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元日本語教師、農家の妻、森のようちえん代表、不登校児の母。私の自己紹介

こんにちは!いしいちほです。

自己紹介らしき記事をnote1本目に投稿したのですが、「いしいちほって何者?」を網羅した記事じゃなかった。(森のようちえんのことしか書いてなかった!)

この記事では、私のいくつかの顔について紹介します。
そして「noteでこんなことを書いていきますよ~」の宣言もしようと思っています!

あなたとの間に、何かしらの共通点が見つかるといいな。

自然にまみれて育ちました

いしいちほ、ちほっち。
広島市安佐南区唯一の中山間地域・戸山という里山に、家族4人と元保護犬で暮らしています。夫は農家、中3と小4の息子がいます。息子は2人とも0歳から森のようちえん育ちです。

春はつくしやふきのとうが顔を出し、夏にはホタルが飛び一面の青い稲が風になびいて波を打つ。夜はカエルの大合唱。秋は黄金色の稲穂の香ばしいかおりに包まれ、お祭りでは県の無形文化財である神楽が奉納される。冬はしっかりと雪が積もり、白く覆われた山々が誇らしげな姿を見せる。
こんな戸山で生まれ育ちました。

棚田を飛び回り、家のすぐ脇の小さな沢でカニを釣る。近所の子どもたちと山へタイムカプセルを隠しに行くこともあれば、ランドセルを背負いスカートをたくしあげて川の中を歩いて下校することも。

自然にまみれて育つ一方、大家族4人兄弟の生存競争の中で、「大人の言うことをよく聞く優等生」という生き方に活路を見出したのが小学生低学年の頃。でもこの生き方、ちょっと孤独なものです。

私は、自然に親しみながらも学校ではマジメな優等生。それゆえの生きづらさも感じながら、子ども時代を過ごしたんですね。

けれど。抑えきれない「フツウじゃなさ」も持ち合わせていました。
そんな私が選んだ職業は、日本語教師です。

元 日本語教師

今思い返せば、私のなりたい職業はちょっと変わったものばかりだったように思います。

歌手、アナウンサー、海女さん、産婆さん(助産師)、国連で働く人、中学校の数学の先生。
「共通点は何か」と問われたら、「いしいちほのなりたかったもの」それ以外に答えはなさそうです。

でも、それらのすべてを押しのけて、最後に私が選んだのが日本語教師。外国人に、外国語としての日本語を教える人ですね。外国語ができそうなイメージを持たれますが、言っておきます。できません。
「直接法」という素晴らしい教授法がありましてね…、日本語で日本語を教えていました。初級では、簡単な絵を書いたり、ジェスチャーや寸劇を交えて言葉や文法を教えるんですよ。

自分が当たり前に使いこなしている言語や文化を、価値観の全く異なる相手に教えるためには、自分の常識を一度疑ってみる必要があります。
自分の中にあるものをいったん外側に置き、常識や知識をどこかに追いやって、いろんな角度から眺めてみるのです。どういうとき、この言葉・文法を使うのか。どういう意味なのか。どういう心情を表すのか。例外はないか。この言葉・文法を使うときに注意しなければならないことはないか。

こんなふうに、自分の「当たり前」を注意深く見つめなおしフラットに捉えなおす習慣が身についた日本語教師時代でしたが、結婚・妊娠を機に退職し、子育て時代に突入します。

森のようちえん代表

日本語教師時代に授かった第一子長男が生後5か月の頃。当時住んでいた愛知県春日井市の自然食品店で、一枚のチラシを見つけたのが森のようちえんとの出逢い。近所の森のようちえんのものでした。

「子どもには自分で育つ力があります。その力を信じて待ち見守る子育てをしてみませんか」という一言に、なぜだかわかりませんが「これから私がやっていくのはこれだ」と直感。
いつか広島にUターンしたいと考えていた私は、帰宅してすぐに「森のようちえん 広島」と検索。2008年当時、広島に森のようちえんは見つかりませんでした。

「ふむ。…てことは、自分でつくるってことか」と考えた私。

そうして愛知・岐阜の森のようちえんで経験を積んで2010年秋に広島にUターン。2011年春に「森のようちえん まめとっこ」を立ち上げました。

子育て経験もない、保育経験もない私が森のようちえんに飛び込んだこと。どうしてあのとき「これからやっていくのはこれだ!」と直感したのか、いまだにわかりませんが、直感にしたがって行動した私を誇りに思っています。

