虐待のニュースを聞くたびに。

読みにきていただき、ありがとうございます。CHIHAYAです。

幼い子が虐待を受けていたという痛ましいニュースを聞くと、私はいつもある想いが浮かびます。


それはおそらく、他の人たちとは違う、想い。


私の意識は私の幼いころに飛んでいってしまうのです。


そして、こう思うのです。

ああ、虐待を受けた子に対して、憐れみと悲しみを持ってくれる大人はこんなに多いんだ。


こんなにひどいことをする、と怒ってくれる大人たちはいてくれたんだ。

と。

私は、幼いころずっと日常的に虐待を受けていました。


他の家族がどのように過ごしているのか知りませんでしたから、これが普通なのだと思っていました。


母が暴力をふるう理由を私は幼いながら薄々わかっていました。


私に暴力をふるうことで、母は心のバランスを取っている。


義父母(私からすると祖父母ですね)から執拗ないじめを受けていた母は、精神バランスを崩していました。


それでも、暴力を振るわれるのは嫌でした。


誰か助けてほしい。
この苦しみから解放されたい。

でも助けてくれる人は誰もいませんでした。


なので、ニュースを見るたび、

助けてくれる人は本当はいたのかもしれないと意識が飛んでしまうんですね。

けれど、もしあの時、そんな大人たちが私を守ってくれると言ってくれたら、私は助けを求めたでしょうか?

答えは「NO」です。


ある日私は、母が母自身の胸に刃物を突き刺そうとしているのをみつけました。


「いや、死んじゃ嫌っ」


と泣きながら止める私に母は言いました。


「私がいなくなっても新しいお母さんがきっとくるから」
「私じゃなくてもいいでしょ」


そういって母は刃物を手から離そうとしませんでした。


思えばあの時からなのです。


私はすべてを耐えようと心に決めました。


どんなに暴力を受けても、どんなに辛くても

私が「よい子」であれば、母は死なない。

いなくならない。


その時、私は私を殺しました。


それから心にずっとずっと、麻酔をかけて生きるようになりました。

大人になり、いろいろありましたが、そのときの経験は私の人生に暗い影を落としました。


学習性無力症という現象を知っているでしょうか?

学習性無力症
長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象です。

過酷な生活環境がなくなっても、
幸せな家族に囲まれても
仕事でどんなに褒められても

私は自分を殺す癖から抜け出すことができませんでした。


それが、私がずっと自分を消してしまいたいと思っていた理由です。


親はいつでも無条件の愛を注ぐ。


それは嘘です。


もちろんすばらしい親御さんもいるでしょう。


けれど、子を殺す親はいくらでもいます。


本当に無条件の愛を注ぐのは、幼い子の方なのです。


どんなにひどい目にあっても、

親と一緒にいたい。
引き離されるなら耐えてしまおう。


おとうさん、おかあさんに愛されたい。

ただ、それだけ。

それが子供の無条件の愛なのです。


だから。

虐待を受けた子に対して、憐れみと悲しみを持ってくれる大人たち
こんなにひどいことをする、と怒ってくれる大人たち

自分たちからは言わない子供を守るために、子供たちを密室から助け出してください。

家をけやぶってでも。

どうか、地域で、国で、幼い子を守ってください。

命を落とさなくても、心に大きな傷をもつ人たち、その人たちは大人になってからも生きづらさをきっと抱えます。

どうか、そんな人たちが少しでも少なくなりますように。

祈りをこめて。

お読みいただきありがとうございました。



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CHIYAHA

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