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ブロークン・フラワーズ:存在の耐えられないアンニュイさと、5人の個性的な女性

ビル・マーレイの『ブロークン・フラワーズ』(2005, Broken Flowers)。これはジム・ジャームッシュ監督の映画なのだが、ビル・マーレイが出ていると、なんだかビル・マーレイの映画になってしまう、といま書いて気づいた。かれはこの映画での演技が完璧だったので、引退しようかと思ったほどだという。

本当はこれは、ジャームッシュのもともとの作風と、ビル・マーレイという存在が、ぴったりマッチしている、ということでもある。しかし、ビル・マーレイという存在が、あからさまな作者の分身になっている、というのでもない。映画全体をビル・マーレイという存在が、一手に引き受けてしまっている、とでもいえばいいか。

昔『存在の耐えられない軽さ』という小説と映画が流行ったが、ビル・マーレイは、存在の耐えられないアンニュイさ、を体現している。かれは以前コンピューター事業で成功したので、金には困っていない。やることがないし、結婚とかもしたくない。

そんなかれに愛想を尽かし、冒頭で恋人のジュリー・デルピーが出ていく。だいたい、彼女はビル・マーレイのどこがよくて付き合っていたのか、映画を見ているだけでは、まったくわからない。人生に倦んだ表情で、ソファーに座っているだけなのだから。



かれは若いころはドンファンで、あまたの女性と浮名をながしていた。1960年代の自由恋愛の時代に、若い盛りだったようだ。ブロークン・フラワーズはもともと、デッド・フラワーズ(枯れた花)という題名だったそう。仕事にも恋愛にも気持ちが枯れて、その不毛さに飽いた、というところか。

そんな折、ピンク色の手紙が届き、中を開けると、かれに19歳の息子がいる、と書いてある。隣人にせっつかれ、かれはピンクの花束を持って、その息子と母親を探す旅に出る。

そこでアンニュイなかれの存在に彩りを添えるのが、かれが次々にたずねる女性たちの、それぞれの「個性的な」人生である。

ひとりめはシャロン・ストーン。彼女はレーサーの未亡人で、タンスのお片づけオーガナイザーをしている。これでちゃんと生計が立つのよ、すてきでしょう。ロリータという名前の娘は、かれの前で全裸になる。かれは母親の方と寝る。



次の彼女はフランセス・コンロイ。彼女は夫と不動産屋をやっている。60年代にヒッピーだった彼女は、やはりそういう昔の自分を否定するように、ド中産階級な生活を営んでいる。彼女が人生に倦んでそうしていることは、彼女の顔のひきつりと身体のこわばりに、ありありと現れている。



3人目のジェシカ・ラングは、アニマル・コミュニケーター。彼女もまた、弁護士になる夢をあきらめて、こうなっているらしい。秘書の女性の嫉妬の視線にあい、ビル・マーレイの入る隙はない。(下の写真が秘書。足がすごい)

4人目のティルダ・スウィントンは、バイカーたちと田舎に住んでいる。ビル・マーレイはバイカーたちに、派手に殴られる。

要するにロード・ムーヴィーである。息子の母親探しのため、昔付き合った女性がどうなっているかを、ひとりひとり確かめていくのだ。その間エピファニー(発見の瞬間)が起こるような、劇的な事件は、全く起こらない。

ビル・マーレイと付き合っていた頃の彼女たちは、かれとともに、若さの無茶振りをしていたのだろう。今はそれぞれにあきらめを噛みつぶしながら、ひっそりと人生をいとなんでいる。

のだけれど、この5人の女性たち、女優たちは、そういうちょっと奇妙な役柄をやりつつ、個性的であり、魅力的である。人生後半にかなりさしかかって、人生が決してうまくいっているようではない彼女たちだが、そういうありのままのぎくしゃくした存在感が、威光を放っているのである。そう、まさにビル・マーレイと対等に。

ビル・マーレイも彼女たちも、ブロークン・フラワーズである。小説でいえば、レイモンド・カーヴァーなどの世界観に似ている。人々の、なんとも仕方のないような人生を、まったく淡々と映しとって、そのままに輝かせること。それが、処女作から変わらない、ジャームッシュの世界である。

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