プロフィール(2)

画像1

プロフィール(1)の続きです。

☆☆☆☆☆☆☆

どうして人に相談しない子に育ったかというと、幼稚園や小学生の頃から、親や先生に自分のことを分かってもらえていない、という感覚が強かったから。
思ったことを話しても、私の言いたいことをそのまま受け取ってもらえない、相手のフィルターを通して違うように伝わって、私が欲しいような答えが返ってこない、ということが多かったから。
少なくとも私がそう感じていたから。

私の父は、児童虐待のニュースなどを見ると、「子どもを産む前に国がテストをしたら良いのに」と冗談で言うくらい、正義感が強くて思ったことをポンポン言う人で、母は父に従順というか、心の中ではそうではない部分もあったかもしれないけど、父に逆らうことはなかったので、家では父が絶対的な存在だった。
父は「将来のために備える」「社会に出てから役立つから勉強する」ということもよく言っていて、私は子どもながらに(そんなことを言っていて、社会に出る前に病気で死んだりしちゃったら、死ぬ時に後悔するんじゃないか?将来のため、将来のためと言って、今の幸せはどうなるの?今の連続が将来につながるんじゃないの?)と思っていた。

高校生になって、この家にいたら父の枠の中でしか生きられない、家を早く出るには遠い大学に進学するのが一番かなと考えて、高校時代は受験勉強を頑張った。頑張ったと言っても、高校二年生までは吹奏楽の部活動にいそしみ、三年生の夏休みからストイックに頑張った感じだったけど。
それでも夏休みと冬休みに一日十時間くらい勉強したのが報われたのか、運良く希望の大学に進学が決まり、念願の一人暮らしができることになった。

大学時代は、親元を離れて羽根をのばし、気の合う友人もでき、地方都市で割とのんびりしていて、マイペースな私に合っていた。
テニス部に入って真っ黒に日焼けしたり、授業の合間に美術館に行ってみたり、学びたかった心理学の勉強をしたり、はじめてのアルバイトをしたり、家ではやったことのなかった料理をしたり、友人と語り合ったり。首都圏の大学に行っていたらきっと違う人生になっていたと思うけど、大学時代はとにかくのびのび過ごせて、私にとって良い環境だったと思う。

ところが就職活動をする段になって、自己アピールというものが求められ、アピールできるような自信のあるものがないことに愕然とした。
勉強は好きで頑張ってきたけど、上には上がいるし。部活動も頑張ってきたけど、もっと熱心に練習している人や結果を出している人がたくさんいて、私なんか大したことないし。
でも自信がないながらも、マニュアル本の通りにエントリーシートを書いたり秘書検定などを受けたりするのもイヤで、迷走していた。
学校生活では協調性を重んじて個性をつぶすような教育をしてきて、今まで一生懸命自分を抑えて苦手な協調性を身に付けてきたのに、今になって突然個性を出せと言われても困る、と納得のいかない気持ちだった。

結局、公務員や団体職員の心理職を目指し、またストイックに受験勉強に勤しんだ。ペーパーテストは二つパスしたものの、面接の日程が重なって一つしか受験できず、受けたところは残念ながら不合格。人生で初めての大きな挫折を経験。

たくさん泣いて、いろいろな人に相談してみたり、あがいてみたりもしたけどうまく行かず、研究室の先輩が紹介してくれた心理職のアルバイトをしながら、大学の研修生にも所属しながら、一年就職浪人をすることにした。
いつも応援してくれている感じがしない親も最終的には就職浪人を認めてくれて、人のあたたかさや親のありがたさが身に沁み、なんだかんだ言っても私は恵まれていたことに気づかされた。

親元を離れると親のありがたみが分かるとよく言われるけど、私の場合は、周りの友人たちを見ていて、私の両親は非常にさっぱりとしていて愛情表現が薄いことに気づかされた感が強かったので、就職浪人して親に感謝の気持ちを感じられたことは良かったのかもしれない。

☆☆☆☆☆☆☆

また長くなってきたので、プロフィール(3)に続きます。
長文にもかかわらず最後までお読みいただいた方、ありがとうございます。

この記事が参加している募集

自己紹介

サポート大歓迎です。いただいたサポートは、ありがたく受けとり、お仕事で循環させていきたいと思います(*^▽^*)