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ニュージーランドの冒険ざっくりまとめ 【後編】

2020年1月。キャンプ旅していた仲間と別れ、ひとりキャンプ旅をスタートした。

2019年5月から2020年3月までワーキングホリデービザでニュージーランドへ。想像を超えた大冒険だった1年を、振り返ってまとめた話の後編です。
(めっちゃ長いです)

前編、中編はこちら。


1月15日-1月23日 ニュージーランドひとり旅へ

クイーンズタウンという街で、しばらく旅していた仲間と別れひとりに。わいわいと旅してたから急に寂しい。

その後は湖の近くでキャンプして回りたいと思い、クイーンズタウンからさらに西へいった『テアナウ』という町へ向かった。

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実はこの時がわたしの人生初のソロキャンプ。しかも海外!

ちょっとどきどきしながらも、ニュージーランドは治安も割と良くて女子ひとりでのキャンプも場所を選べば安心してできた。いい国。

そんなキャンプ旅の中で、バックパックを背負い歩いてキャンプ旅をしていたひとにも会った。「かっこいいですねー」と伝えると「ホームレスみたいな寝床で恥ずかしい」と笑っていた。
いやこのミニマムさがかっこいい。

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ニュージーランドには同じように歩いて旅する人も割といた。北の端っこから南の端っこまでずーっと歩く『Te ARAROA(テ・アラロア)』という全長3000kmのロングトレイルもあるほど。
旅のスタイルはそれぞれだけど、身軽なキャンプ旅もすてきだなあと思った。

夏のニュージーランドでキャンプ旅をする良さのひとつが昼間がすごく長いこと
1月では夜10時頃まで明るかったりする。夜遅くまで明るいから外で長く遊べるし、ほとんどライトを使わなくて済む。到着が遅くなりそうな時でも、暗い夜道を運転して行くことも、暗い中の設営の心配もないことはありがたかった。

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1月23日-2月15日 ダニーデンへファームステイ

しばらくずっとバタバタと移動する旅の日々だったので、一旦落ち着くためにその後はキャンプはお休みしてまたファームステイをすることにした。

見つけたのは、ダニーデンという街の近くのおうち。後にまたこのステイ先に戻ることになるのだが、それくらい大好きな場所になり価値観も変えてくれた。
(ファームステイ『WWOOF』の説明は中編でしています。)

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到着すると一匹の犬が駆けてきた。
おうちは古めかしくて、一見お化け屋敷みたいだなんて思ってしまったのだけど(超失礼)、家の中へ一歩入るとそこはもう異世界だった!

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古き良さとセンスの溢れる可愛いお家で、ステキな家具や飾られた食器たちに圧倒された。バスルームもじぶんで絵をペイントしたというから、そのセンスに脱帽である。一瞬で映画の世界に迷い込んだよう。

「ジブリの世界みたい…」

犬に猫にニワトリやブタ、そしてメエメエと鳴く羊たち。小さな畑に沢山の果樹。

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食卓には、自家製の新鮮な野菜や果物が並ぶ。
豚肉まで自家製だと聞いたときは一瞬どきっとしたが、わたしは会っていない子だから大丈夫だと教えてくれた。(そういう問題なのか)

週末には地元のマーケットに出店し、その時々採れる野菜や果物を売る。そして、そこで売っている美味しいチーズやフレッシュミルク、パンや野菜を買って帰る。そうやって地元のおいしいものがまわっているのがまた素敵だった。
このマーケットの雰囲気がわたしは大好きで、日本にも各地にあったらいいなあ、ここ寄ってキャンプしたいなあと妄想した。

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ホストマザーはこれまたジブリに出てきそうなおばあちゃんで、料理上手。
毎日オーガニックの美味しいごはんが食べられて幸せだった。質問するとなんでも教えてくれた。

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パンもマヨネーズも自家製。美味しかったなあ。


2月5日-2月15日 再び友人とキャンプ旅へ

素敵なファームにお世話になった後は、再びクイーンズタウンの街へと戻る。日本から遊びにきてくれた友人と合流し、一緒にキャンプ旅をするため。

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遊びに来てくれたのは、イラストレーターでキャンプコーディネーターのこいしゆうかちゃん。
アウトドアイベント等で何度も顔を合わせていたけれど、こうやって2人でキャンプや旅をするのは初めて。

