chihosh

ちほっしゅ / 株式会社ワッカ 代表 / グラフィックデザイナー・アートディレクター …

chihosh

ちほっしゅ / 株式会社ワッカ 代表 / グラフィックデザイナー・アートディレクター / 「想いの種から生まれた芽を、デザインで育てる」をミッションに北海道を拠点に活動しています

マガジン

  • 180°

    • 2本

    釧路在住のクリエイターによる放課後活動です。

最近の記事

  • 固定された記事

株式会社ワッカを設立しました

2020年12月10日、一粒万倍日に「株式会社ワッカ」を設立しました。 「ワッカ」はアイヌ語で「水」という意味です。 大地に水をまくように、お客様の事業をデザインで育てていきたい。 大地に水をまくように、北海道の文化をデザインで育てていきたい。 北海道でがんばる事業主の方にとって、水のように必要不可欠な存在になりたい。 そんな想いをこめました。 東京の豊かさにあこがれ、札幌から上京して12年。 東日本大震災を経験し、地元・北海道だからこその豊かさがあることに気づきまし

有料
170
    • 自分も他人も救う魔法の言葉「なんもだよ」

      WAKKA NEWS LETTER 2024.3 「なんも」という北海道弁が好きだ。「大丈夫だよ」「問題ないよ」「気にしなくていいよ」的なニュアンスの言葉で、北海道の人のおおさらかさをとてもよく表していると思う。 2018年に発生した胆振東部地震の影響で北海道全体が停電してブラックアウトしたとき、近所からBBQの肉を焼く匂いが漂ってきたことをよく覚えている。緊急時にBBQする行為を能天気に思われるかもしれないけど、道民は日常的にBBQをするし、冷凍庫にストックしている肉が

      • 「役割」で人生が前に進んでいく

        WAKKA NEWS LETTER 2024.2 デザインの仕事をしていると、「世の中にはもっと上手いデザイナーがたくさん居るのに、私がやる意味ってあるんだろうか」と考えてしまう瞬間が何度も訪れる。だけど、このQuoraというQ&Aサイトの回答をたまたま読んで、昔年のクヨクヨが見事に成仏されてしまった。 私は地元の北海道に戻ってきてから、この土地、この瞬間、そして人との関わりの中で自分の役割が形成されてきた、という実感がすごくある。小野寺さんにお願いしたい、という依頼に応

        • 自分の指向がわかったら、「ビジョン」が決められない理由がわかった

          WAKKA NEWS LETTER 2024.1 バブル時代に店舗の内装デザイン・設計をする有限会社を作ってバリバリ働いてきた両親は、小さい頃からマッチョな思想で私を追い詰めた。「なんでできないの?」が両親の口癖だった。なんでと言われても、できないものはできないし、なんでできないのかは自分でもよくわからない。 「なんでできないの?」とことあるごとに言われ続けてきた私は、子どもながらにうっすらと「できない自分はダメなんだ」と思うようになっていった。できないことは恥ずかしいこ

        • 固定された記事

        株式会社ワッカを設立しました

        マガジン

        • 180°
          2本

        記事

          会社を立て直そうとしたら、大好きな街に戻ることになった

          個人事業主から法人化して、2023年11月で3期目が終わり、4期目を迎えた。毎日何かのミッションが終わったらまたすぐに別のミッションに取り掛かる、という慌ただしい日々だった記憶なのに、振り返ってみれば独立してから初めて、減収減益になった。今年はうまくいかなかったことも多く、そのうえ利益も上がらずで、自分の会社が世の中から必要とされていない、という事実を突きつけられたようでしんどかった。 決算が終わり、真っ赤に染まった決算書を見ながら税理士さんと「この先どうする?」という話を

          会社を立て直そうとしたら、大好きな街に戻ることになった

          【946BANYA】釧路北大通を歩いて、釧路の色を採集してみた

          こんにちは!北海道釧路市に新しくできる共創スペース「港まちベース 946BANYA」デザインチームのchihosh(ちほっしゅ)です。釧路公立大の手塚亜佑さんと一緒に、コンセプトやネーミングの策定、ロゴデザインやブランディングに関わらせてもらっています。 「946BANYA」の9月のプレオープンに向けてロゴやシンボルマークを作成するにあたり、まずはキーカラーを決めていくことにしました。色を決める手段はいろいろありますが、今回は北大通を中心とした「釧路の街の色」をフィールドワ

          【946BANYA】釧路北大通を歩いて、釧路の色を採集してみた

          「天から役目なしに降ろされた物はひとつもない」遠くて近い、見える世界が変わってしまう旅

          長年の東京暮らしを卒業し、地元北海道にUターンして日高地方の浦河町(うらかわちょう)に移り住んだあと、釧路に越してきたのは3年前。釧路は「道東」と言われる北海道の東のエリアに位置していて、この道東エリアの広く茫漠とした雰囲気が札幌出身の自分には新鮮に感じられて、すっかり魅了されてしまった。 なかでも浦河町に住んでいたときから気になっていたのが、阿寒湖温泉にある「阿寒湖アイヌコタン」だ。アイヌコタンは釧路の市街地から車で約1時間半の阿寒湖温泉の一角にあるアイヌの方が暮らす集落

