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第9章 VSジャスコ(前編)

  PM9時。ジャスコ4Fの寂れたゲームコーナーでは、平日から二人の男がはしゃいでいた。昼間時間を潰し、たむろする大した趣味のない老人連中は、とっくのとうに帰宅し今頃はきっと、何の意味もない一日を終えようとしているのであろう。それはともかく、長谷部は珍しく浮かれていた。
「予習ってこういうことかよ。・・まあ悪くないけどな。」
100円を投入し15枚のメダルと交換している三谷に向かって長谷部はにやついている。そう、無事カジノに潜入できた時のためにメダルゲームでイメージトレーニングをしようというのだ。
「時間も余っちまったしな。ここで勝負強さを鍛えてカジノで大儲けってわけよ。」
三谷は長谷部の左ポケットを指差した。そう、この夜のために長谷部は、手を付けていなかったなけなしの冬のボーナスを全て、銀行から下ろしてきたのだ。
「ほらよ、一人15枚。閉店までにどんだけ増やせるか勝負だ。」
ミニバケツに入ったメダルを渡された長谷部は、もしこれが本物のカジノだったらどんなゲームで増やそうかな、とぼんやり考えていた。リアルカジノでは一枚1000円といったところだろうか、すると15枚で1万5000円?重みが違いすぎる・・。そう考えるとなかなか動きだせない。しかしふと顔をあげてみると、三谷は既にスロットに手を出していた。おいおい、この男は何も考えていないのか、それともこのメダルを15枚100円としか思っていないのか、実際のカジノでもこれくらい簡単に勝負するのだろうか、やっぱり決断力がすごいのか?等と色々考察してみたが、よく考えてみればまあ、やっぱりただの時間つぶしなんだろうな、というところに結局たどりついた。
「おーい長谷部、何やってんだよ。じゃんじゃん稼ごうぜー。」
スロット台の回転椅子に腰かけた三谷が、くるくる回りながら呼びかけてくる。
「おう・・せっかくだし本気でシミュレーションしてみるか・・。」
そう呟いた長谷部はきょろきょろとあたりを見渡した。三谷がいる方とは反対側に、野球のコンピュータゲームがある。・・とりあえず1枚からベットできそうだな。そう感じた長谷部はこいつで賭けることに決めた。
 ピロリロリロリロリロ・・・むなしく響く大当たりのBGM。20分が経過したころだろうか、なんてことない、コンピュータにプログラムされただけのゲームに長谷部は飽きてきた。こんなので当たっても外れても、まるで面白味がない。機械の設定次第でいくらでもどうにでもなるではないか・・。人間相手のポーカーやブラックジャック、せめて目の前で実際に回すルーレットなら話は分かる。目に見える形で本物の運が試されるからだ(実際にはイカサマされてるのかもしれないが・・)。しかしながらそんな気持ちとは裏腹に、長谷部のメダルはザッと見ただけでも100枚にも増えていた。
「これが本物のカジノだったらなぁ・・・。」
長谷部がため息をつき、ミニバケツ一杯にメダルを移していると丁度、三谷の声が聞こえてきた。
「いけ、いけ、はいれ、入っちまえー!・・・あー、くそ。」
どうやら何かを外したみたいだ。長谷部はバケツを持って声のした方へ移動してみた。するとそこには、ガラス張りになったメダル落としゲームがあり、そのガラス越しに三谷が舌打ちして中を覗き込んでる姿が見える。長谷部に気が付いたのか、三谷は何とも微妙な顔をして首をかしげてみせた。もしかしてこの男、この短時間で全部スったというのか・・。
「どうよ長谷部?俺はごらんのとおり空っぽさ。ははは・・。」
なんと三谷は意外とギャンブルが強くないようだった。調子を聞かれた長谷部は、少しはにかみミニバケツ一杯になったメダルを見せた。
