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恋はデジャ・ブ:自分の箱から出るための方法

フランスのユーゴ・ゲランHugo Gélinという若い映画監督が、影響されたといっていたので、ハロルド・ライミス監督の1993年の映画『恋はデジャ・ブ』(Groundhog Day) を観た。

2月2日の、日本でいえば啓蟄、節分は、アメリカではグラウンドホッグ・デイという。グラウンドホッグつまりウッドチャックは、マーモットの一種、まあネズミかモグラみたいな動物である。2月2日にグラウンドホッグが地上に出てきて、晴れていると自分の影が映るので、びっくりして穴に戻ってしまう。曇っていればそのまま出てくる。

つまりグラウンドホッグが冬眠から覚めて春がくるのは、晴れていると遅くなる、という占いみたいなお祭りである。発祥はドイツらしい。

ビル・マーレイはテレビで人気の天気予報官で、このお祭りの取材のため、ペンシルバニアの田舎町にやってくる。自分はスターであると思っているかれは、傲慢に周囲をバカにしている。ひとりで高級ペンションに泊まり、プロデューサーのアンディ・マグダウェルとカメラマンは、ビル・マーレイが罵倒する安ホテルへ。

ところがかれは、穴にもどってしまうグラウンドホッグのように、永遠にこの日から出られなくなってしまい、冬に閉じ込められたままになる。朝6時の目覚ましを止めて起きると、毎日2月2日。2月3日が来ないのである。前の日にやったことは、朝起きるとすべてチャラ。振り出しにもどっている。

シナリオではかれはこれを、3000回くらい繰り返したことになっているらしい。10年間ずっと同じ1日を繰り返した、ということである。

最初は何をやってもいいんなら羽目を外せと、線路の上で車を走らせ、警察につかまって留置所に入れられる。朝起きるとまた自分のベッドに戻っているので、最初かれはやった、と思う。

つぎは女性を口説きまくるのだが、そうしているうちにじつは、好きなのはアンディ・マクダウェルだ、と気づく。そこで今度は彼女を口説き、1回ごとに彼女の好きなもの、嫌いなものを学習していくが、どこまでやっても嘘くささが抜けなくて、彼女にビンタされて終わる。

絶望したかれは何度となく自殺をくりかえすが、次の朝になるとまたベッドで起きている。死ぬこともできないのだ。スター気取りの自己中男も、同じ日を3000回も繰り返していると、さすがにいろいろ学んでくることがある。

かれはピアノを習いはじめ、ゼロからジャズピアノまで弾けるようになる。他人に関心のなかったかれが、人助けを始め、おばあさんたちの乗った車のパンクをなおし、ホームレスのおじいさんにお金をあげたり、ごはんを食べさせてあげたり、病院にかつぎこんだりするようになる。

つまりどんどんいい人間、いい男になっていくわけである。策略ではなく、自分そのものの中身が変わっていくことによって、アンディ・マクダウェルはどんどん、かれに首ったけになってくる、というわけ。

ハロルド・ライミスはこの映画のアイディアを、ニーチェの永劫回帰の思想から得たという。来世で救済されるために、いま我慢するのではない。いまこの瞬間を、日々を、充実したものにしていなくては、日々の繰りかえしに耐えられない。あとでくる救済への担保としての人生ではなく、いまを生きる、ということ。永遠に現在というものしかないのだ。

同じことの繰りかえしとは、じつは多くの人が生きていることである。ビル・マーレイがやっていることは、その誇張された戯画にすぎない。同じ日ではないけれど、同じような日々。

日々の単調な繰りかえしを、受動的にではなく、主体的に引き受ける。箱の中から出るエネルギーは、一期一会にいまを生きる日々の、気づきと行動のつみかさねによって、つくられていく。

という哲学を、日々実践に落としこむのは、もちろんたいへんなこと。この映画ではビル・マーレイが、3000回くらいやればジャズピアノも弾けるようになるし、人格もよくなり、アンディ・マクダウェルも落とせるよ、と言ってくれている。

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