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真実を見抜く感性を磨く


【内なる子供は、真実を知っている 第1回 政治家と政治役者の見分け方】



ここ数年で、メディアの報道がいかに当てにならないかということを、私たちは知ることになった。それは、これまでも同じだったようなのだけれど、この数年でそれを初めて知ることになったのだ。そしてまた、どれだけ多くの人々が、メディアが報道する嘘を信じてしまうのかも見てきた。

それは私たちが、いかに表面的な情報に惑わされてしまうかということを示している。テレパシックなコミュニケーションやチャネリングのような、意識エネルギーの世界に親しんでいると、意識の世界では嘘がつけないのがよくわかる。誰かが嘘を言っていても、魂は別のことを言っているのがわかってしまう。だから、そうしたコミュニケーションを知っている人同士では、嘘を言うことはできない。何も隠すものなく魂が開いていなければ、意識のコミュニケーションはできないからだ。だから、そういう人たちにとっては、そもそも嘘はあり得ない。

もし何割かの人だけでも、意識の世界で状況を見て取ることができたら、今のようにメディア操作で国民の大半を騙すようなことはできなくなるのだろう。そうした能力を、かつて私たち人間は持っていたのだと思うし、今でも潜在的には持ち続けているのだと思う。その力を使うことを覚えたら、世界はどれほどわかりやすいところになり、皆が容易に幸せになれるようなところになることだろう。

「真実を見抜く感性を磨く」という公開セミナーを企画をしたのは、そうした潜在的な力に気づくことは、本当は誰にでもできるはずだと思ったからだった。私は波動エネルギーのハイパーセンシティブなので、誰が嘘を言っているのか、どの情報はごまかしがあるのか、どの画像はやらせでどの画像は本物なのかといったことが、ほとんど直感的にわかってしまうので、精確な情報をつかまえるのも早いし、嘘の混じった断片的な情報からでも、状況が見抜けてしまう。しかし、何が嘘で何が本物なのかの感性は、実は誰にでもある。ただ、私たちは子供のときからずっと、そうした感性を信用しないように条件づけられてきているのだ。だから、その感性を信用することを覚えればいいだけだ。

小さな子供などは、何を言っているのかわからなくても、その人が信頼できる人なのか、嘘つきなのか、いい人なのか悪い人なのか、ということをかなり正確に感じ取っている。そうした野性的な感性は、誰でも生まれつき持っていて、生まれたばかりの子供でも、そうした感性で身を守っている。だから、小さな子供は、テレビを見ていて、「この人、悪い人だよ」とか言ったりする。それがどこかの国の総理大臣だったりするから、「そんなデタラメを言うものじゃない」と怒られることになる。それでだんだん、子供は自分の感性を信じないようになり、その代わりに、親や先生みたいな人たちの言うことの方を信じるように条件づけられていく。

情報から現実の状況を読み取るには、まずはその情報が信じられるかどうかを確かめる必要がある。メディアはいくつもの情報を操作して、巨大な虚構のマトリックスを作り上げている。だから、そのマトリックスの中では、論理的に筋が通っているように見える。私たちは、子供のときに真実を感じ取る直感を抑え込まれてから、論理的な思考だけで考えるように仕向けられてきた。しかし今、虚々実々の情報が入り乱れて流され、主流メディアばかりではなく、ヴィキペディアやグーグルみたいなネット情報もSNSも、嘘の情報が入り込んでいる状態で、論理的な思考さえ撹乱され、わけがわからなくなっている。いったい何を信じればいいのかわからないようなことになっている。

もちろん、直感だけに頼るのは危険だけれど、直感から出発して、情報を読んでいくと、真相が見えてくる確率がかなり高いということは言える。真実の感触というのは、確かな手応えがあるものなのだ。その感覚を覚えていったら、かなりの確率で正確な判断ができるはずだ。

誰でも子供のときには、真実を見抜く感性があったはずだ。だから、そのときの子供に戻ったつもりで、子供の自分に聞いてみればいい。それで、ある有名な政治家の若い頃の画像を見て、子供のときの自分に、この人をどう思うか、どういう人なのか、いい人なのか悪い人なのか、信頼できる人なのか、と聞いてもらった。それは、今のアメリカ大統領の若い頃の写真だった。政治家の画像というと、私たちは骨格とか耳の形とか、髪型とか服装とかそういうものに意識を向ける癖があるけれど、そういうものには意識を向けないで、ただ目の中だけを見て、そこから魂の中を覗き込むようなつもりで見てもらった。そして、身体の中の感覚がどう変わるかを感じ取ってもらった。

ある人が信頼できるのかできないのかということは、本能的な感覚として、身体がまず反応する。画像を見たとたんに、喉のあたりが苦しくなってきたり、みぞおちのあたりが気持ち悪くなってきたりする。首筋や胸のあたりの筋肉がキュッと締まって硬くなったりする。これは、その人が信頼できないということ、警戒すべきだということを示している。