          「天から役目なしに降ろされた物はひとつもない」遠くて近い、見える世界が変わってしまう旅

          釧路在住のクリエイターの放課後活動をはじめます&廃ビル活用の勝手提案をしてみた

          北海道の東側、「釧路」という港町でフリーランスのグラフィックデザイナーをしているchihoshです。 「クリエイターの横のつながりを作る」 「地域のデザイン・デザイン思考を育てる」 「ワークショップやセミナーをひらく」 「もっているスキルで地域を楽しい場所にする」 など、一人ではなかなかできない活動を仲間を集めて改めて取り組んでみたいと思い、声をかけて賛同してくれた釧路在住のクリエイターと放課後活動を始めます。 メンバーは以下。 satosho(さとしょー) グラフィ

          釧路在住のクリエイターの放課後活動をはじめます&廃ビル活用の勝手提案をしてみた

          VIができるまでのプロセス 「農業情報設計社」編

          北海道の東側、港町「釧路」でグラフィックデザインをしているchihoshです。 私が業務委託でフルリモートでデザイン支援している北海道帯広の農業ITベンチャー「農業情報設計社」のVI(ビジュアル・アイデンティティ)を作成したときのプロセスを公開します。 会社立ち上げ当初は、代表の濱田氏が自作したロゴが使われていました。 このロゴも優しい雰囲気で良かったのですが、事業拡大にあたりロゴを刷新したいとのことで、新しいデザインを提案しました。 まずはターゲットユーザーを設定し

          VIができるまでのプロセス 「農業情報設計社」編

          決断するということ(2011→2019の学び)

          『何かを選ぶ、ということは、ほかの選択肢を捨て去るということ。 「決断」は、「断つと決める」と書く。だから決断するのは勇気がいるし、悩むし、苦しい。 もしかすると、選ばなかったほうの道が自分にとっては最善だったのかもしれない。 捨てたほかの選択肢が夜な夜な頭のなかにマモノのように沸いてきて、 怖くて眠れないときがある。そのマモノを寄せ付けないようにするには、自分の決断が間違っていないと心から信じて、それによって未来は明るくなっていくとイメージして、そのために今できることを一生

          決断するということ(2011→2019の学び)

          ゼロになって、ちゃんともがく宣言

          糸井重里さんの「40歳は、惑う。」という記事のなかに「ゼロになって、ちゃんともがく。」というコラムがある。 ぼくにとって40歳は25年前。 暗いトンネルに入ったみたいで つらかったのを覚えている。 絶対に戻りたくない、というくらいにね。 そのつらさは、自分がまだ何者でもないことに悩む、 30歳を迎えるときのつらさとは別物だと思う。 40歳を迎えるとき、多くの人は 仕事でも自分の力量を発揮できて、 周囲にもなくてはならないと思われる存在になっていて、 いままでと同じコンパス

          ゼロになって、ちゃんともがく宣言

          私の身体から出ていった悪魔

          12/10から5泊6日で手術入院してきた。 貴重な体験だったので記録してみる。 手術内容がセンシティブなので、初めて有料記事にしてみた。

          有料
          100

          私の身体から出ていった悪魔

          北海道 僻地クリエイターサミットという合宿をやってみた

          何年も前からあたためていた企画、北海道の僻地で活動する(主にフリーランスの)クリエイターの合宿「北海道 僻地クリエイターサミット」を7/20(金)〜21(土)に開催しました。 この1ヶ月、「このイベントはなんだったのか?」ということを考え続けて、すっかり書くのが遅くなってしまったけどイベントの振り返りを書きます。 そもそもは、自分が2014年に北海道の日高地方にある浦河町という小さな海辺の町でデザイナーとして独立開業したことがきっかけでした。 それまではずっと東京で会社

          北海道 僻地クリエイターサミットという合宿をやってみた

          地方でデザイナーとして独立してから「やめた」いくつかのこと

          個人が地方でデザインで生き残るためには、戦略が必要だ。生存戦略が。人と同じことをやっていては、より単価の安い人へ仕事が流れて生き残れない。この先も長きにわたって続けていくために、「何をやって、何をやらないか」を決めよう。そう考えて「やめた」戦略的撤退に関するいくつかのことを整理するためにも書いてみる。 ウェブの仕事をやめる。1997年、20歳でアプリケーション開発会社に入社してから18年、ウェブの制作会社を渡り歩きながら「ウェブデザイナー」という肩書きで、ずっとウェブデザイ

          地方でデザイナーとして独立してから「やめた」いくつかのこと

          LIFE SHIFT

          #ローカルワーク #フリーランス #デザイン 3月に夫の実家の釧路へ引っ越すことになった。東京から北海道へUターンして6年、札幌から浦河へ移住して4年、フリーランスになって3年。 人生のなかでも一番濃厚だったんじゃないかという日々。 北海道に帰ってきてから知り合った札幌の仲間も浦河の人たちも全部が財産です。(もちろん東京も) 同じ北海道なので、これからもいただいた縁の恩返しができるように釧路でもがんばる。 ※以下、長い回想録です。暗いです。 ------ 3年前に

          LIFE SHIFT