りの目を気にせず誰でも当たり前に伝えられる場所を作りたい。
 

 noteにたくさんお気持ち記事があがるのは、実はそこまで悪いと思ってない。
 このSNSがそれだけ多くの人間に読まれやすいからなのと、積もり積もった気持ちを、自分のタイミングで書ける場所だからだと思う。
 どうしてもTwitterは瞬間瞬間のタイミングが肝心になる。たくさんの意見を同時に観ることで、同調圧力を感じやすくなる。
 ほどほどにいやだということをnoteに書いて気持ちを整理することもファンとして必要だと思う。
 悲しいのは、お気持ち記事は大体捨てアカで、「もう愛想がつきました」と最後に溜まった感情を吐き出す書置き的な文章が多い。そこに至る前に適度にガス抜きできなかったのか、とも考えてしまう。
 好きなことを好きというのと同じくらい、「これはしんどかった」「こういうのに悩んでいる」と言える場所も肯定したい。

 僕がいる間はそうしていきたいし、僕がいなくなっても誰かがその場所を保てるような何かを残したい。
 
 ここ数日のあちこちごった煮の活動は、こういう意味でやってるのかなと自問自答したけど、まだまだごった煮で自分でもよく分からなくなってきた。

 書くのに飽きてきたから星でも見に行こう。

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