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ヤレる大学ランキングに母校が入っていたこと。

タイトルの通り。

最初に知ったのは、テレビのニュースだった。
ランキングに入ったとされる大学の学生が、出版社に抗議に行く場面が流れていた。

そして数日後、ネットニュースでも見かけるようになり、わたしは何となくその記事をクリックした。
とくに興味があったわけではない。
「下らない記事を書く人がいるんだな」くらいの気持ちだった。
でも、なぜか見てしまった。

本当に、何となく見ただけの記事。
けれど、それはわたしに大きな衝撃を与えた。

母校が入っていたのだ。
しかも1位。

ヤレる女子大1位が、わたしの母校……
っていうことは、あの時テレビで流れていた抗議をする女子大生は、わたしの後輩ってこと……?

一瞬時が止まり、そして頭の中には次々と大学の思い出が浮かんできた。
走馬灯のように、とはこのことだと思った。

………………

いくつもの大学を受験したが、ことごとく落ちていたわたし。
高校の卒業式、一人暮らしの新居の住所を教え合う同級生を見て、進路が決まっていない焦りと惨めさを感じていた。

3月も終わりに近づいたころ、二次募集で拾ってくれた学校が、母校だった。

以前も書いたことがあるが、最初は本当に友達がいなかった。
誰とも話さず、お昼も食べず、毎日図書館で本を読んでいた。

そんなわたしに、一人の友人が出来た。
今思い出しても、大学時代の友人は、彼女だけだ。
でも、それだけで心は充分満たされていた。
心の奥底から全てを話せる人がいる幸福感。
彼女との出会いは
あの時、他の大学落ちてよかったな、とさえ感じるくらい大きかった。

……

多くの人とつるむことが苦手だった私は、よく一人で授業を受けていた。
ある日の4号館。
そこは学部全体が集合する時に使われるような講堂だったが、そこでも授業は行われていた。

後ろの席で一人ポツンと座るわたし。
前のほうに生徒が固まり、先生との距離も近く、楽しそうに授業が進められている。
ちょうどそれは『日本語教授法』みたいな授業だった。
わたしはボーっとしていた。

その時だ。
「米山さん」
そう呼ばれた。

「米山さんは、どう思いますか?」

遠くの黒板の前で、先生がこちらを向いている。

ドラえもんみたいにまんまるで、親しみのある笑顔。
いつもベルトがパンパンで、生徒にからかわれている人気者。
山内先生だ。

先生は、マイクを通し、穏やかそうな顔でわたしに意見を求めてきた。

その瞬間、前に座っていた生徒が一斉にこちらを見る。
存在を消すように後ろに座っていたわたしは、顔が真っ赤になった。

先生の問いに意見を言ったことで一瞬の緊張は終わったが、とても恥ずかしかった。
でも心の奥は、何か温かいものがあった。

あの先生、わたしのことを、わたしの名前を知ってくれていたんだ。
こんな大きな教室でわたしを見つけてくれた。

山内先生が言ってくれた「米山さん」は、
「あなたも、ここの仲間ですよ」そう聞こえた。

機械的なものばかりを想像していた大学の授業。
なんだ、あったかいじゃん。
そう感じた。

やっぱりその時も、
他の大学に落ちてよかったな、と思った。

……

あの時、心療内科を受診していたならば、何か病名がついたのだろうか。
大学の駅に着くと、心臓がバクバクして電車から降りられないことがあった。
身体を引きずるように何とか学校にたどり着き、向かう先は学生相談室。
そこには、母校を卒業したばかりの少し年上の先輩が、カウンセラーの卵となり受付業務をしていた。

わたしは、そのお姉さんの前でひとしきり泣いてから教室に入る、ということが日課になっていた。
名前は何だっただろうか。覚えていない。
水卜ちゃんに似た雰囲気の、かわいらしい方だった。

その当時は、今ほど『頑張らなくていいよ主義』が広まってはいなかった。
だから、水卜ちゃんが言ってくれた、
「千晴ちゃん、もう無理して笑わなくてもいいんだよ」は、
とても衝撃で、新鮮で、そして嬉しかった。

教室に入れたのは、彼女のおかげた。
そして彼女に出会えたのは、この大学に入ったから。
やっぱり、わたしはここが好きだった。この大学が好きだった。

……

兄が交通事故に合い、車いす生活になると知った時は、まともに授業を受けられなくなった。
心と体が苦しくて、保健室によく行った。
保健室の先生は、何度も何度もわたしの手を握ってくれた。
何度も、何度も、何度も。

過去お世話になったどの保健の先生よりも、大学の保健室が好きだった。
先生が好きだった。
きっと理想の母親像を重ねていたのだと思う。

……

教育実習で授業が上手くいかなくて、生徒がいる教室で泣いてしまったことがあった。
その時も、実習がない土曜日をつかって、大学に行った。
通学時間およそ3時間半。乗り換え3回。
電車4本を乗り継ぐ。
行くことさえも疲れる距離だったが、そこには信頼できる人がいる。
わたしを助けてくれる人がいる。

少し背の低い、その教授の前でわたしは泣き、
「もう授業やりたくないです」と言った。

教授は
「そうか、そうか」と話を聞き、わたしが落ち着くと一緒に教材案を練り直してくれた。
模擬授業を見てくれた。
1対1で。何時間も。

……

こうして大学のことを書いていると、あれもこれもと思い出して書ききれない。
あそこには、確かにわたしの人生を救ってくれた友人と先生がいたのだ。

それなのに、それなのに……!!


ヤレる大学1位。
詳しくは覚えていないが、その理由がキャンパスの場所だったと記憶している。
確か、渋谷だからきっと遊んでいるだろう、みたいなものだった。

こいつ、クソだな。

そう思った。

都会か、田舎か。
偏差値の高さ低さ。
服装の派手さ地味さ。

そんな理由にもならないものを並べて、人を侮辱する。
最低だ。

怒りを感じた。
そしてその怒りの奥底に、大きな悲しみがあった。


『ヤレる大学』という文字に重なるように思い浮かぶのは、

樹木希林に似ていた、たった一人の友人と、
ドラえもんみたいな山内先生と、
水卜ちゃんの笑顔と、
保健の先生のあったかい手と、
実習を指導してくれた先生の声と、

「千晴ちゃん、今日も大盛り!?」とこぼれるくらいのカレーをよそってくれた学食のおじちゃんと、
真新しいピンクの校舎と、
講堂で見た日韓ワールドカップ、青いユニフォームを着た教授達と
すぐに売り切れてしまう人気のパン。

そして
「あなたなら、きっとライターになれる」と
何回もわたしの文章を添削してくれた先生。


思い浮かぶ大切な人たちが、この記事を見て悲しんでいる様子を想像する。やっぱり許せない。

大好きな人を、大好きな場所を傷つけたこと、許さない。

抗議という怒りを表明した後輩を誇りに思う。

もう何年も前に卒業した、目立たない一人の卒業生だけれど、
わたしも、怒りを表明したい。

わたしは悔しい。
そして、悲しい……。


山内先生と水卜ちゃんの笑顔が浮かぶ。

「何があっても、どう言われようと、何も変わらないよ」

そう笑っている気がした。













サポートありがとうございます。東京でライティング講座に参加したいです。きっと才能あふれた都会のオシャレさんがたくさんいて気後れしてしまいそうですが、おばさん頑張ります。