田中ちはる

映画・文学文化研究者。近畿大学文芸学部教授。2018-19年、ロンドン大学客員教授とし…

田中ちはる

映画・文学文化研究者。近畿大学文芸学部教授。2018-19年、ロンドン大学客員教授としてロンドンやパリなどに在住。ライフ・ストーリー、ドキュメンタリーとフィクションの関係、コメディが専門。人々が自由に個性を発現できる世界を希求しつつ、リアリティとは何かという研究をつづけています。

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世界中から研究者や小説家や俳優が集まってくる、資料図書館IMECでの日々

週日に通っている資料図書館IMECにいる人びとは、博士論文のリサーチに来ている大学院生とか、(わたしのように)なんらかの研究休暇を取って草稿を読みにくる研究者とかなのだが、ここに小説家も住んでいることがわかった。いわゆるライター・イン・レジデンスwriter in residence, écrivain en résidenceである。 かれはエドゥアルド・ベルティEduardo Bertiという、フランス在住のアルゼンチンの作家。話を聞いているとメタフィクション的な感じな

    • ジョー・モリヤマさんに写真を撮ってもらい、表情が社会への窓であることを学ぶ

      国際的に活躍する有名カメラマンの、ジョー・モリヤマさん。バルセロナにお住まいなのだが、パリでシューティング・セミナーをしてくださるということで、参加した。 ジョーさんがよく頼んでいるというフランス人のメークアップアーティストに、メイクをしてもらった。かなりあっさりしたメイクで、え、これプロのメイク?と、拍子抜けするくらいである。 実際の撮影の前に、まず表情についてのお話があった。表情を作る3要素は、目元と口元と性格。目元は社会への窓、眉間にしわを寄せたりしない。口元は心の

      • ノルマンディー上陸作戦75周年の当地で、道でジャックダニエルズをふるまわれる

        第二次世界大戦でドイツ軍に侵攻されたフランスを解放するため、英米軍がイギリスよりのノルマンディーに上陸したDデイJour-Jは、1944年6月6日。2019年6月6日はその75周年で、その周辺の日から、記念式典みたいなものがいろいろ行われたらしい。そのさなか、わたしは4日にノルマンディーのカンに移動していた。 パリからカン行きの電車は3時間遅れ、当地のアーカイブに朝9時に着くはずが、12時になった。木が線路に落ちたとかよくわからないことも言っていたのだが、すでにこの75周年

        • 世界遺産のピュイ=ド=ドームと、ピスタチオのフォンダン・ショコラ

          フランスの中央高地オーヴェルニュ地方の、クレルモン=フェランの街は、黒い。だからロメールは冬の雪の時期に、白と黒のこの街を、まさにモノクロで撮った。ここまで色の黒いカテドラルは、そうそうない、と思う。 それは、火山の溶岩石で、つくられているから。ここは火山地帯なのである。ヴォルビックVolvicの採水地も、ここ。 そういうわけで、クレルモン=フェランに映画散歩にきたついでに、街からバスで30分くらい乗ったところにある火山地帯、ピュイ=ド=ドームPuy-de-Dômeへ行っ

        世界中から研究者や小説家や俳優が集まってくる、資料図書館IMECでの日々

        • ジョー・モリヤマさんに写真を撮ってもらい、表情が社会への窓であることを学ぶ

        • ノルマンディー上陸作戦75周年の当地で、道でジャックダニエルズをふるまわれる

        • 世界遺産のピュイ=ド=ドームと、ピスタチオのフォンダン・ショコラ

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        記事

          フランス・オーヴェルニュ地方のクレルモン=フェランで、映画散歩

          エリック・ロメールの『モード家の一夜』Ma nuit chez Maud(1968)の舞台は、フランスのちょうど中央付近にあるオーヴェルニュ地方の、クレルモン=フェランClermont-Ferrandである。クリスマスの映画なので、本当は雪がしんしんと降る冬に行かなければならなかったのだが、その時期にはそういう気持ちの余裕がなくて、今になってしまった。 主人公(『男と女』で有名なジャン=ルイ・トランティニアン)はミサでブロンドの女の子を見初め、彼女と結婚すると決める。人を見