内なる子供の率直な感想を言ってもらうと、「この人は自分がない」「嘘をついている」「笑っているけど、何かを隠している」「誰かに騙されて、操られている」「右の目と左の目が違うことを言っている」といったことが出てきた。笑っているけれど、信頼できない人物で、お金とか権力とかそういう表面的なもので動いているということ、いつでもひどいことができる人だということなどを、画像からだけですべて読み取ることができた。

それから、内なる子供に力を与えるために、ルートチャクラが活性化する場所である、熊野のおながみの森の磐座(いわくら)の画像を使って、その磐座のエネルギーを遠隔で受け取りながら、ルートチャクラを開いて、大地に光の根を下ろすワークをやった。そのときに、内なる子供のルートチャクラも開いて、大地と繋げてもらった。すると、参加者の表情が何だか子供っぽくなって、無邪気な軽さを放ち始めたのがわかった。身体の積年の凝りが緩んだと言っていた人もいた。これまでになくグラウンディングできたと言っていた人もいた。内なる子供が喜んで、タロットの「太陽」のカードの中の裸の子供みたいに両手を挙げたくなったと言っていた人もいた。これまで私たちは、自分の内なる子供の感覚を信じないようにして、押し込めてきたのだろう。その子供が、ようやく信じてもらえた、ようやく開放された、と喜んでいるようだった。

特に男性は、直感的な感覚よりも、論理的な思考で考えるようにされているので、どうしても頭で考えてしまうということがある。それが直感的な感性のブロックになっていることが多い。ルートチャクラを開けて、内なる子供のルートチャクラを大地と繋いだら、そうしたブロックが一気に外れたようなのだ。頭で考えるな、というようなことはよく言われるけれど、頭で考えないなら、何に頼ったらいいのかがわからないと、なかなか頭で考えるのをやめることができない。だけど、内なる子供の感覚を信じてやればいいのだとわかれば、ずっと簡単にブロックを外すことができる。

それから今度は、同じ政治家の2005年の画像から、何が読み取れるかをやってみた。身体の感覚は、最初の画像よりも強くて、身体がギュッと縮んで息苦しくなったり、吐きそうになったり、大きな危険を感じているかのように、胸がドキドキしたりした。内なる子供に聞いてみると、悲しさを感じて泣きたくなったと言った人もいた。この人は魂が死んでいる、誰かに利用されて動かされている、かわいそうな人だという感覚、一方で、昆虫とかアンドロイドのようで、人間味がなく、親しげに笑っているけれど、恐ろしいことができてしまう人だという感覚、内部がグチャグチャに分裂しているという感覚、親しくなったらモラハラしてきそう、と言った人もいた。

それで今度は、ロシア外相ラブロフの画像を見て、身体の感覚がどのように変わるかを感じてもらった。とたんに身体が緩んで、ホッとしたと言った人がたくさんいた。頑固そうだけど、愛を感じる、信頼できる、この人の前でなら自由に遊べると言った人もいた。現アメリカ大統領の2005年の写真とを交互に見せて、身体の感覚がどう変わるかを感じてもらった。毎回、身体は確実に感じ取って、反応することがわかる。この感覚を信頼することを覚えれば、ともかく信頼できる人物と信頼してはいけない人物の区別はかなり確実につくことがわかる。

それから、2021年に大統領になったあとの同じ政治家の画像を見てもらって、2005年のときとどう違うのかを感じてもらった。これも、耳の形とかを見るのではなくて、目だけを見て、魂の中を覗き込んでもらった。すると、2005年の画像とははっきり違うことがわかった。石像やロボットみたいに硬い感じで、空っぽな感じ、魂がないみたいで、とても見ていられないと言った人もいた。内なる子供は、前の写真の人とは違う人だと言っていた人がほとんどだった。「足が切れているから、どんな恐ろしいことでもできる。だから絶対気をつけた方がいい」と内なる子供が言った、と言っていた人がいた。足が切れている、というのは、大地との繋がりが切れているというようなことらしい。だから、普通人間だったらとてもできないような恐ろしいことでも、できてしまう。この政治家は、別な人に入れ換えられているとよく言われているけれど、骨格とか耳の形とかを比べなくても、魂の中身を覗き込んでみると、どうなのかがかなり確実にわかるのだ。入れ換えられている人物の場合、その人は言われるままに演じているだけなので、魂の中にドロドロとした悪意のようなものは感じないけれど、空っぽだからこそ、どんなひどいことでも平然としてできてしまうという恐ろしさがある。そうしたことも、内なる子供は確実に感じ取っている。

こうした感性は、情報を読み取るときだけでなく、いつでも使うことができる。ある人は信頼できる人なのか、そうでないのか、ある本やある記事が、信用できるのかできないのか、といったことも、私たちの内なる子供はかなり正確に読み取っているのだ。こうした感性を私たちの何割かでも信用するようになると、世界は本当にシンプルになって、自然と調和ができるようになっていくと思う。


熊野のおながみの森の磐座。ルートチャクラのポイント。


1968年のジョー・バイデン


2005年のジョー・バイデン


2021年のジョー・バイデン


ロシア外相ラブロフ。ジャカルタでの写真。

セミナーの録画はこちらで見られます。

https://www.facebook.com/100000165488492/videos/4450389345185205/


2023年9月5日



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【魂の中を覗けば、本人か別人かははっきりわかる ー 本人とダブルの見分け方



