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命を守るためにできること

#もしもの備え

 阪神大震災が起こったのは、私が小学校6年生の時だった。
 ビビりの私も独り寝をして当たり前の年頃だったが、大きな揺れにビックリしすぎたため、慌てて父の元に走って布団に潜り込んだくらい怖かった。

 とはいえ、大阪にあった我が家は被害がほとんどなく、母の話によれば、お皿一枚が割れた程度だったらしい。
 そんな我が家では、どのくらい大きな地震が起こっていたのか認識できるまで時間がかかり、私と弟はうっかり学校へ登校したくらいだった。

 今となっては分かろうものであるが、きっと通勤できなかった先生もいたのだろう。
 学校へ行くと、正門の前で教頭先生が「今日は帰りなさい!」と焦りながら叫んでいた。

 そのときの私たちと言えば、「学校ないんか~やったぁ」くらいの軽い気持ちだったが、帰宅してテレビをつけてから目の当たりにした現実に、凍り付いたのは言うまでもない。

 映像で映し出された火の海に、呆然と立ち尽くすしかない。
 テレビのチャンネルを変えても変えても同じ映像ばかりで、ただただ怖いと思うばかりの上、続く余震がさらに恐怖を与えた。

 地震って怖いんだな、こんなに何もかも壊れちゃうんだなと、当時を知る多くの人はその胸に刻まれていることと思う。

そんな私が「今」考える、災害対策についてご紹介したい。


住まいを移す

 以前住んでいた場所は、3線の電車が利用できる交通の便が良いところで、これ以上ないくらい住み心地が良かった。
 前住居へ引っ越しを決めた当時も、ハザードマップを確認しつつ引っ越しを決断したもの、ほんの数十メートル先くらいまでは津波で浸水するかもしれないと表示されていた。

 それでも、自分の家まで影響がないのであれば良いかと思っていたのだが、その考えを覆すことになったのは東日本大震災にほかならない。

 家が目の前で流れていく恐怖はどれほどのモノだったのだろう……
 想像するだけで、震えそうになるくらい怖かった。

 連日報道される映像に、目を覆いたくなった日もある。
 それでも、この現実を受け止めて過ごしている人もいるのだと思うと、他人事のように思っていてはいけないと思った。

 それまで私の感覚としては、津波なんてたいして起きないものと思っていたので、その考えは改めるべきだと考え直すことにした。

 さらにその後、新たに作り直されたハザードマップが配布され、私は首を傾げた記憶がある。
 「あれ? ハザードマップの被害予想範囲が大きくなってないか?」
 これにはさすがにぞっとした。
 私の記憶より、さらに近くまで津波の被害が起こるかもしれない。 

 なんてことを思っていた頃、大型台風により停電が起こった。
 幸い浸水で動けないということはなかったが、それでも立体駐車場だったため、地下が車庫の車は危ないと張り紙がされた。
 どうすればいいのか……と自家用車がなかったので無関係とはいえ、驚いた記憶もある。

 このような紆余曲折もあり、災害とは関係のないことで引っ越しを考えるタイミングがあった。
 それがかれこれ約3年前のことである。

 先日ご紹介させてもらったとおり、転職を考えた時のこと。

 国家公務員だった私は、多少の異動はやむを得ないと考えていたため、とにかく機動力が保てる場所が重要と思っていた。

 そう思って選んだ家だったが、転職を機にフルリモートの道を選んだ私にとって、果たして交通の便の良さは必要か? という疑問が生まれた。

 加えて子ども達にとって、この都会暮らしが向いているのかと考えた時に向いていないような気がするとも考えていた。

 さらにそこへ災害対策のことが脳裏を過った。
 本当に私たちはここに住んでいていいのだろうか?

 そんなわけで私は、夫と家族に説明を重ねに重ね。
 どうにか説得に成功し、引っ越しを決意した。
 もちろん、災害対策のためだけに引っ越したわけではないが、ハザードマップが更新され、被害予測が拡大していたことは大きな基準でもあった。

 引っ越した後のことであるが、父から「あそこに住んでいたのは少し心配だった」と言われた。
 夫の手前、大きく反対できなかったのかもしれないが、今となっては多少反対してくれても良かったのでは? と思う娘である(笑)

背の高い家具を排除する

 前述のようなこともあり引っ越しを決意した我が家であるが、引っ越しの時に私が強い意思を持って実行したことがある。
「背の高い家具を持たない」ことだ。

 結婚当時、私は母の勧めもあり、また、私自身の固定概念もあって、いわゆる婚礼家具を当たり前の様に用意してもらった。

 大きな洋箪笥と和箪笥のセット。
 背の高い鏡台。
 着物をしまう桐箪笥。
  手の届かない高さの食器棚。

 過去に戻れるなら、絶対に買うのをやめろと止めたくなるようなラインナップである。
 しかしながら、当時の私はそれらを購入することが当然だと思っていて、何の疑いも持っていなかった。

