見出し画像

収入を増やすのではなく、減らしていきたい。

多くの人は、「お金が欲しい」「昇進したい」「お金を稼ぎたい」と言います。しかし私は、それと逆の発想を持っており、歳を重ねるにつれてお金を稼がないようにするという人生設計を描いています。お金を稼ぎたくないというよりは、ミニマムに稼ぎたいという感じですね。

収入を上げることについて

最初に前提を話しておくと、収入を減らすのはお金に困っていない場合の話です。お金に困っていて不自由な状態であれば収入を上げる動きは必要です。

しかし、現状私はお金に困っていないので、収入をあげようという動きは全くしてません。例えば、会社の評価面談で年収アップの交渉もしないですし、昇進の話をされたら「興味ないです」と答えます。私はブログをやっていますが、広告を貼るなどはしていません。これから、なぜ収入を上げたくないかを綴ります。

タイの少数民族との暮らしで気づいたこと

私には、お金が少ない方が幸せなんじゃないかと思った原体験があります。それは、大学生の頃、タイの北の方に住んでいる少数民族「カレン族」の家でホームステイしたことです。

ちなみに、カレン族は別名「首長族」と言われていますが、私がお世話になったのはカレン族の中の首長じゃない人たちでした。場所は、タイの北の都市チェンマイから車で4時間くらいの山奥でした。ここには、たまたま日本人の女性が嫁いでおり、その人が「WWOOF」というサイトでホームステイを募集していました。大学のターム間の夏休みに、暇つぶしで行ってみたのがきっかけです。

▼当時のFacebookへの投稿

▼日本語訳
昨日、一週間の山生活が終わってバンコクに帰りました。
私が行ったのは、カレン族(首長族で有名だけど、この村は首長族ではない)の村で、チェンマイ市内から車で4時間離れた本当に山奥だった!
そこで見たのは、自給自足して暮らす村の人々。
食べ物は自分で作ったり手に入れたり、家も自分で作り、家具や日用品も自分で作る。
私がホームステイしたところは、食べ物は市場で買ったりしてたけど、家は自分で作ったんだって!コップや赤ちゃんのおもちゃも竹で手作りされてた。
私の主な仕事は、シロアリ対策で柱のまわりにセメントをつけることだった。あと、近所の家の住居拡大の手伝いに行き、実際に家が建てられていく様子もみて感動。
仕事以外にも、トッレッキングに連れてってもらい、立派な滝を見た。
最も印象的だったのは、ここでの食事!
もう生き物ならなんでも食べるって感じ。
食べたもの・・・ネズミ、カエル、クモ、幼虫、カブトムシ(笑)
家のキッチンにはガスもレンジもないけど、鍋と火とバナナの葉で料理はできる!
ちなみにこの村の米は日本の米みたいで超うまかった。
山に住んでる民族って貧乏で生活も大変なのかなって思ってたけど、想像以上に暮らしは豊かだった。
村でお金を稼ぐのは難しく、お金はないものの、彼らには米と自然があり、自分で衣食住を営むことで、しっかり生活できる。
一日中時間を気にすることなく、自然の中で生活して、夜は家族で火を囲むっていう生活が何にも縛られない感じで幸せを感じた。
行く前は、「不便な生活をしてみて、普段生活がどれほど便利で幸せなのかわかった」的な感想を抱くと思ってたけど、
むしろ逆で、普通の生活に戻った途端、村での生活が恋しくなった。
一週間いろいろな経験ができて楽しかった!!

それまでの私は、都市での生活しか知りませんでした。モノがあるのが当たり前、モノがある方が幸せ、お金持ちの方が幸せ。そういう価値観でした。でも、カレン族の村にはモノがありませんでした。冷蔵庫、洗濯機、ガスコンロ、コンビニ、ATMなど今まで当たり前にあったものがなく、自分たちで食べるものは、どこかからもらったり、森に出かけてとってきたり、庭で野菜を育てていたり。家も服も、自分たちで作ったと言っていました。食べ物は、その辺で獲ったカエルやネズミや蜘蛛やカブトムシを食べたりもしていました。衣食住が自給自足だったんですね。

なので、お金もほとんど使わない生活。お金を下ろすには、車で20分くらいの市場に行かなければなりませんでした。最初は、とてもびっくりしましたが、そこで2週間ほど過ごしてみて、「すごく幸せだ」と感じたんです。1日の活動は、日が昇ると同時に起きて、家の修繕をしたり、とうもろこしを剥いだり、猫とぼーっとしたり、家族みんなでご飯を作って食べたり、、みたいな感じ。全てはお金を稼ぐためでなく生きるための活動です。

私はこの1週間で、環境次第ではお金がほとんどなくても幸せに暮らせるということに気がつきました。

収入を増やし続けることに意味はあるの?

そして、その生活からもう6年ほど経ちました。都会に戻り、社会人になってお金を稼ぐようになりました。社会人になってからも、この原体験は自分の中でなんとなくずっと残っていました。

社会に出てからは、お金を稼ぐことの大変さも目の当たりにしました。リアルでも、ネットでも、お金を稼ぐために身体をすり減らし、精神を病んでしまう人をたくさん見てきました。みんなお金を稼ぐために努力してるけど、なんでそんなに稼ぎたいんだろう?と疑問を感じることも度々ありました。都会で生きる現代人の生活って、ほとんどがお金を稼ぐかお金を使うための生活で、稼いでは使って、稼いでは使っての繰り返しで、それで楽しかったら良いけどそこで苦労することに意味はあるのかな?みたいな…。

私はどちらかというと、今が楽しければそれで良い(いつも楽しかったらいつ死んでも良い)と思ってるタイプなので、「将来の漠然とした不安」のために貯金や投資をすることも興味ないです。もちろん、この東京で楽しく生きていく上では、最低限のお金は必要です。電車に乗れないと不自由ですし、食費も高いし、家賃もかかります。でも、今の収入以上に稼いでも、特に使い道がなさそうだなと感じています。

だったら、無理に昇進して労働時間を増やしたり新しいビジネスを始めて苦労するよりも、現状維持の方がいいなと思います。

人生の方針(暫定)

将来的には、仕事量と収入を減らし、タイの少数民族の暮らしと都会での暮らしの間をとったような生活を目指しています。そして、今時点の予定では、どこかのタイミングで日本のどこかの田舎に移住して、家賃・食費・娯楽費がほとんどかからない半自給自足生活をしたいと考えています。できれば、自分専用の温泉を手作りしたいですね。会社勤めも卒業して、月10万とか、小さいお金をネットで稼げたらいいなと思っています。

特にいつとは決めてないので、今はそれに向けてなんとなく準備をしていき、「今だ!」と思ったタイミングで、舵を切ります。まぁ、やってく内に気が変わるかもですが、それでもよしって感じです。

ちなみに、理想の生活とそれに向けて今やってることとしてはこんな感じ。

この価値観に共感する人がもしいたら、是非お話してみたいです!

私がお金稼ぎについて感じてる違和感や半自給自足生活に向けた準備については、また別の記事で投稿します。

主な情報発信はTwitterでやってますので、フォローしていただけると嬉しいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?