公開セミナー「真実を見抜く感性を磨く」の第2回は、「本人とダブルの見分け方」というので、誰でも知っている政治家のいろいろな時期の写真を比べてみた。あるときから政治家が別人に入れ換わっているという話はよくあって、骨格が違うとか、耳の形が違うとかでわかるということが言われている。実際、整形手術だとか、3Dでコピーするゴムマスクとかで、本人そっくりの外見を作ることは可能で、CGグラフィックを使うディープフェイクのような技術もある。しかし、耳の形を比較しなくても、別人であれば、魂の中身が違うのは、内なる子供の感性を使えば、実はかなり明白にわかる。

そうした感性は、子供のときには誰でも持っているけれど、大きくなるに連れて、だんだんと使わないようになっていくのだ。そしてその代わりに、親や先生の言うことやテレビの言うことを信じるようになっていく。

第1回のときと同様に、真実を見抜く力を持っていた子供のときに戻ったつもりで、あるいは自分の内なる子供を信頼して感想を聞くような感じで、写真の人物がどういう人物なのかを見てもらった。そのときに、骨格だとか耳の形だとか、服装だとかヘアスタイルだとかに意識を向けるのではなくて、目だけを見て、そこから魂の中を覗くような気持ちで見てもらった。そして、身体の感覚がどう変わったか、内なる子供がどう反応したかをシェアしてもらった。

最初に使ったのは、ウクライナ大統領ゼレンスキーの就任当初の画像だった。一見、にこやかで親しみがある感じの写真なのだけれど、みぞおちのあたりがギュッと締まって痛くなったり、背骨が痛くなったりといった身体の変化を感じた人が多かった。気持ち悪くて見ていられなくなったり、喉が締め付けられて息苦しくなったり、ザワザワした嫌な感覚がしたりといった反応があった。これは、本能的に危険を感じ取っているときの反応だ。胸から頭までカッと熱くなるような感覚を感じた人もいた。これは、危険を感じて、血中のアドレナリンが増加しているときの感覚だ。

内なる子供に聞いてみると、嘘つき、信頼できない、自分の欲で動いているから、悪いこともできる、といった言葉が出てきた。

闇が深い人物の魂を覗き込もうとするとき、第三チャクラの力が弱いと、恐怖心の方が勝ってしまって、覗き込めない状態になることがある。第三チャクラは、「肚が据わっている」という感覚の力なのだけれど、これがしっかりしていると、どんなときでも自分軸がブレないでいられることができ、自分の感覚を信じることができる。それで、第三チャクラのエネルギーのポイントである「悪魔の岩」と呼ばれている巨石の画像を使って、その岩のところに自分が立っているのをイメージして、岩のエネルギーを皆で遠隔で受け取ってみた。

すると、参加者の表情がとたんに変わって、落ち着いて安定した感じになった。さっきはギュッと締まっていた身体が緩んで、お腹からハートのあたりまで暖かくなったり、みぞおちのあたりに太陽のような光を感じたりした。自分が実はずっと大きな存在なのだということを感じたといった人もいた。だから、何があっても自分を守る力もあるし、大地や宇宙に支えられているという感覚が持てると。私たちは、物質的には身体の大きさしかないけれど、エネルギー体としては実はずっと大きくて、地球をすべて包むような大きさでもあり、宇宙と同じ大きさでさえある。どこまでを「自分」として意識するかの問題なのだ。こういう巨石のようなエネルギーのスポットは、その力を思い出させてくれる場所だと言える。

そして、第三チャクラを活性化したところで、また同じ写真を見てもらった。すると、さっきは恐い感じがしたのに、今度は恐くなくなっていると言った人も多かった。何をしようが、ちゃんと自分を守れるという感じがしたり、やっつけてやれるような感覚が持てたりした。一方、まるで爬虫類のような気持ち悪さだとか、邪悪さを感じた人も多かった。第三チャクラがしっかりしていればいるほど、闇をしっかりと見て取る力も増すのだ。また、「本当はこんなつもりじゃなかったのに、ここまで追い詰められてしまった」というような焦りを感じているようだと言った人もいた。

それから、今のゼレンスキーの写真を使って、就任当初の写真とどう違うのかを感じてもらった。やっぱり身体の感覚を感じてもらって、内なる子供に、この人はどんな人なのか、信頼できる人なのか信頼してはいけない人なのか、さっきの写真と同じ人なのか、と聞いてもらった。すると、ほとんどの人が、すぐに別な人だという反応が返ってきたのを感じていたようだった。目の中が真っ暗だったり空洞だったりに見えて、まるでブラックホールを覗き込んでいるようだとか、魂を売り渡しているとか、言われたままにやっているだけで自分には関係のないことだと魂が言っていると、感じていた。

本人でなく、誰か別の人が演じている場合には、本人にはあった欲深そうな邪悪さとかギラギラした感じはなくなって、まるで人形のように空っぽな感じがする。だから、それほどねっとりした気持ち悪さはないけれど、その代わり、だからこそどんなひどいことでも平気でできてしまうような恐さがある。また、右目と左目が違うことを言っている、と言った人もいた。これは、本心をごまかしているときの徴のようだ。見せかけようとしている自分と本心の自分が食い違っているのが、右目と左目の違いとして現れてくるようだ。