わたしよりもずっと先をいっている先輩だけれど同業であり、絵も描くしカメラも好き、もちろんキャンプや自然が大好きで。初めてのふたり旅ながら、好きなものがよく合い楽しい旅だった。

さて、楽しい旅にはトラブルがつきもの。笑
実はこいしさんがNZに来た日の前日に、クイーンズタウン周辺に何十年ぶりかの大雨が降った。あたりは冠水で通行止めだらけだった。
そのため当初の予定は大幅に変更。何度かトラブルに見舞われながらも、その度乗り越え無事?キャンプ旅を楽しむことができた。

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行こうとしたキャンプ場までの道が…川に。w(これはトラブルの序章だったのだけどその話はまた別で。)

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旅はキャンプがメインで、テント泊に加えてキャラバンと呼ばれるトレーラーハウスにも泊まってみた。住めると思ったほど快適だった。

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ニュージーランドでのキャンプで初めて焚き火もできた。(日本と違って自然保護の観点から焚き火禁止のキャンプ場が多い。)
そうとは知らず早々に買ってしまった薪は、時にハンマー代わりに、時に拾った板とともにテーブルの脚にしながらも、クルマの中でずっと幅を占めていたのだった。ようやく使えた。

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スーパーでニュージーランドの美味しい国産食材を色々手にしては色々料理した。わたしは料理担当。ちょうどワインの本を執筆していたこいしさんは、料理に合わせたワインをセレクトしてくれて、毎日のようにNZ食材とワインを楽しんだ。NZの食材もワインも本当に美味しかった!

旅の後半では、一番のメインイベント『ケプラートラック』というグレートウォークのひとつを3泊4日で縦走した。
わたしは、本格的な登山経験はなく縦走自体初めて。
本当に歩けるのか…という不安もありながらも、経験豊富なこいしさんのサポートもあり、無事に4日間楽しく歩き切ることができた。ほんとうに行けてよかった!
もう想像以上のよさで、もっと色んな山を歩いてみたくなった。山の楽しさを教えてくれたこいしさんとニュージーランドの大自然に大感謝。

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歩ききって街に戻ってきたあとは、街中のキャンプ場にチェックインしてクイーンズタウンの街で飲み歩き。街の中心にキャンプ場があるのもNZならでは。この旅の話もまた詳しく!


2月15日〜 またひとり旅へ

帰国へと向かうこいしさんとも別れ、またひとり旅へ。
この後はどこへ行こうと考えたとき、少し前に通過した『マウントクック』に行きたいと思った。

マウントクックはニュージーランド最高峰の山で、数時間で歩ける簡単な人気のトラックがある。せっかくだから歩いてみたかった。

けれどしばらく天気予報は雨。雨雨雨。
雨ではキャンプも山も辛いなと思ったが、調べてみると近くで安めの宿は全く空きがない。

どうしようー。

思い浮かんだのは、ひと月ほど前に滞在していたファームのおうち。
出る時にお手伝いにきてくれる人がいないと話していたので、タイミング合えば戻ろうかなとも考えていた。連絡するとウェルカムだよと返事をくれ再び暖かく迎えてくれた。また会えることも嬉しかった!
ここにまた少しステイしながら天気の様子をみて作戦を立てることに。

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しかし少しのステイの予定できたはずが、ちょっと調子の悪かったクルマに大きな問題が見つかってしまい、もうしばらくステイすることに。

クルマを見てもらうと、もうダメかと言われたのだけど(覚悟して荷物をまとめはじめた)、その後家のひとの助けもあり奇跡的に直すことができた!
英語がネイティブでローカルにも強い地元の方が側にいてくれたことすごく心強かった。すっかり長居させてもらってしまいまるで家族のようだった。

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クルマが無事直り、奇跡的にお天気のタイミングも合ったので、行きたかったマウントクックへ。軽い山歩きとキャンプを。