農家の妻

広島にUターンしてきたとき、夫は無職でした。
「いつか広島にUターンする」と考えていた頃…森のようちえんと出会った頃、夫は陸上自衛隊員だったのですが。

第1子長男が1歳の頃、夫は鬱になって倒れてしまいました。

倒れる直前に「仕事をやめて農業がやりたい」と伝えてくれた夫。
そのことを支えにしつつ、しっかり療養して鬱から少ーしずつ少ーしずつ回復。
1年後、家族で広島にUターンして、夫は農家として生まれ変わりました。

銃から鍬へ。
災害救助や防衛で人のいのちを救う仕事から、食べ物をつくって人のいのちを支える仕事に転向した夫は、今、とても幸せそうです。

夫は個人で農業をしているのではなくて、地域の農事組合法人に唯一の専従職員として勤務しています。
県外出身の夫ですが、私が生まれ育った集落で、私よりも地元の人に信頼され愛されているんじゃないかなぁ。

ちなみに、夫のつくるとうもろこし、人参、長ネギ、お米は全国栄養価コンテストで入賞歴があります。広島ではちょっと有名…かもしれません。

不登校児の母

現在中3の長男は、小4から学校に行けなくなりました。

森のようちえん時代は自信に満ち、毎日充実した様子で過ごしていた長男。小学校は苦しかったようです。

幼児期に自由に育ちすぎて小学校のルールに馴染めなかった、という理由ではありません。逆に学校に過剰適応しようと頑張りすぎて、身の丈以上に背伸びしすぎたんです。
背伸びしていたら、それ以上頑張れませんよね。小4の春についに息が切れてしゃがみこむことになりました。

完全に学校に行かない期間を経て、今現在はパートタイム登校しています。

アドラー心理学

森のようちえんの代表、不登校児の母って、苦しくつらくハードな思いをする経験がままあります。

自分を否定されているように感じたり、人から感情をぶつけられたり、理解や応援を得づらかったり。

そんな苦しい時代を救ってくれたのが、アドラー心理学でした。

森のようちえんの実践と不登校の長男のサポートの傍ら、アドラー心理学を学び、ELMリーダーの資格を取得しました。

noteで発信したいこと

私の生きる目的は、子ども心・遊び心をもって人と自然・子どもと大人をつなぐこと。よりよい社会を次の世代につないでいくこと。世界平和に貢献することです。
それを実現するために、森のようちえん、不登校児の母、アドラー心理学の経験や学びをnoteでシェアしていきたいと考えています。

私が子ども時代を過ごした数十年前よりも自由に生き方を選択できる時代になったけれど、「人に迷惑をかけてはいけない」「自由に生きてはいけない」「頑張らなきゃいけない」…こんな同調圧力が私たちの生きる社会を覆っているように感じています。自由になって生きやすくなったはずなのに、苦しい世の中です。

「自分」に自信が持てず、自分を否定し、ついでに人を否定して不幸なループに巻き込む人。
自分が苦しいのを人のせいにしている人。
人が幸せになるのを許せない人。
規範意識で人をしばり、自分のこともしばりつけている人。

こんな人が増えているように思います。

凸凹のあるまるごとの自分を愛せるようになることで、子どもや他者の多様性を真の意味で尊重できる人を増やしたい。
子ども心、遊び心を大切にできる世の中にしたい。
互いのでこぼこを許し受けとめ合える、寛容な世の中をつくりたい。

noteで発信することで、オトナのみなさんとこういった価値観を共有し、だれもが生きやすい社会づくりに貢献したいと思っています。

森のようちえん まめとっこのプラットフォームでも発信を続けていきますが、子育て中のお母さんに伝えるだけでは間に合わない気がしていて。

大人の生み出した苦しい価値観に子どもたちが巻き込まれて、いのちを全うできなくなっている。
お母さんたちが、「正しさ」に支配されて、苦しみもがいている。
もう待ったなしだと感じています。

ぜひとも応援してください。フォロー、スキなどよろしくお願いします♡


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