それから今度は、プーチン大統領の就任当初の写真を使って、どういう人だと感じるかを、内なる子供に聞いてもらった。一見、クールで冷徹なようにも見えるけれど、身体はすぐに緩んで暖かさを感じた人が多かった。深い慈愛を感じるし、意志の強さや知性、深い悲しみを感じながらも、崇高な信念がある人だと感じた人もいた。ハグしたいような親しみを感じたと言った人もいた。この人は子供には優しい人だと内なる子供が言った、と言っていた人もいた。

それから、ミュンヘンの安全保障会議で有名なスピーチを行ったときのプーチンの写真を使って、この人はどういう人なのか、何をしようとしているのか、と内なる子供に聞いてもらった。最初の写真と同じ頃の写真なのだけれど、この写真では、さっきと違う人のようだと感じた人が何人かいた。さっきの人のように強い意志がなく、弱々しく見える、と。一方、これは同じ人だけれど、まるで敵に囲まれているように感じているようだと言っていた人もいた。

このスピーチでは、プーチンはまさに敵の陣中に乗り込んでいったようなものだった。笑いものにされるだけかもしれないのに、軍事ブロックで考えるのはやめて、多極的な世界秩序を作ることが、世界平和への道だと、当時は理想論としか受け取られないようなことを語っていたのだ。そして実際、西側諸国はただ笑いものにしただけだった。

おそらくそのために、最初の写真とはまるで別人みたいに、弱々しく見えたのだと思う。しかし、彼がこのときどのような状況で語っていたのかを考えると、絶望的な状況でこれほどの希望を持って、語り切った彼に、とてつもない意志の強さと純粋さを感じることができる。

最後に、今のプーチンの写真を使って、この人はどういう人なのか、さっきの写真と同じ人なのか、と内なる子供に聞いてもらった。若い頃とは顔つきがかなり変わったので、別人ではないかということがよく言われているけれど、ほとんどの人は、内なる子供が同じ人だと言っていると言っていた。最初の写真と同様に、深い慈愛のようなものがあり、今の写真の方が、信頼できる感じがずっと強くなっていると感じた人が多かった。ずっと自信があるし、若い頃の写真からは感じられた孤独感や悲しみのようなものが癒やされていると。最初の写真の頃から、とてつもないような苦闘の年月をすごしてきて、魂の中身もまったく違うものになったように思えるけれど、同じ志のようなものがあり、やはり同じ人物だと感じたようだった。

違う人物のように見えても、別人に入れ換わっている場合は、魂が空っぽになったような、自分とのつながりがなくなったような感じになる。だけど、年月を経て変わった場合には、より深みを増した感じになる。いろいろ聞いたり読んだりしたことを一旦取り払って、純粋に内なる子供の声を聞いてみると、私たちの本能的な感性は、実はすべて精確に感じ取っているということがよくわかる。

メディア操作の手法も潜在意識に呼びかける手法を使っていたりして、絶対に信頼してはいけない人をいい人だと思い込まされてしまったりもしているのだけれど、内なる子供の感性を再び取り戻して、その声に耳を傾けることを知ったら、どんなにメディア操作されていても、私たちはやはりその奥にある真実を見て取ることができるはずなのだ。誰を信じるべきかということを議論するよりも、この感性を取り戻すことが、世界を根底から変えていく力を持つのじゃないかと思う。

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就任当初のゼレンスキー


悪魔の岩と呼ばれている花崗岩の巨石。第三チャクラのポイント


今のゼレンスキー


就任当初のプーチン


ミュンヘンの安全保障理事会での歴史的なスピーチをしたときのプーチン

今のプーチン




第2回「本人とダブルの見分け方」

Posted by Chihiro Sato-Schuh on Tuesday, September 12, 2023

2023年9月12日

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【ハートが閉じる画像と開く画像 ー 第3回 クライシスアクターと本物の犠牲者を見分ける】



公開セミナー「真実を見抜く感性を磨く」の第3回目は、クライシスアクターと本物の犠牲者を見分けるのをやった。メディアでは、災害や事故や戦争の被害の状況を見せる画像が毎日のように出ている。それは、恐怖や同情を掻き立てる強烈な印象がある画像なのだけれど、その多くが実は役者が演じているやらせ画像だったということが、ここ数年で表に出てきていた。メディアに出てくる画像は、もちろん現場の状況を撮影したものだということになっているから、多くの人は本物だと思って見ていたわけなのだけれど、一度ニセモノだということがわかってしまうと、実はけっこう安っぽい演技だということが見えてきたりもする。

ここ数年やらせ画像かどうかを分析するのが得意な人たちが世界中で増えていて、メディアに衝撃的な画像が出ると、だいたい翌日には、やらせ画像だということを示す記事が、SNSで拡散されるようになった。パンデミックのときには、イタリアの隔離病棟として出ていた画像に、中国語のプレートが映っていて、実は中国で撮影された映像の使い回しだったことがわかったりした。また、出演した病人役のエキストラが、撮影風景をスマホで撮って投稿していたのが、世界中でシェアされたこともある。重病人として出てきていた人が、画像を拡大してみたら実はダミーだったということもある。

