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映画

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記事一覧

パリはなぜ映画天国なのか

パリではシネマテーク・フランセーズという映画館に通うことが多いのだが、ここはabonné(e)(…

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ノルマンディー上陸作戦75周年の当地で、道でジャックダニエルズをふるまわれる

第二次世界大戦でドイツ軍に侵攻されたフランスを解放するため、英米軍がイギリスよりのノルマ…

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据え膳食わぬは男の恥なのか、パスカルに聞いてみる

『パンセ』のなかでも有名な、神を信じるか信じないかについての対話、「パスカルの賭け」。コ…

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フランス・オーヴェルニュ地方のクレルモン=フェランで、映画散歩

エリック・ロメールの『モード家の一夜』Ma nuit chez Maud(1968)の舞台は、フランスのちょう…

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街の人たちの議論が終わらない、フランスのローカルシネマの夜

本当は下の写真をカバーにつかいたかったのだけれど、カバー写真は上部が切れてしまうため、つ…

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キューブリック展@デザイン・ミュージアム 詳細レポその1

スタンリー・キューブリックが映画を作る際に使ったノートや、衣装や、カチンコや、大道具など…

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キューブリック展@デザイン・ミュージアム 詳細レポその2

キューブリックは、映画のためのストーリーをどこで見つけてくるのか?と聞かれて、「たいていの話を見つけるようにさ」と答えている。それはどういうことかとさらに聞かれると、「単なる運だよ(Sheer chance.)」。創造の友はセレンディピティというわけ。 たとえば『時計じかけのオレンジ』は、ジョン・バージェスの小説が原作だが、これはキューブリックの奥さんがバージェスファンだったので、いやいや読まされたものだった。 セレンディピティによってアイディアを得たら、テーマについて研

潜水服は蝶の夢を見る:左目のウィンクだけで書かれた自伝

Le scaphandre et le papillon (2007)原題。監督ジュリアン・シュナーベル。 ELLE誌の編集長…

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金物屋さんは、みんなの憩いの場所だった

68, mon père et les clous. 『68年、ぼくの父と釘』。 パリ5区のカルチェラタン地区に、モ…

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Mid 90's:スマホのかわりにスケボーとヒップホップがあった頃

コメディアンというのはだいたい、じつはシリアスなひとが多い。人間の性格は複雑であるので、…

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Irene's Ghost:三歳のときいなくなった、謎の母親をさがす旅

愛する妻と、かわいい娘とともに、しあわせな家庭生活を送っていた、イエイン。今や自分が親と…

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A Northern Soul: どん底の子どもたちを、アートとカルチャーが救う

ブレグジット(Brexit)は、なぜ可決されたのか。映画的文脈でとても単純にいうと、それは八方塞…

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運び屋:八十八歳のクリント・イーストウッドの、自分の物語の再創造

パリにいたときそのポスターを、よだれが出そうになりながらながめていたイーストウッドの『運…

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グリーンブック:自分は黒人っぽくも白人っぽくもない。自分は何者なんだろう?

三歳のときすでに教会でピアノを弾いていたという、ドン・シャーリー。世間は黒人のピアニストを受け入れる準備ができていない、と言われ、コンサートピアニストになることを、あきらめた。 いやいやながら、ナイトクラブのジャズ・ピアニストになった。 シャーリーは深い文学的教養と博士号をもつ天才で、ハイソで誇り高い人間だった。実話である。 1962年、ライブツアーをしたシャーリーは、白人の運転手をやとった。特に南部では、あからさまな人種差別が激しい時代だったので、用心棒も兼ねてのこと