天気の子

「天気の子」を見て感じたことをツラツラと。

6月ぶりに書くnote。気がついたらもう9月。

ここ2ヶ月ほど心の揺れがとても激しく、踏ん張って生きのびたという感じでしたが、やっと前を向いてまた歩けそうです。

いつもはnote書くぞ!と気を張って書くけれど、今日は、久々のnote、書きたいなと思う気持ちを大切に、朝の出社前の時間にゆるっと書いてみます。


突然ですが、一ヶ月くらい前に『天気の子』を見ました。

!少々ネタばれしているので、まだ『天気の子』を見ていない人は読まないでください!
cotreeオフィスでもこの前「天気の子を語る会」をやっていたみたい。とても参加したかったです…!(9/15追記)

『君の名は』はとても衝撃的だったけれど、『天気の子』は、もっと心の奥深くからじわじわと熱いものが湧き上がってくる感じでした。

忘れないうちに、あの時に感じた感情を、心が揺さぶられたことを書きます。

「誰も犠牲になって欲しくない」という気持ち

『天気の子』を見た感想は、色んな人から聞こえました。

「全然共感できなかった」
「穂高のエゴで自分たちだけは幸せになって、世界が犠牲になった。」

という感想も。

感想を友達何人かと話していた時に、一人が「色んな人に迷惑をかけて、自分たちは幸せになってよかったかもしれないけれど。ずっと雨なんて耐えられないな。」と言っていました。

それを聞いて私は、「確かに、ただでさえ梅雨の時期は心が沈むのに、ずっと雨が降り続くなんで、耐えられないな」と思いました。

でも、そこで、そんな自分の気持ちに何だか凄く嫌な気持ちになりましたた。

「1人が犠牲になって世界が平和になるならそれでいい。」という考え方は、嫌いだ。

誰も犠牲になって欲しくない。

でも、自分にとって都合の悪いことに対しては、そんな気持ちは忘れて、自分にとって都合に良いことを望んではいないだろうか?

そんな気持ちでいっぱいになりました。

「人に迷惑をかけられないから」と、大切なものを諦めてはいないだろうか

帆高は自分の気持ちを貫き、大切な人を救いました。
「陽菜さんを救ったらその代わりに雨が振り続ける」と分かっていても、勇気を振り絞って、大切な人を助けました。

でも、この世界には、理不尽に降りかかってくる困難を、「人に迷惑をかけられないから」という理由で自分だけで耐えている人は、沢山いるのではないだろうか。

陽菜さんが少し寂しそうに放った、「帆高も雨がやんでほしいって思うよね」という言葉には、「人に迷惑をかけられないから自分が消えた方が良い」と思いがあったのだと思います。


「みんな何も知らないくせに。」

これは、帆高がパトカーの中で叫んだ言葉です。

私は、この言葉が心に当分残っていました。

自分ではどうしようもできない理不尽な困難もある。
でも、全てはその人の自己責任で、任せるしかないのでしょうか。

その人の辛さに、皆に迷惑をかけられないからと我慢している人たちの苦しみに、少し目を向けることはできるのではないだろうか。

自分から手を差し伸べることは、難しいかもしれない。その人がそれを望んでいるのかをすぐに判断することは、とても難しい。

でも、この人は苦しんでいるのではないかと思うことがあれば、助けを求めている人がいればそこから目を背けたくない。

そんなことを感じました。


考察でもなく、ただ感じたことをゆるっと書いたnoteでしたが、今日はここまでにします。

色んな人と「天気の子」についてお話ししたいです。

写真はオーストラリアのパースに着いた時の朝焼けです。


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