しかし、そんな風に細部をくわしく見なくても、魂の中を覗き込んでみると、実はかなり容易に本物かやらせかは見分けることができる。真実を見抜く感性は、実は誰でも本能的に持っている。野生動物にとっては、そうした能力は生存本能として重要なものなのだ。敵なのか味方なのか、信頼できる相手なのか、そうでないのか。私たちは、現代社会を生きているうちに、そうした感性が鈍らされてしまうのだけれど、小さい子供の頃には、誰でも持っていたはずだ。その頃に持っていた感性を呼び戻して、そういう子供になったつもりで、自分の子供時代の感性に聞いてみるのを、これまでの2回のセミナーでもやってきたのだけれど、毎回驚く精確さで、ほとんどの人が感じ取っていたことがわかった。

要は、その感性を信頼することを覚えればいいだけなのだ。それで、第一回目にやったように、今回もまずルートチャクラを開いて大地と繋ぐイメージワークを皆でやった。そのときに、自分のルートチャクラを繋げるだけじゃなくて、内なる子供のルートチャクラも繋げて、その子に「今まで無視しててゴメンね。これからはちゃんと信用するからね」と言ってもらった。

このワークをやると、グラウンディングが容易にできて、ゆったりと落ち着いた感覚になって、内なる子供としっかり和解して繋がれるようになる。股関節の具合が悪い人が、とたんに股関節がゆるんで楽になったと言っていた。股関節の問題は、おそらくルートチャクラの問題なのだと思う。ルートチャクラが開いてグラウンディングすると、股関節や背骨の下のほうが緩んで、大地にしっかり根を下ろせる感じになるんだと思う。

それから、戦闘地域で子供を抱きかかえて救出している男が映っている画像を見て、身体がどう反応するか、内なる子供がどう反応するかを感じてもらった。そのときに、あれこれまわりを見て分析するのではなくて、ただその男の頭から胸にかけてのあたりに意識を向けてもらった。すると、見た瞬間に、これは嘘だ、演技だと感じた人が多かった。頭が痛くなったり、眠くなる人もいた。これは、嘘があるから見てはいけないという徴のようだ。内なる子供が手を引っぱって、見ちゃダメだと言っていたと言っていた人もいた。まるで壁があるみたいに中へ入っていけないとか、胸のあたりに圧迫感を感じたり、ザワザワと嫌な感じがした人もいた。白く塗られた子供がかわいそうと感じたという人もいた。

これは、シリアのホワイトヘルメットという救助チームの画像で、メイキングオブの動画がSNSで拡散されたりしていたから、それを見ていた人ならば、やらせ画像だというのはすぐにわかる。ピュリツァー賞とかを取りそうな、実にかっこいい写真で、画質もとてもきれいなのだけれど、それだけ見ても、照明やスタイリストがついているプロの撮影チームの仕事なのは、透けて見えてしまう。子供を救助するために走っているという場面なのだけれど、それをカメラは正面から撮っているのだから、救助員の行く先に立ちはだかっていたことになる。そして、救助員はそれを邪魔とも思わず、カメラに視線を向けている。しかし、そんなことを考えてみなくても、ただ内なる子供の目で画像を見ただけで、すぐに演技だということがわかってしまうのだ。

それで今度は、イメージの中で、子供を抱いている男の人とカメラマンを横から見てもらって、その二人に「何をしているの? 何を撮っている?」と聞いてもらった。すると、「英雄的な写真を撮ろうとしている」とか、「こんなことはやりたくないが、ボスに言われたからやっている」といった答えが返ってきた。それから、映っている男の人に、「どんな生活してる?どんな経験してる?」と聞いてもらうと、毎日シャワーを浴びてこぎれいにして、お洒落な生活をしているイメージが見えてきた。戦場の救助活動みたいな泥臭い仕事とは何の関係もないようだ。よく見れば、肌は洗ったばかりのようにきれいだし、髪も整っていて、現場の作業をしていたようには見えない。目がとろんとしていて、どこを見ているかわからないようなのも、考えてみれば、これはファッションモデルの人がよくやる目つきだ。おそらくこの人は、もともとプロのファッションモデルか何かなのだろう。内なる子供の視線は、そうしたこともものの一瞬で見抜いてしまうのだ。

それから今度は、田舎の人が屋外でインタビューに答えている画像を見てもらった。そのときに、やっぱり目だけを見て、目から魂の中を覗き込むようなつもりで、身体がどう反応するか、内なる子供がどう反応するかを感じてもらった。すると、ごく普通の田舎のおばさんとおじさんといった風な写真なのに、ほとんどの人がとても見ていられないくらいの悲しみを感じていた。絶望的な思いがあり、言葉にならないような多くの悲惨な経験を目が物語っていると。内なる子供は、さっきとは違って、今度はその女性の方へ行こうとしていると言っていた。どうしたのかとしきりと聞きたがっていると。悲しいけれど、何だか心が開いて緩んだと言った人もいた。

