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道草も並木のにぎわい

貧乏暇なしとはまことにその通りなのだが、ここnoteに駄文をものす程度の時間すら確保できないようなやんごとない身分ではない。更新の遅滞(あるいは途絶)は、ひとえに僕が持って生まれた怠惰の成果物である。

と、過去のエントリを見返してみたところ、前回記事を書いたのは約4ヶ月前。アリス展のレビューを書いたことなんてすっかり忘れていた。てっきり半年以上は無沙汰を決め込んでいるものと思っていたから、ブックマークツールバーに「note」の文字を見かける度に、記事を書こうとしない自分が厭になっていたものだった。せっかく読んでくれている読者諸賢のため、とかではもちろんなく、一度始めたものを投げ出すのに嫌悪感を抱いているだけの話だ。

読者と言えば、半年くらい前から某雑誌で隔月の連載を持たせてもらえることになった。専門誌というか趣味の雑誌というか、どうあれ一般の人が手に取るようなものではないけれども、個人的にはある意味で権威的な雑誌だから、お話をいただいた時はとても嬉しかった。
偉大なる先輩方がさまざまな論考・発見を発表してきた媒体だけに、当然緊張はある。が、逆に言えば僕などが「大発見」を書けるはずなど初めからないわけで、それでも僕に書かせてくださったのは、「僕なり」な文章とか、「フレッシュ」な書き味を期待なさってのことだろうと思うから、気負いすぎる必要もないのだろう。

しかし、「カッコ笑い」が末尾に付く「ライター」とは言っても、不相応な原稿料をもらうからには手抜きなどできない。ふだんから調べものはよくするほうだと思っているから、その経験を存分に活かして2ヶ月に1回の締め切りをどうにか凌いでいるわけだが、それでもなかなか息切れがしてくる。専業の物書きはえらい。

これまでに発表したのは3回分。いずれも内容は未熟なものばかりだが、文章それじたいは、周りの先輩からお褒めを頂けたのが望外の幸いだった。これまでの人生で、ブログやらFBやらこのnoteやら、どーでもいい文章を書き連ねてきた甲斐が少しはあったかなと思う。

もちろん本名でやってるので、ご興味のある向きはググってみていただきたい。


頂いた原稿料をため込むのは健康的ではない。ただでさえ過分な報酬なのだから、ちょっと手の出しにくかった本を購うことで少しでもギョーカイに貢献するのがスジというものではないか。

そうして買った1冊に、岩波文庫の『島崎藤村短篇集』がある。

藤村というと文学史に燦然と輝く大文豪のひとりであることは言うまでもなく、小説と詩というふたつの分野でそれぞれ確固たる地位を築いているという点で、ほかに類をみない作家である。けれども、僕は文学部の出とは言え不勉強極まりない遊民なので、マトモに読んだ作品が多くない。ほぼ未読といって差し支えないくらいだ。

近代文学コレクターが藤村に触れてないのはちょっとマズいと思っていた(まあこれは多くの文豪について言える)ところ、岩波文庫からちょうどよさそうな短篇集が出たので購った次第である。

で、読み進めてみるとこれが非常に面白い。明治の作でも読みやすいというのもそうだが、テーマ性が普遍的なのに驚かされる。何も考えずにボーっと読んでいたら、明治なのか昭和なのか見失ってしまいそうだった。もちろん、選者の大木氏がそういう作品、つまり現代のわれわれが読んで素直に楽しめるものをピックアップしているということなのだが、難しそうでイマイチとっつきにくい作家へのアプローチとしては、やはりこういう本が必要だろうと思う。
ちなみに、芽を出すことなくのうのうと生きている僕は、「並木」に刺さるものが大きかった。


そろそろ寒くなってくるので、気力を保つ意味でも各所で文章を書き続けていきたいと思っている。
そうでもしないとダラダラ過ごすばかりで無気力に拍車がかかってしまうからだ。


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