「前哨戦は俺の勝ちみたいだな。」
三谷はそれを見て目を丸くしている。向こうからしてみれば逆に、『意外と』ギャンブルが強い男にうつったのかもしれない。ちょっとした優越感に長谷部が浸っていると、三谷は空のバケツを長谷部に押し付けた。そしてちっとも面白くなさそうな声で、
「トイレ行ってくるわ。」
と、人のいないフロアを歩いていってしまった。誰もいないゲームコーナーで一人になってしまった長谷部。ふと店内の時計を見ると、針はもう21時50分を指していた。
「あれにつぎ込むかな・・。」
あと10分で閉店してしまうことに気が付いた長谷部は、ゲームコーナーの中央に設置してある大きなゲームに目をつけた。このゲーム、一言でいうと競馬のようなものであるが、賭けるのは馬ではない。馬の代わりにスタートラインに並んでいるのはなんとアヒル。そいつらがトラックを一周レースするのだ。そのアヒルのどれかに賭けることができるのだが、これがなかなか凝っている。
単勝はもちろんのこと、3連単、馬連、複勝、なんとワイドまで揃っているのだ。
「近頃のメダルゲームってやつは。」
こんな5匹しかいない子供用ゲームでワイドなんて賭けるやついるのかよ・・と、内心思いつつ、長谷部は迷わず3連単を狙いにいった。そう、どうせ閉店なので全部メダルを使い切ることにしたのだ。ミニバケツに入っている約100枚のメダルを残らず投入した長谷部。オッズを確認してみると、電光掲示には499倍の文字が。よし、まあ当たることはないだろう。長谷部は2.5.3の3連単に全額つぎ込んだ。他にプレイヤーもいないので間髪入れずにレースは始まり、安っぽい音楽と同時にアヒルは一斉にトラックを駆け出した。ミシミシという音とともに前後に揺れながらゴールを目指すアヒルたち。相当古い機種なのだろうが、この動きがまたかわいい。思わず見入ってしまう長谷部なのであった。20秒ほど経つといよいよアヒルどもは最終コーナーを抜け、最後の直線に入ってきた。手に汗握る瞬間である。はずだったのだが、この時点で5番と3番のアヒルが大差をつけて走っていたので、もう勝負は決まったようなものだった。本物の競馬だったら間違いなく馬券を投げ捨てていた事であろう。
「さて、と、俺もトイレ行っとくかな・・。」
長谷部はレースを最後まで見届けることなく、アヒルくん達に背を向けようとしていた、そのとき―――。ピコピコピコピコピコピコ~!!何やらやけに軽快な電子音が聞こえてきたのだ。思わず振り返った長谷部は、固まった。溢れんばかりのメダルが、ゲームマシンから噴き出しているではないか。なんなんだこれは、どういうことなんだ?慌てて機械に駆け寄りアヒルの走っていたトラックを覗き込むと・・・・。
「まさか・・おいおい嘘だろ?」
そのまさかである。なんと3連単が当たっていた。信じられないことに、あれだけ離れていた2番のアヒルがどうやら最後の最後で追い込んだらしい。確かに当たっていたのだ。
「こんな時に限ってかよ・・499倍って・・。」
概算してみると5万枚になる。そんなメダルをいったいどうしろというのだ。ああ、これが現金化できるなら・・。長谷部は人生で初めて大きなギャンブルに勝った。そしてそれと同時に生まれて初めて、勝ったことを後悔する羽目になったのであった。
 マシンから溢れてもなお、メダルは止まることを知らなかった。初めのうちはメダルをまめにバケツへと移し替えていた長谷部だったが、それも次第に追いつかなくなる。やがて床にこぼれていくメダルを見た瞬間、その処理の面倒くささに嫌気がさし、ジャラジャラと鳴り響くゲームコーナーからこっそりと去ることに決めた。
「せっかくだから自慢だけしとくかぁ。」
そうつぶやき、ミニバケツを両手に競鴨マシンに背を向け歩き出した、その瞬間だった。
 ジリリリリリリリリリ!