これは、ドイツ人ジャーナリスト、アリーナ・リップが、ドンバスの戦闘地に行って、そこに住んでいる人たちにインタビューしてまわったときの画像だった。西側メディアはロシア軍が攻撃していると言っているけれど、どうなのかと質問して、答えている場面だった。この女性は、ロシア軍ではない、ウクライナ軍の方から弾が飛んできている、と答えていた。男性は、そんな嘘が語られていることに、怒りを表していた。そこには、これほどの犠牲を経験しているのに、それが知られていないという絶望的な思いがあったはずだ。ところで、何の説明もなくただ画像を見てもらっただけで、ほとんどの人はそうした内容を感じ取ったのだ。

それから、ホワイトヘルメットの画像とドンバスの人の画像を代わる代わる見せて、身体の反応がどう変わるかを感じてもらった。やらせの画像は、身体がギュッと締まって苦しくなってくるけれど、本当の犠牲者の画像は、身体が緩んでハートが開くのを、多くの人が感じていたようだった。やらせの画像は頭がボォっとして痛くなるけれど、本物の画像は目が覚めると言った人もいた。

メディアの画像は、「記号」でしかないのだと感じたと言った人がいた。そこには本当の感情などはなく、ただ演じられたものがあるだけだ。本当の哀しみなどはないのに、哀しみを感じるべきだという信号を受け取って、多くの人はその通りに哀しみを感じ、かわいそうだと言う。こういう「記号」に絶えずさらされていると、自分の本当の感情がわからなくなり、内なる子供の感性も消えていってしまうのだと思う。作られた演じられた映像こそが本物だと思い、そういう表面的な記号にだけ反応するように、私たちは条件づけられていたのだ。

それで最後に、ハイハートを開くワークを皆でやった。ハイハートは、胸骨の真ん中、喉と心臓の間くらいのところにあるのだけれど、ここの胸骨と背骨の間のところに、固く閉じた蓮のつぼみのようなものをイメージして、それが蓮が咲くように大きく開くのを想像する。それだけの、誰でもすぐにできる簡単なワークなのだけれど、とたんにびっくりするくらいに胸が軽くなって、呼吸が楽になったりする。まさに「ハートが開く」感じになるのだ。そのときに、自分のハイハートを開くだけじゃなくて、内なる子供のハイハートも開いてもらった。すると、内なる子供がとたんに解放されたようになって、しっかり繋がれた感じになったようだった。

それから、うまくいかなかった人に手を挙げてもらって、皆でその人のハイハートを全開に開くのをやった。そのときに、それぞれのまわりにいる人や、世界中の人たち、ドンバスのインタビューに出てきていた人たちのハイハートを開いてもらった。

自分でやるとうまく行かなくても、人に送るとなると、ずっと容易にできたりする。意識エネルギーの領域では、「人に与えるものは自分が受け取るもの」というのが、まったく同時に起こるのだ。だから、人に送ると同時に自分もその倍くらいに受け取っていたりする。それで、ハイハートが開いた状態になってみると、この状態は、自分自身であること、自分の魂と繋がっていること、そして人間であることと、まっすぐに繋がっていることがよくわかる。ハイハートが開いた状態では、嘘をつくことなどできなくなる。そして、その状態から離れて、ハートを閉じて嘘をついている人たちは、実のところ自分自身との繋がりから離れて、人間らしくないものになってしまっているのだ。

今、これほどにメディアの嘘が氾濫していて、それに騙される人もまた多いのだけれど、こうした状況を見せつけられているからこそ、私たちは本当の感性から離れてしまっていることに気づくことができ、本来の姿を再び取り戻そうとしてもいるのだと思う。


シリアのホワイトヘルメット


ドンバスの住民


ドンバスの住民

第3回 クライシスアクターと本当の犠牲者

Posted by Chihiro Sato-Schuh on Tuesday, September 19, 2023



2023年9月19日



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【真実を取り戻す ー 第4回 行動の本当の動機を知る】


公開セミナー「真実を見抜く感性を磨く」の最終回は、「行動の本当の動機を知る」というので、軍隊の人の画像から、どちらが何のために戦っているのかを見抜くのを皆でやってみた。戦争が起これば、向こうが攻撃してきたから、人々を守るために戦っているのだと、どちらの側も言う。しかし実際には、どちらかが住んでいる人たちを攻撃していて、どちらかが攻撃から人々を守ろうとして戦っているのだ。丸腰の人たちを攻撃している人たちと、攻撃されている人々を守ろうとして戦うことは、同じ戦うといっても、まったく違う動機で動いている。その違いは、情報や外見からではなかなかわからないかもしれないけれど、魂の中を覗き込めば、かなりはっきりと見分けることができる。

このセミナーでは、第1回では、誰でも知っているある政治家の画像を見て、信頼できる人物なのか、騙そうとしている人物なのかを見抜くのをやった。第2回では、ある政治家が本人なのか役者が演じているのかを見抜くのをやった。第3回では、メディアの画像から、クライシスアクターなのか、本当の犠牲者なのかを見分けるのをやった。誰が信頼できるのか、誰を信頼してはいけないのかは、実は生存本能のようなものとして、どんな生き物にも必ず備わっている野生の感性だ。しかし私たち現代人は、そうした感性を子供のときから抑圧されながら育っていく。

