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映画監督は、誰にも頼まれてない

「給料もらってて、クリエイターって言わないでほしい」
10年前、縁あって食事をした #スパイクジョンズ さんから言われた言葉だ。
「ニューヨークでは、サラリーマンをクリエイターとは言わない」
この言葉をもらった時はまだ僕はサラリーマンだった。あるデザイン会社の社員。
この時僕は、自分の作品の評価がふんわり給料という会社の評価に刺し代わるのではなく、実力で稼げ!という意味ととらえ、独立を決意。
その半年後、れもんらいふを作った。
ここまでの話はよく、様々な場所で話しているが、
ここ最近、このスパイクの言葉の意味が違うのではないかということを感じてきた。

先週、僕は映画監督宣言を発表した。
「映画製作をデザインする。」という言葉を掲げ、
監督に転身するのではなく、アートディレクションの一つとして映画監督をやるという言葉の意味だ。
#安達祐実 さん主演の自主制作による短編。
題して #最終日 という。

https://lemonlife.jp/movie/

この映画は、監督第1弾と銘打ったが、その先に第2弾も実は待ち構えていて、最終日と連動した内容になってくる。
その他テレビやYouTube、さらには広告など様々なメディアを通して作品が連なっていく予定だ。

実は、この映画製作企画は、
昨年2019年1月1日に企画書を書き始め
アートディレクターが監督するとはどういうことか?
どんなテーマで撮りたいのかなどをまとめて、
さまざまな人にプレゼンし、ようやく発表までこぎつけたのだ。
そう、「千原さん、映画監督やってよ」
なんてことは誰にも言われておらず、資金集めや配給会社選び、キャスティングから製作、広告のデザイン、PRまですべて自分でやっている。
そのおかげで、関わる人はすべて僕の考えに賛同してくれているので、スポンサーによる不自由もないし、キャスティングやストーリーも自由、100%僕の考えが届くチームだ。

映画監督は子供の頃からの夢で、
スピルバーグ、ゴダール、市川崑、伊丹十三とさまざまな監督に憧れて「いつか!」と思いながら生きてました。そのいつか!は、いつか声が掛かるような人になろうという淡い期待なのでした。が、
2018年夏に #勝手にサザンDAY というサザン応援イベントを自分で主催してからは、依頼をまつのではなく、やりたいことはやったことなくてもやろう!というマインドに変わった。

アートディレクターとして依頼を受けて仕事をするのとは違い、プロデュースするのは大変だ。
その作品、その企画のチカラでまず、やるかやらないかを説得しなくてはならない。
自分がやりたいことがねじ曲がらないようにしなくてはならない。
監督をやりたいだけなら、必ずヒットする原作や必ずヒットする主演を持ってきた方が早いだろう。
事実、日本の映画界はそのパターンが多い。
面白い企画だけで資金が集まらないのが日本のクリエイティブだ。

はじめに、
スパイクに言われたことが意味が違うことに気づいたと書いたが、傘に守られてつくるクリエイティブは、本当のクリエイティブじゃないという事を言っていたのかもしれないと最近思うようになった。
どういうことかと言うと、
よく友達との会話で、Eテレの番組はキャスティングが面白い!とかいう話しになるが、
ある意味NHKは、受信料という傘に守られているので、本来視聴率を上げてスポンサーを説得する必要がない。
なので、スポンサーが納得する視聴者を引っ張れるキャスティングをしなくても自由、なのだ。
それに対して民放の番組は、番組自体が中小企業のようなもので、視聴率が取れないとスポンサーも降りてしまうし、継続ができない。
わかりやすいキャスト、わかりやすい内容にせざるを得なくなっていく。
つまり挑戦がむずかしく、
いわゆる稼ぐためにやりたくない仕事もやる!ということがおきてくる。
テーマ曲だって、このアーティストがいい!って監督が決めれない。タイアップで宣伝しますという形で製作予算を取り、知らないアーティストでも使わざるを得ない。
つまり自分で会社を経営したり自分で企画を立ち上げると、資金のことも考えなくてはいけないので、「いいよね」「おしゃれだね」「素敵だね」だけでは成り立たない。
ま、そもそもの感覚の違いももちろんあると思いますが、、、。
テレビに憧れた時代とは違い、民放の番組がつまらないのも、その視聴率という仕組みにも問題があるのかなと思います。

映画の企画をやり進めながら
あ、スパイクはそれを言っていたのか!
と、思うようになりました。

やりたい事は、自分の中から生まれます。
だから、やりたいと思った時は、資金も人もすべてがゼロです。
その企画を通して、自分がやりたい内容100%のままやり切り世に送り出した時に、初めてクリエイターの名を語っていいという意味だったのかなーと思ってます。

28歳の時、
東京に初めてやってきました。
知的障害を持つ弟の就職がやっときまり、
母がようやく僕に
「自由にしたら」と言ってくれました。

東京に来た時は1人。
すべてが1人からのスタートでした。
仕事もない、生活もできない、仕送りできない。
実績もなければ知り合いもいない。
借金もしたし、絶望を感じたこともあった。
死にたいって思ったことも。
それでも何かを世の中に残したい。
そんな思いで毎日をすごしていました。

僕にはなんのチカラもありません。
だから、
アートディレクターなのかもしれません。
アートディレクターは、
キャスト、カメラマン、ヘアメイク、スタイリスト、デザイナーなどさまざまなスタッフに助けられて成り立つ仕事です。
いつのまにか、1が2になり、1つの仕事を完結できるまで仲間が増えました。れもんらいふをつくって来年で10年、たくさんの人に支えられてここまでやってきました。
ゼロから何かを生むパワーもその出会いがあってこそです。

映画監督は僕の夢です。
積み上げてきた最後の夢です。
この企画を立ち上げ、やりきることが
子供の頃からずっと積み上げてきた壮大なクリエイティブだっだのではないかと思います。

来春、
その夢が叶うというよりは
その夢の一歩がスタートします。
ゴールはありません。
頼まれることも頼まれないこともカタチにして落とし込むのが、
これからも僕の使命だと思う。
納得いく作品をつくる土俵はできました。
いつか、スパイクに肩を並べ、監督として
「あの時ありがとう」と言いたい。


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