          フランス・オーヴェルニュ地方のクレルモン=フェランで、映画散歩

          街の人たちの議論が終わらない、フランスのローカルシネマの夜

          本当は下の写真をカバーにつかいたかったのだけれど、カバー写真は上部が切れてしまうため、つかえなかった。まさに映画のショットのような、あまりに絵になる、地方のひなびた映画館。 ブルゴーニュ地方の街モンバルMontbardから、車で10分くらいのセミュールSemurという街にある、まさにローカルシネマ。 2005年からつづいているフランスの長寿テレビ番組に、『愛は牧場のなかに』L'amour est dans le prèというのがある。農業従業者の結婚相手を探すのが大変なの

          街の人たちの議論が終わらない、フランスのローカルシネマの夜

          おばさんと一緒にいただく、ブルゴーニュの家庭料理

          今週はパリから南東にTGVで1時間の、モンバルMontbardというところで、ホームステイをしている。上の階におばさんが住んでいて、毎日アペリティフから始まりデザートとカフェに終わる豪華な昼食を、用意してくれる。 すべて伝統的なフランス料理で、食べながらフランス文化について、いろいろな話をしてくれる。もちろん単に会話していることも多いが。 モンバルはブルゴーニュ地方にあるので、フランスだけでなく、ブルゴーニュの食べ物の話などもあり、実際に出してくれる。何度かブルゴーニュを

          おばさんと一緒にいただく、ブルゴーニュの家庭料理

          パリで泥棒に入られた件と、スリの話 その2

          パリにはロマというジプシーがいて、スリや泥棒を働く(ロマだけではないかもしれないが)。しかしここ数年パリは、相次ぐテロで観光客が激減している。お客がいなくなったため、かれらは南下して、バルセロナで仕事をしているという話を、聞いていた。2018年の8月にパリ入りする前にはバルセロナに行ったので、渡欧前には、スリ対策ばかりしていた。 バックパックなんか絶対ダメ、前がけのカバンでないといけない。財布にも携帯にも、必ず紐をつける。レストランで椅子の上にカバンを置いたりしたら、一瞬で

          パリで泥棒に入られた件と、スリの話 その2

          パリで泥棒に入られた件と、スリの話 その1

          その日わたしは1日だけ合宿していて、夜中の3時くらいまで、話し込んでいた。電話が鳴ったのは、2時前くらい。大家さんだった。 その家は電波が良くなくて、電話ができず、メッセになった。なんと泥棒に入られた、という。鍵をかけたのか、としつこく聞いてくる。最近パリでは泥棒がとても増えているのだ、とも書いてきた。 アパルトマンには、3段階の鍵がある。1つ目は、建物に入るための、暗証番号のようなもの。もう1つは、アパルトマンに入るためのドアの鍵。最後に、自分の部屋に入るための鍵である

          パリで泥棒に入られた件と、スリの話 その1

          潜水服は蝶の夢を見る:左目のウィンクだけで書かれた自伝

          Le scaphandre et le papillon (2007)原題。監督ジュリアン・シュナーベル。 ELLE誌の編集長だったジョン=ドー。三人の子供の母親とはもともと事実婚状態だったが、今は恋愛関係にもない。おそらくは、結婚生活の責任を引き受けることを拒み、華やかな享楽生活を追求しつづける独身貴族のプレイボーイ、というタイプだったのであろう。 そういうタイプが何らかの事件をきっかけに結婚や責任にめざめる、というストーリーは、映画にもよくあるが、この話は実話であり、