 しかし、引っ越しを決めたときに鏡台以外のものと決別した。
 母からは、使えるものは大事に使いなさいと少々お小言を言われたが、それでも捨て置いてきた。
 何のために引っ越すのか。

  命を守るためである。

 モノを大事にしても、命は守れない。
 悲しくも、それを証明してくれたのは先日の「能登半島地震」である。
 私が見たニュースで、半壊家屋から助け出された男性が、生き埋め状態になっていたときの映像が公開された。

 その映像は、私の想像を遙かに超える恐ろしい映像だった。
 どうやら男性はカメラを持つ仕事をされているようで、上下左右も分からない、自分がどこにいるのか分からない状態で身動きが取れない状況となっていた自分の状況を動画に残していた。

 そんな状態の中、大津波警報の発令音が聞こえ、「このまま津波で自分は死ぬんだと思った」と語っておられた。
 想像するだけで恐怖しかない。

 自宅の中で埋もれ、自分がどっち向きにいるのかも分からない中、無我夢中で回したカメラが見せる現実は、本当に衝撃以外の何ものでもない。
 私はこの映像を見て、自分が背の高い家具たちを捨ててきたことは間違っていなかったと確信した。

※この男性が家具やモノが原因で身動きが取れなくなっていたのか、それとも倒壊した家屋によってのみのことなのかまで確認できておりません。ご了承ください。

 南海トラフが叫ばれている今、私たちはいつ地震の被害に遭うか分からない。

 それなのに、モノがたくさんありすぎたことが原因で死んでしまっては悔やんでも悔やみきれない。

  必要なのは、モノじゃない。
  命を守る行動だ。

 そう強く、改めて感じた。

 さて、鏡台は引越し先まで持ってきたと書いたが、実は少し前に処分した。
 お気に入りだからこそ持ってきたが、背の高いこの鏡台が倒れたときに鏡が割れて大変なことになる気がした。

 それに、この鏡台がなくなればスペースが広くなるとも思った。
 考えれば考えるほど、鏡台がなくても生活に困らないと感じ、心の整理をつけてから処分した。
 納得してから処分したこともあり、今はただ快適でしかない。

 また、捨ててきた洋箪笥たちの代わりに購入したのは、突っ張り式の洋服収納だ。
 上下2段のポールにハンガーで引っかけて服をしまうことができる。
 突っ張り棒なので解体もとても簡単だし、棒で生き埋めになることはまずない。

 子ども達の部屋も同様で、近年の学習机は棚と机が分離していることもあり背の高い家具は1つもない。
 洋服はクローゼットの中に掛けているので、それらが倒れることもない。
 そんな訳で、我が家に残った背の高い家具は、息子の懸垂棒と本棚のみになった。

 懸垂棒は余程でなければ転けない設計になっているので、むしろこの棒が倒れる時は家が倒壊するのでは……と感じる。
 そして本棚はというと、上部を転倒防止の突っ張り棒で補強している。

 そもそもかなり本が入っているので、棚が倒れる心配はまずないのでは……という気もする。
 というわけで、リビングに存在するこの2つだけが背の高い家具になるが、もしこの2つが倒れたとしても、生き埋めになるのは難しい。

 家が倒壊しない限り、モノによって生き埋めになることは避けられるのでは? と考えている。

ローリングストックへの意識

 昨今叫ばれていることなので当たり前かもしれないが、我が家も例に漏れずローリングストックを心がけている。
 とはいうものの、五人家族の我が家は、ストックどころかずっとローリングしているような気もする(笑)

 まずは水を用意している。
 物置を購入できたので、そこに3箱水を用意している。
 被災してまず困るのは水だと思われるので、とにかく水は重要だと考え常に備えるようにした。

 また、普段は浄水器を利用しているのだが、非常電源も用意して電気が使えない時にも利用できるように備えている。
 とにかく水が第一と思って準備した。

 次に食べ物だが、これはカップ麺と缶詰でローリング中である。
 そう、ストックが間に合わずローリング中。
 それでも、常に何日分かくらいはあるので、復旧までの間どうにか食べるものがあるのではないかと考えている。

  続いて太陽光発電を設置した。
 津波の心配がない地域に引っ越したことと、都会から離れたところに住まいを移したこともあり、今は以前より少しばかり広い家に住んでいる。
 本当に少しばかり。

