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恋のよろこびは愛のきびしさへのかけはしにすぎないとただ風の中にたたずんで

「俺らは誰やろ…ちょうど漫才ブームが終わったくらいやから終わりかけやから。俺らの一番近い先輩が太平サブロー・シローやったからそれより上になるともう大先輩、だから(お世話になった先輩は)サブシロさんかな」

一昨日のダウンタウンDXで、お笑いコンビ「さらば青春の光」の森田さんから、「浜田さんどうですか?お世話になった先輩とかっていうのは」と尋ねられた浜ちゃんは、そう答えたそう。

もちろん、その場にまっちゃんはいません。それでも”俺らは”と、松ちゃんを意識した言葉をセレクトしているところにネットは…あれ?湧いてない?

いや、なんだかね。嬉しいですよね。あったかいって。

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♪君の心へ続く永い一本道は
いつも僕を勇気づけた
とてもとてもけわしく細い道だったけど
今君を迎えにゆこう
自分の大きな夢を追うことが
今迄の僕の仕事だったけど
君を幸せにするそれこそが
これからの僕の生きるしるし

引用元:青春の影
歌:チューリップ
作詞:財津和夫
作曲:財津和夫

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先日、千鳥ヶ淵で美しい桜と玉ねぎが観れて、悶絶気味だった話はとうの昔にブログに書かせていただきました。(思ったほどその感動を文章に表せていませんが)

その際に、靖国神社にもいきました。
千鳥ヶ淵のあの厳かで凛とした感じは、きっと靖国神社と一体化した空間だからでしょう。

靖国神社のことを語ると、きっと私の言葉では陳腐になると思うので、止めておきます。

それでも、何か伝わってくるものがあって、思うところがあって、いつか書ければなって思っていました。

私が人生で初めて”戦争”と言うものを認識したのは、
まだ保育園に通っていた頃だと思います。

そう言う意味では、私の両親、特に父は戦争に対する想いや考えがとても強い方で、幼い私にもよくそんな話をしていました。

基本的に昔からお酒が入るとウダウダ・ガミガミ・ドカーンと話は長いは、ややこしいはで面倒臭いタイプの父だったので、
話半分で聞いていましたが、

それでも、戦争についてはとても熱心に話していましたし、
出不精であまり自分の陣地(家と会社の周辺)を出るタイプではなかった父が、

こと戦争に関わる運動となると、結構アクティブに動いていたような記憶があります。

あれは私が保育園に通う年長さんの頃。

父が例のごとく何かの一環で広島に行くとかなんとかで、
私も連れて行ってもらいました。

正直、どんな経緯だったか?、なぜ母と弟は行かずに私だけ付いていくことになったのか?と言うことは全く覚えがありませんが、

なにせ名古屋発の新幹線の前でまだだいぶ若々しい父と、水色の保育園の帽子を浅く被って、ピースをした私が並んで撮った写真が、家のアルバムに貼ってありました。

あまり”父と出かける”と言うことのなかった私は、

旅行のドキドキ感に加えて、ハラハラ感があったのだと思います。
(どうか怒り出しませんように、的な。爆)

父との広島旅は、途中から父の会社関係の方が何人か一緒で、コースも決まっていて、

そのコースの中に、広島の原爆ドームと資料館がありました。

初めてその光景を見た時は、まだ6、7年しか生きていませんでしたが、それでもその短い人生の中で感じたことのない衝撃と衝動に駆られたのをよく覚えています。

表現するならば、何か堰き止めているものを外してしまうと、ダムの決壊のように猛烈に中のものが溢れ出そうで、

一生懸命心の堤防をつくっておくのに必死でした。

まだひらがなを読むこともままならない私は、ただただ目の前にあるモノに、胸を苦しくさせられました。

色々なシーンが私に刻まれましたが、その中に、

”原爆が落ちた時刻を指して止まった時計”がありました。

もちろん原型は留めていなくて、歪にひしゃげていました。

私はその時に思いました。

「原爆は、全てを奪ってしまうんだ」と。

そしてその時、私を見失ったのか、父が
「あれ?うちの娘どこ行ったかな?ちーちゃん!」と私を呼びました。

私は、
「はーーーーーーーい!」と言って、父に寄って行きました。

父は言いました。
「おぉおったか!」

その時に私は思いました。

「生きるって、誰かがそばにいることなんだなって。」

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♪愛を知ったために涙がはこばれて
君のひとみをこぼれたとき
恋のよろこびは愛のきびしさへの
かけはしにすぎないと
ただ風の中にたたずんで
君はやがてみつけていった
ただ風に涙をあずけて
君は女になっていった

引用元:青春の影
歌:チューリップ
作詞:財津和夫
作曲:財津和夫

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靖国神社には、色々な歴史がありますし、その件に関しては、非常に賛否あると思います。

この場は、どっちに賛成でどっちを否定とかいう話がしたいのではないので差し控えます。

それでも、

「誰かが生き、誰かが死んでいった」

そして、

「その誰かには、誰か大切な人がいて、その誰かも誰かから大切に思われていた誰かなんだ」

と言うことに違いはないと思います。

争いがなく、みんなが笑顔で、それでも何かに向かって成長したり、進化したり、時にはサボって後悔したり…そんな世の中になるといいですね。

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♪君の家へ続くあの道を
今足もとにたしかめて
今日からは君はただの女
今日から僕はただの男

引用元:青春の影
歌:チューリップ
作詞:財津和夫
作曲:財津和夫

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正直、”理不尽”が歩いているようなスポ根の父のことを、
幼い頃から疎ましく思っていました。

それでも、「”命”を大切にしなさい。」と言うメッセージを常に送り続けているところに関しては、

私の今の死生観が形成される上で、とても影響を受けていると思います。

靖国神社は、そう言うことを思い出させてくれる、そんな場所でもあるのかもしれませんね。

「”命”を大切にしなさい。」

皆さんにも、うちの理不尽な父のメッセージですが、何かメッセージとしてお伝えできていれば、嬉しいです。

本日は、「広島からの帰りの新幹線。ハイチューを食べていたら、銀歯が取れて、父に見せたら、『なんだその気持ち悪いのは、バッチい』と話半ばで奪い取られ、捨てられました。後から、それがないとまた作り直さないといけなくて、母に怒られました。母『どこやったの?』私『新幹線の魔界へ滑り込んでいきました。』母『バカいいなさい』・・・一蹴されたっけね。歯も大事。」ってお話でした。

学び:今年の桜も最高でした。感謝を込めて。

おしまい
chihiro

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