現代社会は、あまりにも虚偽ばかりでできているというのが、事実なのだ。メディアも学校も常識も学界さえ、虚偽で固められていて、虚偽を信じて生きていかないと、現実社会で絶えず迫害されるはめになる。子供の頃から、テレビに出てくる人や、まわりの大人たちが嘘を言っているのではないかと疑問を示したら、そんな馬鹿なことを言ってはいけないと怒られてきた。毎回怒られるので、自分の直感を信じる代わりに、大人たちの言うことを信じて生きるようになっていく。それは、生き物が野生を捨てて、飼い馴らされることとも似ている。そうなったとき、私たちは真実から離れて、「上の人」の言うことを繰り返すことで、褒められたり報酬をもらったりして生きていくようになっていくのだ。

だから、真実を見抜く感性を使ってみることは、常識と外れたことを言ったら、怒られるかもしれない、という原初的な恐怖を乗り越えていくようなことでもある。私たちの頭は、何が常識として通ることなのか、どう言えば怒られないのかというような情報がたくさん記憶されていて、私たちはそれによって思考して判断するように条件づけられている。その頭を一度切り離して、「馬鹿な子」と言われた頃の自分に戻り、その感性を信頼してみるということを、4回に渡るセミナーでやっていった。それは、参加している人たち全員で、その感性が信頼できるということを、たがいに確かめ合っていくプロセスだったとも言える。

私たちは、悪党を善人だと言われたり、嘘を真実だと思わせられたり、お芝居を現実だと信じさせられたりしてきた。そういうとき、私たちの内なる野生の感性は、真実をちゃんと知っていながら、世間の常識のコードに従って認識しようとするのだ。そういうときには、頭がボォっとするような感覚がしたり、胸が締めつけられたり、喉が苦しくなったり、クラクラするような感覚がしたりする。そうした微妙な身体感覚の変化は、本当は嘘であることを感じている徴だ。そうした感覚に意識を向けていくと、私たちの身体は、真実と虚偽とを確実に見分けていることがわかる。

そうした内なる子供の感性を呼び覚ますために、毎回最初に、身体の力を抜いて、ルートチャクラを大地と繋げてグラウンディングするワークを皆でやった。そのときに、真実を見抜いている内なる子供のルートチャクラも大地に繋げて、内なる子供と和解してもらった。私たち現代人は誰でも、子供のときに自分の内なる子供を抑えつけさせられ、切り離されてきたのだ。その感性を取り戻して、再び繋がることは、子供のときに自分で切り離した魂の一部と和解するようなことだ。

それで、しっかりグラウンディングして、内なる子供と繋がった状態で、メディアに出てくるある兵士の画像を見てもらった。服装とか何とかを見るのではなく、目だけを見て、目から魂の中を覗き込むようなつもりで意識を向けて、身体がどう反応するか、内なる子供がどう反応するかを感じ取ってもらった。そして、この人は人々を守ってくれるのか、それとも信頼できない人なのか、いい人なのか悪い人なのか、と聞いてもらった。

すると、この人は悪い人ではないかもしれないけれど、恐い感じがする、と感じた人が多かった。悲しさを感じた人もいた。言われるままに動いているようだけれど、守ってくれる人ではないことは確かだと感じたようだった。身体がギュッと締まって、苦しくなったり、身体のどこかが痛くなったりした人もいた。

その画像は、アゾフ連帯のある部隊の司令官だった。兵士というのは、たとえ残虐なことをしていても、自分の悪意からしているわけではなく、言われるままにやっている。だから、悪い人だという感じはしないけれど、ただ恐い人だという風には感じる。自分の中に嘘があるために、何だか身体と魂とが一致していないようで、人形みたいに見えたりする。それが弱さや悲しさとして感じられたりもする。

2番目の画像は、信念がある優しい人のようだけれど、しかし目の奥が笑っているのが恐いように思えると言った人が多かった。妙にザワザワドキドキする感覚がして、苦しくなったと言った人もいた。この画像の人は、モデルさんが演じているかもしれないのだけれど、その可能性を考えていなかった人が多かったと思う。それで今度は、演じている人なのかもしれないということを考えた上で、どういう生活をしている人なのか、何をしているのかと内なる子供に聞いてもらった。すると、この人は兵隊ではなく、戦場で生活している人ではないと内なる子供が言った人が多かった。

前回のセミナーで使ったクライシスアクターの画像と比べてみると、似た雰囲気があるのがわかる。第一に、画像がとても鮮明できれいで、プロの撮影チームが撮影しているように見えるし、肌や服が清潔で、泥臭い日常を送っている人には見えない。そして、カメラ目線が見事に決まっていて、職業的に撮られ慣れている人だということもわかる。おそらくは、仕事で言われるままに衣装を着けて、それらしい表情をしたのだと思う。だから、その人自身は悪い人ではないし、嘘つきでもないのだけれど、画像に嘘があるというような、ゾワゾワする感じ、信じてはいけないというような警戒サインを身体が出すのを感じるのだと思う。この画像は、ウクライナの情報サイトにウクライナ兵の画像として出ていた写真だった。