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3月7日-3月29日 NZ最後のステイとコロナと帰国

ニュージーランドへは、帰りの日程は決めずに片道チケットで来ていた。

そろそろ帰る時期を決めて、帰国に向けて準備しよう。と思い始めたころ、日本では新型コロナウイルスが蔓延しはじめていた。らしいと聞いた。
家族や友人はみんな揃って「まだ帰ってこない方がいいよ」と言っていて、この時は遠い目でみていた。

3月に入るとついにニュージーランドでも感染者が出はじめる
3月16日。突然日本への飛行機がしばらく飛ばなくなると発表され、その後国境も閉めた(その時NZのコロナ感染者はまだ累計8人)。
3月23日。感染者が累計100人を超えるとその日のうちにロックダウンを発表。ここまであっという間だった。世界一の早さだっただろう。

わたしは突然の発表にわたわたする。

しかし素早い判断と対応は素晴らしく、この国のいいところをより感じることができた。首相の素早い対応は世界的にも話題となった。

わたしのビザは5月末までだったのだが、日本行きの便が飛ぶのは3月で最後。その後いつ帰れるかの保証はなかった。
ビザはなんとかなったとしても国際免許や保険は切れるなーとかぐるぐる考えた末、飛行機が飛ぶうちに安全に帰国することを選んだ。

帰国日を決め航空券を取って。それからがまた大変だった。
急いで帰国するに当たって一番頭を悩ませたのが、その時所有していたクルマ問題だった。

中古で購入していたクルマは、TrademeNZdaisukiといった日本でいうメルカリみたいな中古品を売買できるサイトを使って買い手を探す予定だった。
帰国できるリミットまではあと2週間ほど。

「この短期間ではたして売れるんだろうか…」

これが一番の不安要員で、ギリギリまで帰国を決め兼ねていた。
こうして足踏みしている間に空席はどんどんなくなっていき、
「クルマは…なんとかしよう!」と無理やり心を決め、滑り込みで成田行きのチケットを買った。

クルマは最終手段でディーラーに売ってしまえばなんとかなる!と思っていたのだけど、ここなら売れると教えてもらったところですら
「今この車種は買取してないんだ。」
と断られてしまう。最終手段…。

まじか…やばいー!汗

希望価格で売り出したものの良い連絡も来ず、少し値下げしてみたけどだめで、ついに帰国まであと1週間。

いよいよ焦る。

そこで思い切って大幅に値下げしてみた。するといくつかご連絡をいただき、とんとんと買い手が無事に決まった。
無事にクルマが売れることが決まりほっとしたその日に、政府はロックダウンを発表。ロックダウン中はお隣さんにも会えないくらい厳しい。そんな状況ではクルマの売買はさらに厳しくなる。ぎりぎりセーフだった。ほんとうによかった。

クルマの買い手が決まった後も、帰国寸前まで笑えるくらいにドラマだらけで、ほんとうにギリギリで無事日本に帰ってくることができた。
大変だったけれど、海外でのロックダウンとロックダウン中に帰国するなんて経験は超貴重。すごい経験させてもらいました。

(コロナ帰国で感じたことはこちらで書いています。)

急に残りわずかとなった最後のNZを楽しみたかったのに、それどころではななく、ほんとうに笑えるくらいに最後までバタバタの10ヶ月だった。笑

でも、表現し切れないほど沢山の経験ができた大冒険だった。

そして帰国まで本当にたくさんの方々に助けていただいたし、たくさんお世話になりやってこれた日々だった。


帰国劇がバタバタすぎて書きそびれてしまったのだけど、最後にステイさせていただいたファームステイ先がめちゃくちゃすてきなお家とファミリーだった。
ロックダウンが発令されたり帰国できるのかと大変な時だったからこそ、あったかいお家に本当に救われた。最後にこんなすてきなファミリーに出会えた事にも感謝しかない。
最後の最後お別れも超バタバタだったのだけど、あったかいご飯やおやつを作って持たせてくれて、泣きそうになりながら食べたっけ。

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DSCF0428のコピー

そうして、たくさんの経験や思い出と、そしてこの旅で出会った方々、応援してくれた全ての方々への感謝の気持ちをいっぱいに抱えて無事に帰国。

またこの時のように自由に旅できる日が戻ったら、必ず訪れたい思えるくらい大好きになったニュージーランド。
たくさんのものをいただいた良い旅だった。
ありがとう!またいつか!絶対に!



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