 というのも、もし地震があったときに、私の両親も夫の両親も住まいに困るかもしれないと思っているからだ。
 もちろん、問題ない限り自宅に住み続けるだろうが、それでも困った時には頼りにして来てくれるのではと考えている。

 被害の規模はもちろん今は分からないが、もし親戚の誰かが頼ってきてくれたとしても受け入れられると良いなと考えていて、その意味で太陽光発電も設置した。
 夫は最初難色を示していたが、またしても説得に説得を重ねて断念してくれた。
 そう考えると夫様々である。いつも感謝。

 そんなわけで昨年設置し1年が経過したので、日々どの程度の電力が得られるかも分かってきた。
 恐らく洗濯をしたり、掃除をする程度のことはできそうだと分かり、これも私の災害対策の1つとなっている。

 もちろん全て、家が倒壊しなければの話。
 とはいえ、築3年目の家が倒壊するかもしれない前提で被災を考えていてもしょうがないし、もし家が潰れたとしたら、そのときはそのときで作戦を考え直すしかないと考えている。

持ち物を減らす

 最後はこれに尽きる。
 悲しくも1月2日に起こった飛行場の事故で、命を守るために何も持たずに逃げなければならない状態を目の当たりにした。

  本当に命を守らなければならないときは、モノなんて持っていられない。
 大事なことは、命を守る行動だけだ。

 だからこそ、多くのモノを持たないようにずっと考えている。

 ミニマリストを目指すと言えばおこがましいが、自分の持ち物がどのくらいあり、何を持っているのか全て把握できる程度に減らしたいと考えていて、持つ必要があるかどうかを考えて生活している。

  モノが原因で死んでしまっては意味がないのだ。

 モノは、生活を助けるものであって、人命を奪うものになってはいけない。
 だから私たちは、モノとのあり方を考えるべきなのだと私は感じている。

 例えば今、財布を持って逃げることができなくなったとして、復旧できる手段が増えたと思う。
 キャッシュレスが進んだ今、現金はなくても生活ができるようになった。
 そう考えるとスマホを失うリスクの方が高いかもしれないが、そのスマホすら本体を手に入れられれば復旧できる。

 失う怖さを考えるのではなく、失ったとしても元に戻せる方法を考える方がずっと良い。
 その方が、失ったときに怖くないと思えるし、どうにかなると思っていたらどうにかできるものだと思う。

 私は子ども達に、何度も失敗をすれば良いと思っている。
 忘れ物を存分にさせ、困っても自分で解決するように教えてきた。
 子育てで必要な事は、忘れ物のない完璧な子どもに育てることではなく、リカバリー力をつけることだと考えている。
 これは、私の勝手な育児論なので正しいと思って言っているのではない。

 何を忘れて、どう困って、だからどんな対応をしなくてはいけないのか。
 先生へ何を伝えることが必要か。
 忘れたからできないこと、忘れてもできること、忘れてしまったから助けてもらわなければならないこと。
 それらを自分で考えさせ、必要な行動を自らできるようにした。

 お陰で、忘れても大丈夫という強いメンタルだけは育った(笑)
  「忘れ物ない?」時々聞くが、大丈夫と子供たちは言う。忘れてもどうにかてまきるから!   と。

 もちろん、忘れ物がないことが一番である。
 ただ、忘れ物をしたことをことさら落ち込んでしまったり、「忘れたから何もできない」という結論になる思考を持って欲しくなかった。

 そのほかのことでも、なければないなりの考え方というのを探して欲しくて、常に問いかけをしている。
 子どもにとっては、嫌な母親かもしれない。

 正解を出す必要はなくて、自分なりに打開策が生み出さればそれで良いと思っている。
 生きていくとは、そういうことではないだろうか?

 そんなわけで、モノを減らしていく過程でも、代替案を考えてモノを減らしている。
 今あるものはきっと、全て必要ではない。なければ無いなりに……
 その考えが人を強くしてくれるように思う。

最後に

 いろいろと偉そうに書いてみたが、実際には足りていないことだらけだろうと思う。
 現実に災害が起こったら、予想を遙かに超える事があって、全然対応できない可能性もある。

 ただ、「コレやっとけば良かった」だけはなくせる
 今自分が思いつくことを全てやっておいて、それでも足りないことは仕方ない。
 でも、分かっていてやれていなかったことは少しでも減らしておきたいと考えている。

 ローリングストックをしても、家を引っ越しても、家具を排除しても、それでも助からない事態が起きるかもしれない。

 でも、高い家具を捨てていたからこそ、助かるかもしれない。
 食料も水も、気をつけてストックしていたから、少しの間しのげるかもしれない。

 そのおかげで、誰かを助けられるかもしれない。

 それこそが私が今できる、命を守るためにできることである。


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