3番目の画像は、軍服を着た数人が写っている写真で、そのうちの一人だけが軍隊の人で、他の人はジャーナリストだ。軍隊の人にだけ意識を向けて、目を見て魂を覗き込むようにして、どんな人なのか、何をしているのかを聞いてもらった。すると、身体が緩んで、ハートが暖かくなったと感じた人が多かった。一方、この人は修羅場を経験してきて、とても多くのことを見てきた人だと感じた人、信頼できる人、守ってくれる人だと感じ、強い信念と死の覚悟で戦っている人だと感じた人もいた。

とても悲しい辛いものを感じるのに、しかし身体は緩んでホッとする。これは、前回、本当の犠牲者の画像を見てもらったときもそうだった。すさまじい苦しみと哀しみを感じるのに、身体が緩んで安心し、ハートが開いて、寄り添いたいような気持ちになる。それこそは、メディアにはほとんど出てこなくなっている、真実の画像、嘘のない本物の画像なのだ。これは、ロシアの傭兵部隊「ツァーリの狼」の前線基地を、ドイツの独立系ジャーナリストが訪ねたときの写真だった。

それから、1番目のアゾフ連帯の司令官の写真と3番目のロシアの部隊の写真を代わる代わる見て、身体の感覚がどう変わるかを感じてもらった。1番目の画像は身体が締まって固くなるけれど、3番目の写真は緩んで暖かくなる。画像を切り換えるたびに、その違いを身体は確実に感じ取って反応していることがわかる。どちらが人々を守るために戦っている人なのか、どちらが言われるままに人々を攻撃している人なのか。いろいろな情報を分析しなくても、画像を見ただけで、私たちの身体や内なる子供の感性は、瞬時に感じ取って反応しているということがわかる。

それで最後に、白頭山という北朝鮮と中国の国境のところにある聖山の画像からそのエネルギーを受け取って、世界中の人々に送るワークを皆でやった。8月に白頭山の封印解きセッションをやったのだけれど、これはまるで次元の壁を超えていくことで、真実を見る力を得るというようなエネルギーだった。人類がこの2000年くらい戦いと支配との歴史を生きてきたのは、まさに嘘を見抜くことができなかったからなのだ。そのために私たちは、あの民族やこの民族が敵だと思い込んで戦い、戦わされてきた。20世紀に入ってからの戦争を見るならば、戦争が始まるかどうかは、相手が敵だという嘘を、人々に信じ込ませることができるかどうかにかかっているということがわかる。だから、もし私たちの何割かでも、真実を見抜く感性を取り戻すならば、たとえ民族間に行き違いがあっても、戦争に発展することはないはずなのだ。作られた嘘ではなく、相手の魂を感じ取り、見抜く力があるならば、誰も滅ぼさなければならない敵などはいないことがわかるのだから。

白頭山の山頂のカルデラ湖の画像を使って、そのエネルギーにアクセスし、そのエネルギーを水晶の玉のような透明な玉に入れて、世界中の人に送ってもらった。ハートが開く感覚、落ち着く感覚があり、世界が大きな循環になって調和していくようなイメージがあった。真実を見る力が解放されれば、人はたがいに憎み合ったり殺し合ったりする必要がないことがわかり、自然に調和していけることがわかる。その力が解放されたのを感じた。

カルデラ湖の中を人魚がうれしそうに泳いでいて、もう解放されたから大丈夫だと言っているイメージを受け取った人もいた。巨大な一匹の龍が自分の尻尾を噛んでいて、ウロボロスのように8の字に回っているイメージを見た人もいた。これは、死と再生の永遠の循環を表している。多極的な世界は、それぞれが自立していて、各々のあり方で生きることにより、生態系のように全体として大きな循環ができ、バランスが取れる。自分が生き延びるために、異なる存在を滅ぼす必要もなければ、皆が同じようである必要もないことがわかる。

今年2月3日に始まったマヤ暦の260日の一年は、世界が次元シフトして、現実的に構造を変えていくようなプロセスが起こるのじゃないかと思っていた。この期間に開かれた数々の国際会議は、まさにそのプロセスが起こっていることを示していた。その260日があと一ヶ月ほどで終わる今、いよいよ本当に真実が表に出て、世界が引っくり返ろうとしているようだ。この数年間は、隠されてきた真実をこれでもかというくらいに見せつけられてきたけれど、それこそが真実を見抜く目を取り戻すためのプロセスに他ならなかったのだと思う。


熊野の縄文の森の磐座。ルートチャクラのポイント。


アゾフ連帯の元司令官


ウクライナ兵として出ていた写真


ロシアの傭兵部隊「ツァーリの狼」の部隊長(左から2人目)とドイツ人ジャーナリスト。


白頭山のカルデラ湖

第4回 行動の本当の動機を知る

Posted by Chihiro Sato-Schuh on Tuesday, September 26, 2023

2023年9月26日


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