          潜水服は蝶の夢を見る:左目のウィンクだけで書かれた自伝

          夜を楽しく:亡くなったドリス・デイの魅力が満載の、カラフルな夢の世界

          Pillow Talk (1959) 原題。 ドリス・デイが97歳で亡くなった。ヒッチコックの『知りすぎていた男』(1956)のリメイク版で、賢い母を演じた彼女が、息子を救出するために歌ったケ・セラ・セラ は、世界中の誰でも知っているようなスタンダードなナンバーになった。 これは大好きな映画だが、ドリス・デイの映画といえば、わたしはピロー・トーク、『夜を楽しく』を思い出す。よくわからない邦題なのだが、ピロー・トークをそのまま訳すわけにもいかなかった、というところ。カラフル

          夜を楽しく:亡くなったドリス・デイの魅力が満載の、カラフルな夢の世界

          Mid 90's:スマホのかわりにスケボーとヒップホップがあった頃

          コメディアンというのはだいたい、じつはシリアスなひとが多い。人間の性格は複雑であるので、どういうひとがコミックでどういうひとがシリアスなのかということを、二分できるわけではないのだが。 ひとを笑わせるという行為は、究極の演技であるから、頭を使わなければできない。チャップリンのように、道化の演技そのものによって、人間性のペーソスやモラルを最大限に表現していれば、芸術表現の魂はそこに円熟していくだろう。ウッディ・アレンも初期にはバカを演じていて、そういう意味での面白さを求めるな

          Mid 90's:スマホのかわりにスケボーとヒップホップがあった頃

          金物屋さんは、みんなの憩いの場所だった

          68, mon père et les clous. 『68年、ぼくの父と釘』。 パリ5区のカルチェラタン地区に、モンジェ通りRue Mongeという有名な通りがある。その16番地に数年前まで、30余年間営業していた、Bricomongeという金物屋さんがあった。 店は地域の人々が集う、共同体のたまり場のようになっていた。自分で作った食べ物を持ってきて他の客に振る舞うおばさんや、コーヒーを何杯か入れてきて持ってくるアジア系の男の人。人種も様々な人々が、釘を買いに来たふりを

          金物屋さんは、みんなの憩いの場所だった

          生涯を通して学びつづけた、ドラッカーの教えと、学びの二つの回路

          井坂康志さんの『ドラッカー流フィードバック手帳』という本に書かれている、ドラッカーの教えは、なかなかインパクトがある。それはかれが「知識」ではなく「知恵」を語っているからだと思う。 文学、歴史、哲学などを縦横に学びつづけつつ、マネジメントという実学にかかわり、現場でその知恵を切磋琢磨していく人生だったのだから、その知恵には人生の深淵そのもののような、深みがある。 たとえば自分の「強み」にフォーカスしろ、という教え。なるべく自分を変えず、「強み」を生かして成果を最大のものと

          生涯を通して学びつづけた、ドラッカーの教えと、学びの二つの回路

          ヨーロッパの横断歩道の渡り方と、合理主義について

          「みんなで渡れば怖くない?:フランスの信号事情」というnoteの記事で、natsumiさんが、赤信号で渡る人が多いのに驚いた、という話を書かれている。わたしはこれを、20年以上前にヨーロッパに行ったとき、体験した。少なくとも当時東京では、信号無視をする人など皆無であったので、わたしも最初は、とても驚いた。 しかし人間、環境にはすぐに慣れてしまうもので、自分も同じように、信号を必ずしも守らないで車道を横断する方が、まったく普通になってしまった。そして今に至る。つまり、ヨーロッ

          ヨーロッパの横断歩道の渡り方と、合理主義について

          イギリスとフランスの携帯電話事情と、フランス語kindleについて

          わたしは日本ではずっと、docomoユーザーである。帰国して使いはじめたのが2001年だから、18年くらい。渡英したのは1995年だったが、そのときは携帯はなかったような気がする(わたしは持っていなかった、というか)。ここ20年間の携帯テクノロジーの進化、おそるべし。 iphoneのみならずipadのヘビーユーザーなので、2台持ち。毎月12000円ほど、携帯料金を払っていた。機種代金を払い終わっても、同じ値段で、損だった。 SIMフリーにするため、渡欧前に大枚を投じ、両方

          イギリスとフランスの携帯電話事情と、フランス語kindleについて