 突如鳴り響いた巨大な騒音。そのあまりの音の大きさに、驚いた長谷部は思わずメダルを数枚落としてしまった。これは非常ベルなのだろうか、さほど深刻に考えず落ちたメダルを無視して再び歩き出そうとしたとき、
「げっ。」
今度は目の前が真っ暗になったのである。いや、違う。真っ暗だと思ったのは一瞬で、すぐに目が慣れた。かすかに青白い灯りが館内を照らしていたのだ。非常灯であろうか、やけに不気味なこの照明の正体もわからぬまま、長谷部は急に恐ろしくなり三谷の元へ急いで向かおうとした。他に誰も見当たらないジャスコ4F、鳴り響くベルの中。それに追い打ちをかけるようにその叫び声は聞こえてきた。
「走れ――!」
ベルの音に負けないくらいの大きな声をあげながら薄暗い前方から走ってきたのは、なんと三谷であった。顔はよく見えなかったが、ただ事でないことは確かだ。
「逃げろ、早く!」
三谷の言葉を聞いて、長谷部は何をすべきかすぐに理解できた。そう、三谷は追われているのだ。予想通り、その直後にはもう三谷の背後に二人の男の影が見えた。警備員だろうか、猛スピードでこちらに向かってくる。とにかく、まずい。まずいことになっている。
「なんだってんだよ・・・くそっ!!」
長谷部は三谷が自分のところまで来たのを見計らって、両手に抱えていたメダル山盛りのミニバケツを思いっきり追っ手に投げつけた。放物線を描き回転しながら二人の男に飛んで行くバケツ。メダルが四方八方に飛び散っていく。なぜ自分でもそんなことがとっさにできたのか分からなかったが、しかし、これでもう後に引けなくなってしまったのは間違いない。逃げねば。
「こっち来い!」
三谷はそう言うとエスカレータ前にある防火扉を動かし始めた。そうか、防火扉を閉じて時間稼ぎするつもりだな。長谷部は三谷の元へ駆け寄り一緒に鉄製の扉を押した。だが、これが意外と重く、連中が追いついてくるまでに全て閉じるのは難しそうだった。
「こりゃ無理だ、三谷!」
三谷は頷き、すぐさまエスカレータを駆け下りた。長谷部も続く。後ろがどのくらいの距離まで迫っているかなんて気にする余裕もなかった。薄暗い店内の中、エスカレータだけは稼働しており、2段飛ばしで走った長谷部はとにかくもう足がもつれそうで怖かった。こけたら終わる。足元だけ見て3Fと2Fの間まで降りた頃、三谷が急に視界から消えた。不意を突かれた長谷部が前を見ると、2Fに新しい二人の警備員がこちらに向かってこようとしているではないか。
「跳べ!」
三谷は交差している隣の登りエスカレータに移ったのだ。長谷部もその声を聞いて、とっさに手すりに左手をかけ、飛び込んだ。3階へと登るエスカレーターに見事着地、それと同時に上から追ってきた警備員と2階から登ってきた新しい刺客がまるで漫画のようにぶつかり合い、自滅しているではないか。奇跡的といえる。しかしそんなことで喜んでいる場合ではない。早く走らねば。三谷と共に今度は3階に戻り、洋服売り場へとたどり着いた。このフロアも青白い光がかすかに照らすだけで、照明は落ちている。
「おい、あそこだ、あそこに突っ込むぞ。」
三谷が何を指しているのか分からなかったが、とりあえずついて行ってみるとなんと三谷は、大処分祭のワゴンセールで山積みになっている冬物の洋服へと潜りはじめた。ここに隠れようとでもいうのか。しかし迷っている暇はない。そう考えた長谷部は、服に埋もれていく三谷のケツを追いかけワゴンにダイブした。とにかく今は三谷を信じ、全乗っかりスタンスでいくしかないのだから。

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