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麗月風和|女性社長の頭の中

毎日書いてはいるものの、下書きが溜まってるこの頃。
理由としては、「こんなのじゃアップできない」というものではなく、自分の中にある言葉が転写できていない感じがするから。
質が悪いというより、「ピンと来ない」というのがアップできない理由としてしっくりくる。(質はもともと重視していないw)

なので、今日は誰かに読まれることを想定せずに、書いてみようと思う。
後に自分が読んでわかるように。

自分の哲学をあえて枠づけてみる

自分の思想や哲学を考えるとき、「ストイックじゃないストア派」や「感情的でない東洋思想」が近いような気がする。

なぜなら、人にすごいと言われたり、人に感謝されることに幸せを見出す物質主義者にはなりたくないし、
嬉しい楽しいワクワクみたいな感情に幸せを探す享楽主義者にもなりたくない。
かと言って自分の行動の中に幸せを見出すストイックさも持ち合わせていないから。

名誉を愛する者は自分の幸福は他人の中にあると思い、享楽を愛する者は自分の感情の中にあると思うが、もののわかった人間は自分の行動の中にあると思うのである。(『自省録』より)

人生のテーマは淡々と麗しくあること

そんな哲学を前提として、
「宇宙の営みからすれば、ほんの一瞬にすぎない自分の人生の目的は何か」と自分に問うてみると、「自然に近づく」が言葉として近い。

それは、「淡々と麗しく」という、ここ数年の人生のテーマともつながる。

わたしの身に何が起きようと、何事もなかったようにその営みを続ける自然のように淡々と。
シンプルで整然とした自然のように麗しい生き方でありたい。
そう思い淡麗女子のススメという本まで出版したのだった。

麗しいとは、外面的な美しさだけでなく、精神的な豊かさも意味する形容詞だ。

【麗しい】
精神的に豊かで気高く、人に感銘を与えるさま。心あたたまり、うつくしい。 『大辞泉』より

初春令月、気淑風和(万葉集)

ところで、新元号の「令和」は「令月風和」が由来。
令月は麗月を簡単にしたものだそう。

令月・麗月【れいげつ】
何事をするにもよい月。めでたい月。よい月。「令」は、「よい」という意味。(『日本語表現インフォ』より)

令和=麗しい調和
と考えるとなんだか自分のあり方にもつながる気がする。

わたしたちがが麗しく心を寄せ合いカタチ創っていく世界ってなんだかいい。

令和元年にやりたいこと

いつになく、しなやかさのある元号。
今までは硬くて雄々しい感じだったから、余計に女性性を感じる。
もう闘う時代は終わっている。
「24時間、闘えますか?」なんてコピーはもう通らない。

だから、今年も闘わず、自分とも社会ともつながれる場を麗らか(うららか)に創っていきたい。荘厳な麗(うるわ)しくから、軽やかな麗(うらら)かに。
「uraraca」くらいの晴れやかなのどかさが、わたしたちをもっと自然に近づけてくれる気がするから。

うららかに体と心のコンディションを整えて、淡々と目の前の仕事に向き合っていこうと思う。視座高く、視野広く、視点多く。

具体的には、自社やわたし個人の商品やサービスの構築と提供、そして発信を、これからも続けていくことになるのだけど。
うららかな場を創るには、まずわたしが心も体も軽くうららかに。

まずは、出すところから。
・ジム行って体を動かす。
・頭の中を言葉にして出す。
出すと入る。小さくても積み重ね続ける。

人生に目標はいらない。目的で方向性だけ定めておけばじゅうぶん。
・平成でも令和でも動じないこと。
・書類表記はややこしいので西暦で。
浮足立たず淡々と。

善い人間の在り方如何について論ずるのはもういい加減切り上げて、善い人間になったらどうだ。(『自省録』より)

さいごに

公表するとわかっている文章は、自分だけのために書くのが難しい。書いてみてそう思った。

ご存知の通り『自省録』は、ヘレニズム哲学の後期ストア派と言われるのローマ皇帝マルクス・アウレーリウスが、公表を意図せず書いた自身の覚書。
だから文章は整理されてないし、同じテーマが繰り返されたりして読解力がいるけど、人の目を気にしないその人やその思想がそのまま見えて面白いなと、今更ながら。古典は名著が揃ってる。


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