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『自分のありのまま』を認めることが、自分にも他人にも、優しい理由を考えてみた。


0.はじめに


みなさん、
こんにちは。

随筆家 兼 文筆家 兼 イラストレーター 兼 占い師
のChii。です。

note内の
自分の記事を整理していて、

『下書き』状態で
そのままにしてあった記事を発見


そういえば、

書いた時点では
上手く自分の気持ちが表現できず、


きっと
未来の自分ならまとめられるはず、


先送りにしていたことを思い出した
次第。


そこで、

今回は
その記事を時空を超えて、
みなさまにお届けいたします♬

(約1年以上前の記事です……笑)


ではでは、
以下の本文からご覧ください~

1.本文


過去を振り返ってみる
と、

わたしは

自分にも他人にも
常に怒りの感情を向けていた


のだと思う。

『どうしてこんなこともできないの?』

『こういうときは~をするのが普通なんじゃないの?』

『少し考えれば分かるのに、なんで分からないの?』


そんな怒りを心に溜めて

時々、
火山の大噴火のように怒りを爆発
させていた。


今はといえば、

『そんなこともあるよね~』


思って日々を過ごし、

こころは
穏やかなリズムを刻んでいる。


それは
何故だろう……?


ふと、
その変化が気に留まった。


理由は
シンプル。


『自分のありのまま』

認めから


ここで
『自分のありのまま』をから

と言い切れないのは

日々日々
『自分のありのまま』と『こうありたい自分』
との狭間

こころがゆれているから。

できない自分。
情けない自分。
おろおろしている自分。

その全てを認めよう、
と思っても、

癖のように
自分をジャッジしていることに気づく。


それが
本当に無意識にしているから、

ジャッジに
気づくことに遅れが出る。

それを
丁寧に丁寧に紐解いて、

『そんなこともあるよ。大丈夫、大丈夫』


自分を認め、受け入れ、


そして、


『自分のありのまま』に
OKを出す。

そうしていく中で、


自分以外の他人も

案外
自分と同じなんじゃないのか?


と思えてから、

他人に
心底腹が立つことがなくなった。


平気そうな顔をしていても、
こころが乱れていることは誰にだってある。


思わず口から出た鋭い言葉に
言った本人が一番傷ついていること
もある。

こころに思っていることを
素直に言えず、

『大丈夫』と
冷たく他人を突き放すことだってあることだ
と思う。

自分のぐちゃぐちゃしたこころと
向き合う中
で、

他人も同じだと思えば、
他人のアレコレを気にすることも少なくなった。


自分も他人も
完璧であるわけがない。


完璧でないから
こそ、

日々
こころが揺れる。


完璧でないから
こそ、

他人を傷つける。

でも、

完璧でないから
こそ、

お互いに
お互いの凸凹を認めることもできる


のだと思う。

そして、


自分にも、他人にも、
それぞれのありのままでいい、

と思えば

お互いにありのままで
こころ穏やかにいられるのではないだろうか?


最近の自分の変化を思い返し、
『自分のありのまま』を認めることは

自分にも、他人にも、
『お互いのありのまま』を認め、
より過ごしやすくできるから
優しいのではないだろうか?

と、
そう思った今日この頃だった。


2.終わりに


いかがだった
でしょうか……?

一年前のわたしって
こんな哲学的な? かた~い口調
だったっけか?

と、

同じ自分であるのに、
何故か別人級によそよそしさを
感じてしまった
という。
(哲学的なのも、かた~い口調なのも
嫌いではないけれど 笑笑)


ただ、

確かに

その奥には
今の自分に繋がるエッセンスが
散りばめられている
のは

肌感として
ありました。


そして、

今の自分にも

この『本文』の言葉は
時空を超えて必要な言葉だったな、

と、

偶然
この下書き記事を見つけたけれど、

それは
必然だったか、

と思うような
感覚に陥った今日この頃。


みなさんのこころにも
何かしらのメッセージが届いていることを
願いつつ……。


結びに、

あなたの心が
ゆるゆるとゆるまっていきますように……。

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